過去編:《金貸し》トクスフェクト

 壊す、罵る、無力を思い知らせ、踏みにじる。

 他者を甚振るのは心地よく、蹂躙するのは胸がすく。

 強いのは自分だ、弱者を思うままに略取する側なのだと実感する。

 第五層に住まう者であれば皆そうだ。そう在るのが当然に正しく、故にここには暴力が満ちている。


 《金貸し》トクスフェクトもそういった、いかにも五層民らしい性質の機人だ。

 金貸しというのは幾分聞こえが良い通称で、実態は莫大な融資と引き換えに法外な取り立てを行うろくでもない稼業である。金をくれとすがる哀れな客に、より大きな額を、より大きな投資をと囁き、無謀な金額を注がせ破滅させる。元手をすべて失い、借りた金が返せなくなれば、あとは残った身一つ。泣き喚く体を分解して、売り払ってしまえばお終いだ。


 トクスフェクトはこの商売が好きだった。トクスフェクトを恐れる者は多く、しかして力が支配するこの五層で地位を上げたい、返り咲きたい、と願う輩も後を絶えない。それらを良いように唆して破滅させ、時には成功するようにもしてやって、何もかもを意のままに操れるこの仕事はトクスフェクトの嗜虐性によく馴染んだ。

 だから、その日もいつもどおり、楽しく笑って、借りた額を返せなくなった愚か者の悲鳴を搾り取っただけ、そのつもりだった。――その機人が、《暴君》ブラックヴェイルの会談相手でさえなければ。


 《暴君》ブラックヴェイル。前第五層主を決闘にて征し、今代の層主となった機人。並み居る機人の中でもとびきり気ままで享楽的、気に入れば殺し、気に入らなければ殺す、第五層の頂点に立つに相応しい悪逆の主。つまり――目をつけられたら終わり、だった。




 轟音をあげて、壁に漆黒の槌が叩きつけられる。壁と槌の間で潰された機人の体が悲鳴をあげる。


「オ……ッ、ゴ……」


 潰れた発声器官のどから聞こえる声に、槌の主――《ファイブコート》のモリオンが笑い声を漏らした。


「いやぁ、良くない、良くないなァ、トクスフェクト? 暴君閣下のお友達をバラして売っちゃうなんてさ」


 槌で圧し潰しながらモリオンはねっとりとした声を向ける。トクスフェクトの機体は歪み、片足も切り落とされている。いつも通り暗い棲家で金勘定をしていたトクスフェクトの所にブラックヴェイルとモリオンが現れ、今はこの有様だ。『おやおや《暴君》ともあろう者が、こんな場所に来るなんて、まさか金に困ったのかい――』と、軽口を叩こうとした時には、足を切り落とされていた。呆然とするトクスフェクトを見下ろして、暴君は言った。『貴様に恨みはないが、俺の遊び相手を殺したのだ、代わりになってくれるだろうな?』、と。一瞬の隙をついて《獣の形》に切り替え、棲家を逃げ出したが、ダメだった。見つかって切り刻まれて、わざと逃され、今度はモリオンが追ってきた。遊ばれている、というのは分かっていた。第五層というのはそういう場所だ。

 トクスフェクトはどうにかモリオンの巨体を見上げるように首を動かす。


「ぐ…、なんで、ファイブコートが暴君と仲良くしてるんだ? ファイブコートってのは反ブラックヴェイルを掲げてるんだろ…? 矜持ってもんはないのかねえ……それとも、そんなのごっこ遊びで、裏では仲良しこよしだったのかな?」

「いやいやぁ、だってアンタにはウチも随分迷惑かけられてんでしょ。ウチの客、何人破滅させてくれてんのって。殿下も困ってるしさぁ……ウン、だからさアンタはブラックヴェイルにとっても、俺たちにとっても共通の邪魔者ってワケ」


 それに、とモリオンがニタリと笑う気配があった。ぐ、と槌を握る手に力がこもる。


「閣下がさ、俺も遊んで良いって言うからさ。いやあ、良いよな、こういうの! 邪魔な奴を追いかけて殺してるとさ、偉くなってるって感じがするよな?」

「はは……確かに、そりゃ良い、わかるよ」

「だろお? わかるよな、殿下に言うと呆れられるんだよ、もっとしっかりしろって。しっかり仕事してるのになぁ?」

「いやあ……それはどうかなぁ」

「んー?」


 トクスフェクトは腕を上げた。モリオンはその意味に気づいていない。トクスフェクトの体内に特別に備わった機能――あらゆる機人を溶かす毒腺が駆動した。


「俺も、アンタはしっかりはしたほうが良いと、思うぜ」


 蛍光色の毒液が黒い槌に、そしてモリオン自身にかかる。ジュウと金属が溶ける音。ウワッとモリオンが声を上げ、飛び退いた。その隙を逃さず、トクスフェクトは三度逃走した。それを視界の端で捉えたモリオンが舌打ちした。


「くそっ、アイツ……!」

「おやおや……あれだけ弱らせておいたのに逃したのか、モリオン」

「あーっ、暴君閣下ぁ」


 毒液をこすりおとそうと躍起になるモリオンの後ろから現れたのはブラックヴェイルの黒い機体だった。その剣には切り落としたトクスフェクトの体の金属粉が残っている。


「しょうがないでしょうよ、あんな変な機能持ってるやつ、簡単には行かないって」

「全く、貴様が手柄を上げたいと言うから任せてやったのだろうに。いつもその調子なのか? あまりサハースポットに苦労をかけるなよ」

「殿下? それは大丈夫、大丈夫、殿下は立派だから」

「まあ良い、トクスフェクトはどこへ逃した?」


 モリオンはぐるりと周囲を見渡した。どこも古びた建物で機人ヒトの気配はない。きょろきょろと周りを見た後、乾いた地面の上に漏れたユピウスの痕跡を見つけ、おお、とモリオンは呟いた。


「ああ、こりゃあねえ、四層に逃げられたんじゃないかな。ほらあっち、あの通路って四層に繋がってるからさ」



◆ ◆ ◆


 三本しかない足で走る体は重く、そこに普段の機敏さはない。ひしゃげた体からはユピウスが漏れ、点々と歩いてきた場所に跡を残す。まあ、こりゃ死ぬな、とトクスフェクトは自らを嘲笑った。五層で生きて、好きに楽しんだのだから、この末路は妥当だろう。悲観はなかった。とはいえ、殺しに来た奴の思い通りに殺されてやるのも癪だから、死にものぐるいで逃げただけだ。あいつらの目の前で屍を晒してやるより、どこかで野垂れ死んだほうが気分がいい。


 今逃げている場所は第四層だった。奴らはここまで追ってくるだろうか、まあ追ってくるだろうな。ブラックヴェイルはそういうタイプだ。一度みつけた玩具は最後まで嬲り尽くす奴だろう。ぐらりとトクスフェクトの体が揺れ、地面に倒れた。足に力が入らなくなったのだと気づくのに少し時間がかかり、それからああ、ここで終わりか、と理解した。もう少し先まで進みたかったが、仕方がない。あとは奴らに見つかる前に死ねるのを祈るだけだろう。そう思って、視界を落とそうとした、その時――。


「ああっ! ちょっとちょっと、アナタ! 待ちなさい!」


 折角の静寂に満ちたいい気分を台無しにする声が聞こえた。知らない声だった、いや、聞いたことがあったかも知れない。例えばちょっとしたニュース映像とかで。折角暗闇に閉じた視界をいやいやと開く。そこに鮮やかな緑色の機体があった。


「良かった、ほら、まだ生きていますよヒギエイア」


 近くにいる何者かが文句を返す声が聞こえた。それにもめげず、うるさい声の持ち主は言葉を続けた。


「アナタ、五層から来たのでしょう。これはブラックヴェイルの切り口ですね。その様子だと暴君と大きなトラブルを起こしたのでしょう」


 すべて分かっています、とばかりにその機人は言った。恐らく事態の半分もわかっていないのだが。


「ワタシと交渉しましょう。ワタシはアナタを助けますから、アナタはワタシに雇われてみませんか? 四層の、この《策公》ホークアイの部下として」


 その名乗りに驚き、トクスフェクトは潰れた喉から言葉を漏らす。


「……策公? 《策公》ホークアイ、か……?」

「ええ、そうですよ!」


 新人の第四層主は偉そうに胸を張った。


「今、四層には戦力が不足していましてね、是が非でも強くて優秀な人材が欲しいのです。我々にはアナタが必要です。そして、多分アナタもワタシたちが必要だと思いますよ? どうですか?」

「ハ、ハ……!」


 トクスフェクトは思わず吹き出した。片足もなく、ボロボロに壊れかけた機人を見て、必要だと熱弁してみせるその姿がおかしかった。こいつは自分の何を知っているのだろうか。醜悪な金貸しだということも、何人も遊びで殺していることだって知らないだろう。ああでも、五層の凶悪な機人だってことくらいはわかっていて、話しかけているのだ。ぜいぜいとどうにか声を絞り出す。


「ああ……良いぜ、アンタ、面白いよ。その話、乗ってみようか」


 どうなるのかは分からなかった。ただ死にかけの体にその馬鹿げた言葉は響いて、その声の導く先に、きっと何か見知らぬ価値があるのだと――思ったのだ。



(おわり)

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