優しい時間は心を癒す 3

 浮き沈みしていた久遠の意識が完全に浮き上がると、まだ頭を撫でられ続けていた。


「おはよう彬奈、ずっとこうしてくれてたのかな?どれくらい寝てた?」


 寝起きからほとんど時間を置かないで眠ったこともあって、それほど熟睡したわけではないだろうと思いつつも、一応確認をする。


「おはようございます。それほど寝ていませんよ。だいたい、1時間半くらいですね」


 その言葉の通り、久遠は大して寝ていない。太陽も、22°と少し傾いた程度だ。


「そっか。一時間以上このままだったのか。ありがとう」


 久遠は素直にお礼を言う。それを聞いた彬奈の表情が、こころなしか綻んだように思えた。


「いえ、旦那様。旦那様のお役に立てたのでしたら、それが彬奈の本望です。ところで、何かしたいことはありますか?」


 彬奈は久遠に尋ねる。本当はこの後もある程度考えてあったのだが、久遠が行動を全て決められるのが好きじゃないといったことで、主導権は握らない。


「そうだね……、少し買いたいものができたんだけど、これは別に今すぐじゃなくてもいいから、彬奈に任せようかな」


「そうですか?旦那様がそうおっしゃるのでしたら、そのようにいたしましょう」


 久遠の言葉を受けて、彬奈は自身の予定通りに行動を進める。


「旦那様がお気に召すかはわからないのですが、アナログゲームなどはいかがでしょうか。二人でやるとしてもそれなりにゲームの種類はありますし、ゲームの結果が運に大きく左右されるものも多いですから、楽しめるのではないかと思いまして」


 彬奈が持ち出したのは、久遠がまだ一人だけで過ごしていたころに、定期的にソリティアをやりたくなることに備えて持っていたトランプ。一人で他の人と関わらずに、過ごすうえで、どうしても出てきてしまう暇な時間に備えたもの。


 よく、休日の時間つぶしに使っていた百円で二セット入りのものだった。


「トランプか。確かに、彬奈が家に来てからはデジタルゲームしかやっていなかったから、久しぶりにやってみるのもいいかもしれないね」


 久遠は、なにかを思い出したのか懐かしそうにしながら、少しうれしそうな様子を見せる。なかなかの好感触だった。


「喜んでいただけたようで、彬奈は一安心です。旦那様、何かやりたいゲームなどはありませんか?種類にもよりますけれど、彬奈の感覚センサーや思考領域をある程度制限すれば、普通の人と行うのと同程度くらいには遊べると思いますよ」


 完全に性能を発揮してしまえば、彬奈はそれこそ、よれ具合から全部のカードを見分けることもできる。AIと人工知能の両方を搭載している彬奈にとっては、その程度のことは極めて容易い。


 ただ、それをしてしまうとまともなゲームとして成り立たなくなるということは、彬奈もわかっている。そうしたうえでわざと勝負の流れを操作することもできるだろうが、それをすることを久遠は望まないだろう。


 だから、彬奈はそんなことはしない。自身の性能に制限をかけることで、少なくともその条件かでは本気で勝負をするし、勝ちに行く。


「そうだね、それじゃあ、最初は、無難にババ抜きなんてのはどうかな?」


「わかりました。それでしたら、彬奈にかける制限は身体分析をしないことと、旦那様の手元に対する視覚情報の精度を10分の1にする、などでいかがでしょう。これであれば、お互いに表面的な表情でしか駆け引きできないうえに彬奈にはカードの表面で中身を知ることができなくなります」


 たかがカードゲームに対して彬奈が自身にかけた制約の量に、あまりにも違いすぎる基礎スペックを痛感しながら、そんな彬奈がわざわざ選んだ条件なのだから、これで多少はまともな勝負になるのだろうと思い、久遠はその案を受け入れる。




 その結果、久遠の目の前にあったのは、何度やっても常に自身の目の前に現れて、一度現れたら離れることのない道化師の姿だった。


 彬奈は考える。確かに、自身の方が処理能力の高さゆえに多少勝ちやすい設定ではあったかもしれないが、久遠がポーカーフェイスを習得して、会話の中から彬奈を揺さぶることができるようになれば、決して勝てない設定ではなかったと。


 久遠であれば、少し時間がかかったとしても彬奈の弱点を見抜き、勝ちを重ねてくれるだろうと思っていた。


 彬奈の敗因、ゲームの勝敗では勝っていても、慰安用アンドロイドとしての、相手を楽しませるためのものとしての敗因は、久遠が思いの他ババ抜きが弱すぎたということだろう。


 一度も負けることができない。ジョーカーに近付くと目に見えて顔色が変わって、そこに正解があるのだと即座にわかってしまう。


 それは、彬奈の考えていた予想よりもずっとひどかった。自身が表面的な思考を理解出来なかったこともあって、彬奈の評価では久遠はもっとポーカーフェイスのできる人間だった。


 けれども実態は、あまりにもわかりやすいその態度に、むしろ彬奈自身が勝ちすぎて辛くなってしまうほど。


「あの、旦那様、よろしければ、そろそろ別のゲームに移行しませんか?」


 彬奈がそう言ってしまったことに、文句を言える人はおそらくどこにもいないだろう。それだけ、久遠の負けっぷりは見事であって、多少の偶然や奇跡が起きたとしても、彬奈に負ける未来は存在しなかった。



 だから、そういったのは正しいことだった。そう言いたくなるまで、決して手を抜いて負けることなく、真剣に向き合っていたのは、正しいことであった。


「そうだね。正直な所、今まで一度もババ抜きで勝てたことがないから、自分が衆生に出る類のゲームが弱いってことはわかって居るから、ここでもちゃんと負けることができてよかったよ」


「少なくとも、彬名が約束を破るような子じゃないってわかっただけでも十分な収穫だ。この勝負で途中から俺に負けるような子は、きっと俺自身のことよりも、自身の存在証明の方に意識が傾いているだろうからね」


 そう言ってこぼすのは、久遠が彬奈を信じるために、あるいは、疑うためにかき集めた情報の集合体。


 これに対して彬奈が間違えた答えを出していれば、間違いなく久遠の信頼を失っていた。けれど逆に、久遠好みの回答を出すことに成功した彬奈は、久遠から大きな信頼意を預かることになる。


 ほかの、理屈だけで保たれているような意思たちには保てなかった思考回路たちが、彬奈を攻めるような様子でまとわりつく中、正解を選んだ彬奈は久遠からの信頼意を得て、一緒に遊べる相手としても認識され始めるようになる。


────────────────────────




晩御飯のために炒めた玉ねぎが超ジャンプを見せて、瞼の少し上をやけどしました。皮がペロンとめくれてしまって、かなり痛いので、玉ねぎは孫子の代まで呪うことにします。美味しかったです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る