Nail in the coffin

宍戸 亜零

Batch.1

 これは私信で有る。

 極めて限定的な私信で有る。


 さて、これを読むのは家族だろうか、友人だろうか。

 もしも、あなたが私の事を知らない赤の他人だったならば申し訳無い。

 だとしたらあなたはツイていない。


 ツイていないついでに面倒臭くて図々しいお願いをさせて欲しい。


 どうか、これを最後まで読んではくれないだろうか。


 ありがとう。


 では、書き始めるとしよう。

改まって文章を書くのは初めで、支離滅裂になるかも知れないが、キチンと最後まで書き切るつもりだ。

何度も申し訳無いが、どうか付き合って欲しい。


 今からここに記すのは私の人生で有る。


 いや、そこまで大それたものでも、畏まったものでも無いかも知れないが、私の生きて来た道程をつまびらかにしながら記す。



 これは私の手記で有る。

 これは私の証明書で有る。

 これは私の報告書で有る。

 これは私の決意表明で有る。

 これは私の決別で有る。

 これは私の遺稿で有る。

 これは私の遺書で有る。



 私は取り立てて珍しい事は無い家庭に生まれた。

父親は会社員で母親は専業主婦。弟が1人と言う家族構成だ。


 物心ついた時から賢い子供だと皆から褒められた。

実際の所は興味が有る事にだけ好奇心を向けて自分の気が済むまで対象を分析していただけだと思う。

そうする事で愛すべき対象物を初めて自分のモノにしたという実感を得るのだ。


 偏愛、いや愛とはまた違う様な気がする。

執着……と呼ぶ事が一番近いのかも知れない。


 私はもっと褒められたい一心でより多くの興味関心の対象を吸収していった。

 そして沢山褒められた。友達からも大人からも褒められた。


 いつしか心の何処かに、

「こんなにも沢山の人に褒められる私は人とは違う、特別な人間なのだ」と言う思想が生まれた。

 この思想は私を構成する大きなピースである。


 だが、この思想が私を怠惰させ堕落させた。

この思想は上手く扱えれば素晴らしい恩恵を与えてくれるが扱いを間違えれば低い方に流れる最高の言い訳にもなる。


 何もこの思想だけに私の人生の全責任を押し付ける訳では無いが今に至る原因の1つになった事も然りだ。


 

 小学生にあがるとだんだんその片鱗が見えて来た。

 苦手な事をする事が極端に苦手になった。

失敗すると特別な階段の上にいる私が階段を1段降りて普通の私に近付く様で嫌だった。

階段を降りる姿を人に見られる事が恥ずかしい。


 特別な私は恥をかく事が恐ろしくなっていった。

極力恥をかかない様に、得意な事だけ選んでいった。

苦手な事はなるべく遠ざけた。



 思春期の頃になると特別の予備軍だった周りの人間も頭角を表し出す。

謙虚で苦手を遠ざけず努力を惜しまない人間も少なからずいる。


 好きな事で特別では無くなるのは本当に悔しく、また嫉妬を煽った。

 本気で向き合い、真剣に打ち込む。

そう言った選択肢も有ったと思う。


 でも私は怖かった。


 本気を出して特別になれなければ、周りの人間、そして何より私自身に私の凡庸さが晒されてしまう。

私が特別では無く、何者でも無い事を明白に明確に白日の下に晒らしてしまう。


 私は逃げた。


 それならばいっそ興味が無かった事にすれば良い。

その執着ゆえの歪んだ愛情は嫉妬に形を変えて、私以外の特別な人間やそれ以上にこんなにも愛しているのに私以外を選ぶ対象物に向かった。


 誰にでも股を開く淫売、こちらから願い下げだと。


夢中になって調べた事、周りの人間に褒めらた事、両親が他人に自慢気に話す私の事。

 私を私たらしめる核が向き合った時間とその価値を自分を守る為に容赦無く捨てた。


 私は少しづつ軽くなった。


 いつの間にか自分より優れた人間がいる分野には近付かず、自分の興味のテリトリーに特別な人間が入ってくると、興味の対象からスーッと熱が引くようなった。


 特別になれないのならすぐに興味対象を乗り替える。

 私は快楽主義者になっていった。


 法律的には大人になってからは変わり者を演じる様になった。

そうする事で人と同一のテーブルで比較される事を避けた。

 一般的なカテゴリーには属さないと言うカテゴリーに属す事で人から向けられる目は気分が良かった。


 属するだけで得られる安い快楽に溺れて行った。


 継続的努力で私を追い抜いた人間、圧倒的な才能で私を追い抜いた人間は視界の端、かなり前方だがまだ捉える事が出来ていた。


 大丈夫、大丈夫。

私は本気を出していないだけ、まだまだ追い付ける追い越せる。

 だって私は特別な人間なのだから。

 

 私を痛みや苦しみから遠ざけ快楽を与え続ける過保護な私はいつもそう私を慰めてくれた。

私を直視したく無い私はその甘い言葉を疑わず信じた。


 違う、そう信じざるを得なかった。


 肥大した自尊心はまともに人生の風雨を受け止める事が出来なくなり、斜に構えてやり過ごす様になった。

 

 斜に構える事で独特な感性を持ち合わせてると他者を錯誤させる。私は私に陶酔し、自意識の骨格が歪んでいった。


 自分と折り合いをつけて、納得した現実を生きる人間には、夢から逃げてこじんまりとした所に落ち着くなと大層な説教を説き。

 夢に向かって邁進する人間には、あいつは現実が見えていない。絶対に失敗するだろうと疑似科学的エビデンスを添えて周りに吹聴し溜飲を下げた。


 いつからこうなったのだろう。

 私は何者なのだろう。

 遥か先の彼らの背中には届く気はしない。


 肥大した自尊心と歪みきった自意識の骨格では、走り出す事もかなわない。


 ああ、この状況に有っても私は私の非を認め無い。


 悪いのは私では無い。

 周りの人間が悪い。

 時代が悪い。

 世間が悪い。

 世界が悪い。


 そんな世界に認めて貰う事などこちらから願い下げだ。精一杯の強がりで私の自意識は私の存在自体に熨斗をつけて世界に返す。


 こんな世界になら認められなくていい。

認識されなくて良い。

見えなくていい。

無視してくれて良い。

この世界は嘘。

この世界は虚。

私の核が実で有り、私以外は虚無で有る。

 

 虚しくなんて無い、虚しいなんて言わない。

 寂しくなんて無い、寂しいなんて言わない。


 もうはや私は何も考えずただ死なない様に生きてきた。

 どうでも良いよだってこの世界は嘘だから。



 最近良く同じ夢を見る。

葬列が墓場までゆっくりと棺桶を運ぶ。

喪服に身を包んだ参列者は全て私で有る。

そして場面は切り換わり棺桶に蓋がされるのを棺桶の中から見ている。

参列者には薄ら笑いを浮かべる私、汚らしい物を見るような侮蔑の表情を浮かべる私、憎悪に満ちた表情を浮かべる私。

 私の横たわる棺桶に私が最後の釘を打ち込む。

静寂と暗闇の中、釘を打つ音だけが響く。



 今朝も同じ夢を見た。

いつもの様に一日を過ごした。


 雲1つ無い青い空だった。

 綺麗に明るく笑う人を見た。

 角の垣根の牡丹が咲いた。

 風に少し夏の始めの薫りがした。

 アイスコーヒーが美味しかった。

 海は苦手だが海に沈む夕日は好きだと思った。

 初めて飲んだビールの香りが華やかだった。


 今日は何故だがこう思った。


 虚しい、悲しい。

 

 私は生きている。

 私を無視するな。

 私を勝手に解釈するな。

 私に興味を持て。

 私に話しかけてくれ。

 私に優しく言葉をかけてくれ。

 私を理解して欲しい。


 虚しい、悲しい。


 堰を切った様に溢れ出す感情の置き場所はもう無くなっていた。



 もう終わりにしよう。


 私は私自身に止めを刺す。


 私を虐げる私に。

 私を低く見積る私に。

 私を引き留める私に。

 私をバカにする私に。

 私を甘やかす私に。

 私を恐喝する私に。

 私を洗脳する私に。

 

 ここれまでありがとう、私よ。

最低限の感謝は有るが、義理も恩も感じてはいない。

二度とこんな思いはしないように、私は私に止めを刺す。

 私のこの手で確実に止めを刺す。


 さて、これを読んでくれたあなた。

本当に有難う。

最後まで読んでくれて本当に有難う。

 

 こんな人間が世界に存在した事が証明出来た。


 ありがとう。


 これは私の手記で有る。

 これは私の証明書で有る。

 これは私の報告書で有る。

 これは私の決意表明で有る。

 これは私の決別で有る。

 これは私の遺稿で有る。

 これは私の遺書で有る。



※※※



 これは落とし物だ。

または、置き手紙だったのかも知れない。


 さっきまでこのカウンターで笑顔でビールを飲んでいた男の。






Name: Nail in the coffin


Brewery: Expsure to the suffering Beer


Beerstyle: Triple IPA


ABV: 10.0%


IBU:100


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Nail in the coffin 宍戸 亜零 @aray

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