1-3   別荘


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 キリスト教で言うところのクリスマス・イブの日、僕はとうとう本家から出ていくことになった。もうすぐ三歳になろうとする頃だった。


 籍が外れたというわけではないが、ほとんど破門も同然だ。手伝い人を数名と家庭教師が常駐する以外に取り立てて何も与えられていない。庭師が来るのは不定期だし、そもそも家族がおよそ立ち寄らないであろう、寂れた土地に追いやられたのだ。


 そこは元々本家が別荘として使っていた洋館だった。日本が西洋化を推し進める折に建てられた、いかにも文明開化的といった建造物。ここが今後僕の住処すみかとなる。


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 ジャケットのボタンにあしらわれた柄を観察していると、徐々に速度を落としていた車がちょうど今完全に停止した。運転手が外へ出る。


 これから暮らす家へ到着したのだ。



 僕だけがここで暮らす理由は、すでに父から教えられていた。

 母親が僕を見るとあまりにもひどく取り乱すから、一緒にいない方がいいのだという。


 確かに母親は僕のことを明らかに嫌っていた。以前から、「これが母親の声だ」と認知している声がよくわめきたてていたのだ。


 『忌々いまいましい子供! ああ、憎くてたまらない!』


 『この廊下をあの子供まで歩いていたなんて、考えただけでも気が狂いそうだわ!』


 『お願い……お願いだから、あの子供を殺してちょうだい……。じゃなきゃ私に殺させて! もう嫌なのよ!!』 


 腰元が話しているのを聞くに、ヒステリーというものだったらしい。ヒステリーはがあってから、ますますひどくなった。



 ――家にある本を読んでいると、時折「母」という登場人物が出てきていた。

 どの母親を思い出してみても、上のようなことは言っていなかったはずだ。



 じゃあ、


 あの生き物は一体なんなんだろう?



 僕はそんなことを考えていた。

 


 窓のカーテンをどけて外を覗くと、固く閉ざされた柵の向こうに広い庭が見えた。その庭を縦断するように石畳が敷かれている。


 そして、石畳が導く先には洋館があった。


「わぁ……」


 最初の感想は文章にならなかった。



 とてもわくわくしていた。

 なぜなら、僕はこれまでの三年弱の人生で日本家屋か武道場しか見たことがなかったからだ……強いて言えば二ヶ月前の病院は和風ではなかったが、あれは「家」ではないと思っている。

 これまで本の世界でしか知らなかった洋館は、僕にとって憧れだった。


 それに、僕は今日生まれて初めて武道場以外のところへ出てきたのだ(病院は除く)。着物じゃなく、洋服を着たのも初めてだった。自分の恰好かっこうがこの屋敷とちゃんと調和できているのかは分からない。けれど、気分はすでに西洋人だった。



 どれくらいの間眺めていたか分からないが、突然ガチャ、という音がして、僕はよろけそうになった。


 ふと後部座席のドアが開いたのだ。窓に体重を預けきって張り付いていた僕は、危うく体を持っていかれるところだった。

「辰二郎様、到着いたしました」

 運転手が差し出した手をとって、車から身を乗り出す。両足を一緒に地面へ着地させ、屋敷の入り口まで歩いてみた。


 右目に激しい損傷を負った僕は、複数回にわたる手術の上、なんとか元の状態に戻った。


 視力は絶望的と言われた。特殊技量アビリティは――リハビリをしないことには何とも言えないらしい。


 一か月もの間、右の白目が真っ赤になっていたため、眼帯をして過ごした。

 今片側の視力をほとんど失っていても歩けるのは、「この生活に多少慣れたから」というだけのことだった。

 慣れるまでは頭痛と吐き気がひっきりなしに襲いかかってきたし、何度も転んだ。右手側の角にはよくぶつかったので、いつもそこかしこにあざを作っていた。見かねた腰元が、父親にコンタクトレンズか、せめて眼鏡を作ることを進言したほどだ。


 そういうわけで、今僕の右目にはコンタクトレンズが入っている。それでもまだ走ればバランスを崩すこともあるし、そもそもコンタクトレンズを上手く入れられない日もあって、目が充血したりする。



 石畳を手際よく歩いて庭の半分あたりまで進み、改めて真正面にたたずむ洋館を観察してみた。


 真っ白な外壁にべに色の屋根だった。

 屋根というのは、玄関にある雨よけの小さな三角屋根のことだ。高さがありすぎて、今のところ僕にはそれしか見えなかった。

 顔をめいっぱいまで上げても一番上の屋根が見当たらない。だからてっぺんがどうなっているのかは不明だ。


 窓の並び方から分かるのは、おそらく三、四階建てくらいだということだけ。

 二階と三階部分からは、半月状のバルコニーが突き出していた。きっとその先にはダンスホールがあるのだろう。ある本の挿絵にそういうバルコニーが描かれていた。

 一階にある窓は全て銀色のレースカーテンで覆われていたが、室内に光が灯っていることくらいは分かった。


「先を失礼します」


 僕の荷物一式を持った運転手が、颯爽さっそうと追い抜いていった。


 いよいよ玄関へ向かうのだ。


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