『最悪』の話

 層主になるよりずっと以前、若い頃からブラックヴェイルは傲慢で享楽的な機人だった。

 若い頃……と言っても、クラストールが知っているのは、あれがアルマディスの傘下に加わる前、第五層の下部組織に所属していた時分のことだ。全ての機人の親たる《大機関》から生まれた頃などはどうだったか知らないが……どうせ今と大差はなく、享楽的で自信に溢れていたに違いない。


 ブラックヴェイルと知り合ったのは、クラストールがその技術を買われて、下部組織に違法なウイルスを取引していたときだった。下部組織の頃のブラックヴェイルは、重鎮たちから可愛がられていた。五層の機人の中でもひときわ憚らず享楽的、その上実力もそなえたブラックヴェイルは、年寄にの心をいたくくすぐったらしい。


 老人というのは、奔放な若者に惹かれるものだ。その自由さと無鉄砲さに、かつての自分自身を見出し、「俺も若い頃はそうだった」などと言って喜ぶ。……だが、愚かな老人どもは気づいていない。ブラックヴェイルの邪悪さが、ただ若さからくるものではなく。老人のようなねじれた狡猾さがそこにあるということを。だからこそ――彼らは自分がもう出来ないことを代わりに見せてくれるようだと感じているのだと、彼らは自覚していない。


 ――故に、いつかはそうなる定めだった。


「ああ、クラストールか」


 ある日、クラストールがその組織にいつもの『頼まれもの』を届けに行くと、そこには常ならぬ様相が広がっていた。豪奢に飾られた広間は見るも無残に引き裂かれ、いつもは下品に笑いあう機人たちは全て倒れ、生前ではありえぬ沈黙をたたえていた。

 一面の死体、死体。どうみても、激しい争いの後だった。死体の山に腰掛けて、唯一の生存者であるブラックヴェイルはいつものように笑った。


「これは……」


 クラストールは周囲をよく確認する。床に転がるのは、この組織の重鎮たち、下っ端たちもだ。そうでない者もいたが、大体の者が一様に、同じ武器で殺されている。ブラックヴェイルの剣によって。クラストールの運んできた荷物に気づくと、ブラックヴェイルはおや、と少しすまなそうな表情を浮かべた。


「悪いな、今日は届けの日だったか。知っていれば、支払いを受け取るまで待ってやったのだが」

「何があった」

「うん、単純な話だ。どうもウチの組織は内部分裂が起こっていたようでな。ついに二つの派閥が衝突、構成員もどちらにつくかで分裂、で、いよいよもって俺にこう言ってきた。どちらにつくか決めろ、とな」


 ブラックヴェイルの剣が、こつんと死体の頭をこづく。


「だから、全員殺してやった」


 あっさりと、ブラックヴェイルは言った。


「仕方なかろう、俺はどちらも好ましく思っていた。サトルスは俺たち皆の名前を覚えているし、気前がいい。フフ、やつの奢りで店を貸し切りにして騒いだ時は楽しかったな。オーノースは賢く文化に造形が深くて、色んなことを教えてくれた。学びも、遊びもな。それをどちらか選べなどと、無理な話だ。一方につけば一方が死ぬ。それを俺が決める?できる訳がないだろう。であれば――どちらも殺してやるのが俺からの手向けになるだろうよ」


 だから、殺した。

 二つの派閥のトップも、各々についた者たちも、ことごとく皆殺しにした。

 楽しく、後腐れなく、やってのけたのだ、このブラックヴェイルが。

 嫌なやつだ、とクラストールは思った。なんの恨みも憎しみもなく、むしろ愛情すらもって親しい相手を殺してしまうのだ。


「事情はわかった。だが私が取引先を一つ失った件はどうしてくれる?」

「ふむ……そうだな、俺にはどうしようもないが、こいつらの部屋にある金を幾らか持っていけば、当面の足しにはなるんじゃないか」

「わかった。それで手を打とう」


 クラストールは死体の山をいやいやと跨ぎ、部屋の向こうの廊下へと向かう。見送るブラックヴェイルに、ふとクラストールが振り返った。


「ここが潰れた以上、お前との縁もこれまでだ。もう私には近づくなよ」

「おやおや、一つ商売を潰したくらいで、根に持つ奴だな」


 そうじゃない、純粋にお前との縁を切りたいだけだ、と言いたかったのを堪え、クラストールは二階へと向かった。





 それから暫く、ブラックヴェイルは本当に会いに来なかった。人の話を聞く気がないやつのことだからまた顔をみる覚悟はしていたのだが。風のうわさでは、どこか別の組織に所属した、とか。別の層に移った、という話もあったが、クラストールは深くは追求しなかった。居ないならそれでいい。このままブラックヴェイルとは一生再会せずに、クラストールは己自身の生を謳歌するのだと――そう思っていた。


 だが、最悪の形で再会は成った。


 クラストールの暗い研究室の中、入り口から差し込む光が大きな影を作る。


「クラストール、久しいな」


 黒い機体は以前と変わりなく、享楽的に笑った。その目線の先には、膝から下を切断され、床に伏せたクラストールの姿がある。


「ぐっ、お、お前……何を……」

「ああ、何。要件を伝える前に逃げられては困る、と思ってな。安心しろ、殺すつもりはない。俺と貴様の仲だからな」

「なにを、ふざけたことを……」


 剣を背中の盾にしまうブラックヴェイルを、クラストールは睨む。怒りのこもった視線を意に介さず、ブラックヴェイルは積まれた機材の上にどっかりと腰掛けた。


「クラストール、誘いに来た。俺とともに、この五層を支配しようじゃないか」

「何を言っている……おまえが? アルマディスを倒す手伝いをしろと?」

「いいや」


 困惑するクラストールに、ブラックヴェイルは首を振った。


「今日から俺が、第五層主だ」


 クラストールは呆然とした。今日から層主だと?こいつが?こいつは――自分が知らない間に、こいつは今まで、何をしていたんだ?理解が追いつかない様子の古い知人をみて、くつくつと嬉しそうに、新層主は笑った。



(おわり)

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