第32話 限界かもしれません

 sideシェルト


 動揺するまわりの視線を無視して手前の料理から少量ずつ皿に乗せていく。

 薄くスライスした赤身魚を花弁のように巻いて魚卵を花糸に見立てたマリネ、カラフルな野菜が散りばめられたように固められた鶏肉のテリーヌ、カクテルグラスの中で5層に重ねられた野菜のジュレ、低温で長時間熟成させたであろうミディアムローストのお肉、そこまで取って皿を観察する。


 どれも芸術品のように綺麗で、主張してくる高級感が気分を高揚へと導く。観賞はほどほどにして口へと放り込む。


「───っ」


 美味しい。

 素に戻って顔が緩みそうだ。やはりブランドン様は腕だけは良いことが分かる。一つ一つ芸術品のように丁寧に作られている。

 特にローストに関しては微かに発酵の香りがするから腐る直前まで見極めて熟成させた渾身の物だ。何日も前から仕込むのは大変だろうなぁと感心した。


 しかし毎日これを提供するのは骨が折れそうだ。ベースはそのままに、もっと一品を作るためのパーツを減らすべきだ。

 食材も取り寄せではなく、市場で買えるものに替えて材料費を全体的に落とせば、一品くらいは高級品をだせるだろう。


 これからの騎士寮に必要なバランスを考えつつ、頭の中はアメリーの事に変わっていく。

 彼女に似たようなのを作ってあげたら喜んでくれるだろうか。どんな材料をどのように調理しているか想像しながら、よく料理を味わって研究しつつ、アメリーの笑顔を思い浮かべる。



 堂々と敵陣で食べる俺にブランドン様は目を見開いて凝視している。

 一方で、おっさんたちは裏切り行為と言える俺に対して怒り、顔を赤くしていた。


「おい、シェルト……なんでそっちに」

「お前が一番煮え湯を飲まされたのに」

「だって滅多に食べれない方を選ぶのは当たり前でしょう? これが俺の敗因ですよ」



 まさに半年前の騎士の心理だ。同じように美味しいとしたら、珍しい方へと人の心は動きやすい。それを当時は分かっていなかった。


 おっさん達をいなしながら新しい料理へと手を伸ばす。

 さぁ次はどんな味かなぁと楽しみにしていると、ブランドン様に待ったをかけられる。



「シェルト殿、どういうつもりだ。お前は私の料理を否定したというのに……今さら取り入って、何を企んでいる」



 真っ直ぐに視線を見つめ返す。貴族はみな察しが良いものかと思ったが、この人はまだ何も分かっていないらしい。


「答えろ……」

「ブランドン様と俺に足りなかったことを今しているだけですが?」


「は?」

「子供でも出来る歩みよりです。俺たちは相手の理想を少しも受け入れようとせず、自分の理想を押し通そうとした。その結果が現状です」


「何故今になってそんなことが必要なんだ。これは白黒つけるための選択のはずだ。もう……結果は出てるではないか」



 過半数以上が師匠のテーブルを選んでいる状況を見て、ブランドン様は苦虫を噛み潰したように顔を伏せた。

 面倒臭さを感じてしまうが、このままでは駄目だ。俺にとって望まないパターンにまっしぐら。ぐっと堪えて会話を続ける。



「本来は勝負する前に歩み寄るべきだったと申し上げたのです。あなた様は料理はできても、食堂の経験は皆無。どうやってやってけば良いか俺たちに聞かずに、初日から好きなことを強行した結果が、現状なのでは?」

「くっ……」


「そして俺も悪い。騎士たちが潜在的に目新しい料理を求めている事に気が付かなかった。そして伝統を守るためだけに意固地になって、譲歩することなくあなた様を全否定してしまい……結果は敗北。俺は現状への進行を早めてしまいました」

「私とお前が同罪というのか?」



 しっかりと首を縦にして頷く。ブランドン様も現状に後悔があるのだろう。真っ直ぐ俺を見て、口を一文字に悔しさを耐えている。


「ブランドン様は何のために美味しい料理を目指すのでしょうか? 己の腕を上げるため? 美食の追及でしょうか?」

「……」


 彼は一瞬だけ視線を泳がした。きっと打ちのめされて、以前持っていた誇りが揺らいでいるのだろう。本当は聞かせるつもりは無かったが、少しは語っても良いかもしれない。



「俺は騎士寮にいる間は騎士の笑顔と健康のためだと思っていました。だけど気づけば俺は驕りが出て、騎士たちにはとっくに誇りが伝わっていると思い込んでいたんです。だって毎日食べに来て、全部食べきってくれるんですから。それが当たり前ではないのだというのに……」



 思い知らされたのはにゃんこ亭に正式に雇われるようになってからだ。



「騎士の選択肢が食堂しか無いから全員来てくれるだけなのに、全員が俺の料理を認めてくれているのだと勘違いをしたんです。師匠たち先人が懸命に現場を整え、料理人を育てて、長年騎士から寄せられた信頼があったからこそだというのに。何があっても騎士は離れていかないと過信していたんです」



 きっとブランドン様も“外で食べれば”と強気で言えたのも、油断と慢心のせいだ。

 だけど人の入れ替わりが激しいにゃんこ亭で働いていると、騎士寮の食堂がなんて恵まれていたかを痛感した。


「接客については横に置いて……お店では味と量と価格のどれかに不満があれば2度とお客様は来ません。改善したことを伝えるチャンスすらありません。さて、騎士寮のご飯はそのバランスが取れていたでしょうか。ここでは改善をアピールできるチャンスがあるのに、活用できたでしょうか」


 常連客を増やすことの大変さを知った俺は、師匠と同じくマスターを尊敬して止まない。

 安定も大切だが、年中同じメニューでは飽きが来る。それを知っているからマスターは味を守りつつも流れに合わせて、少しずつ俺から新しいメニューを取り入れようとしている。

 ジャックの料理の勉強に貪欲な姿勢も、初心を思い出させてくれた。



「俺もブランドン様も、相手の変化に合わせる努力をしてきませんでした。現状を変えたいなら、自分が変わるべきだというのに。優先するのは何ですか? 食えない誇り? 食べられる料理? どちらでしょうか」

「両方だ……私は料理の真髄を見失っていた。情けないな」


 完全にブランドン様から敵意が消えた。あまりにもあっさり過ちを認められたので、肩透かしの気分だ。


「なんだその顔は。私が失敗を自覚しない人間だと思っていたな?」

「……」


 俺は何も答えず苦笑いを浮かべる。精霊の祭壇があるから、下手に“そんなことはない”とは嘘は言えない。つまり無言は肯定だ。ブランドン様は腰に手をあて、肩を落とした。


「はぁ……自業自得だな。経験の浅い私は急にレボーク伯爵の元で料理長になれると知って、プレッシャーを感じてきた。そして私の料理で食堂に新しい風を――と言われた意味を履き違え、強引に推し進め、若いから侮られないように間違った威嚇をしてしまった。全てを変える必要はないというのに……すまなかった」



 そうして平民相手に綺麗に腰を折った。お互いの高過ぎるプライドが邪魔していただけで、腹を割って話せば分かる人だったのかもしれない。


「頭をおあげください。償いは俺ではなく騎士寮に返すべきです」

「そうだな。ありがとう」



 こうして俺たちは初めて握手を交わした。

 まぁ、あとは未練のあるおっさん達を復帰させて、その人たちから必要最低限の伝統と味を教われば良いだろう。

 確執は完全に消えないだろうし、傲慢だった態度から騎士からの信頼を取り戻すのは苦労するのは想像に容易い。

 でも逃げずに打ち込めばきっと環境は変わる。



 ───パチパチパチパチ



 仕事をやりきった気分でいると、ひとりの拍手が静かに響く。手を叩きながら満足気に微笑み、先程まで傍観していた伯爵様が近付いてきた。


「ブランドン殿は副料理長に降格とさせてもらうよ。食堂の秩序を乱しすぎたからね」

「受け入れます。寛大な判断に感謝します」


 ブランドン様は手を胸にあて、従者のように頭を下げた。

 確かに甘い処罰かもしれないが、俺としては無罪放免にして欲しかった。

 そのために失敗を認めさせて改心へと誘導したというのに……伯爵様の次の言葉に備える。



「それにくらべてシェルトは外に出て成長したようだね。相手の失敗を責めるのではなく、自分の未熟さを認め、改め、ライバルと共有する。料理の大切さを知り、経験も積み、人の心も動かせる。どうだね……次こそ君が料理長をやらないかい?」

「お断りします」


 もっと丁寧に辞退するつもりが、反射的に本音で答えてしまった。伯爵様の笑顔が一瞬だけ固まったが、すぐに動き出す。


「それは何故だね。部屋は上質な場所になるし、従者もつける。給与は倍額にすることも考えているのだがね」

「俺もまだまだ未熟だからです。料理長を拝命する器では無いのでお断り……ではなく辞退させていただきます。俺は外の世界で、今までと違う新しい場所で可能性を試したいのです」


 キッパリ答えると、伯爵様は珍しく困ったように額に手を当てた。俺の帰る場所はもうここではない。後ろから師匠も現れる。


「儂が教え込んだのに未熟じゃと?」

「未熟だからこうやって騎士寮から俺は消えてるんですよ。師匠が俺が本当に一人前だと思ってたら、外からブランドン様が加入することを認めてませんよね? 新人嫌いの師匠がブランドン様をお認めになったのは、俺の料理の展開の行き詰まりを心配してたからでしょう?」


 今なら分かる。子を成長させるためのスパイスだったと。

 でも料理人が調味料の扱いを間違えてはいけない。

 一度加えてしまったら味は消えないし、きちんと放置せずに味見までするべきなのだ。

 しかし師匠はそれをサボったのだ。



 それに伯爵様が俺を見限ったのではないと知っても、打ちのめされた過去は忘れられない。


「……分かっておるなら」

「分かったのは今日になってからです。それまで気付けなかった俺は人の上に立ち、誰かを導けるまでにまだまだ達していません。それに俺はこの間にも大切な場所と人を見つけました。師匠はまたその人たちの気持ちを裏切ってまで、俺に戻ってこいと? 同じ過ちを繰り返せと言うのでしょうか?」


「……はぁ、旧友レボークよ。無理じゃ。儂は騎士寮よりも弟子の気持ちが大切じゃよ」



 俺の負けず嫌いを知っている師匠は、すすすと後ろに下がっていった。伯爵様は諦めず俺の顔をじっと見る。

 しかし譲る気のない心情を悟ったのか、深いため息をひとつして開き直りの微笑みに変わる。


「シェルトの決意が固いのは分かった。こちらにも非があるから、引くとしようか」

「申し訳ありません」

「いや私の認識も甘かったのだ。この年になって恥ずかしいことだよ。このパーティーのあと話をさせてくれるかね?」

「はい。ご一緒させてください」



 完全に和解とまではいかないが全体の対立の溝はだいぶ浅くなり、あとのパーティーは表面上は和やかに終わった。そのあとはレボーク伯爵様、師匠、ブランドン様、俺の四人でお酒を飲むこととなった。


 俺の突然のクビは領主代行のカルロス様の独断だったようだ。ロキュス・ブランドン様のご実家のお母様に“くれぐれも宜しく”と金を渡され、カルロス様は目が眩んだ。

 本来は俺が料理長、ブランドン様が副料理長にするところを勝手に変更。更にお金を手に入れるためにブランドン様を優遇するために、俺を追放したとのことだった。


 カルロス様は領地に関する権利をすべて剥奪され、監視のもと別領地で隠居にしたらしい。カルロス様と母親の所業をブランドン様は知らなかったようで、父親である当主に手紙を書くと息巻いていた。



「母親は子供を心配する親心、挨拶的な意味で渡したのではないのでしょうか?」

「シェルト殿、そうだと思いたいが目が眩むほどの金額となると……親心でしたでは終われない。どれだけの金を使ったのか。カルロス殿の行動を考えると怪しすぎる。レボーク伯爵はどうお考えで?」


「最初は子爵夫人も単なる親心だったと思うよ。しかし夫人は考えが足りないようで、親心を履き違えカルロスに言われるがままにお金を積んだようだ。無知という罪を裁くのは難しい」


「母上にはきっちり反省させます。父上もおそらく何かしら処分を下すでしょう。大変ご迷惑をおかけしました。私からは仕事できちんと償わせて下さい」

「いや、こちらこそカルロスの馬鹿がすまぬな」


 ブランドン様は生まれ変わったように、高潔になっていた。

 いや、慣れぬ環境で彼もまわりが見えてなかっただけで、これが本来の姿だったのかもしれない。



 そうして教育として師匠が1ヶ月ほど現場監督として食堂に復帰することで、とりあえず収まった。

 その後はしばらく料理長は不在で運営することとなった。復帰希望の料理人からもうひとり副料理長を選出して、バランスを取るために交互に厨房で指揮を取るのだ。


 次の日の早朝にお店まで馬車で送ると言われて、その夜は屋敷の一室に泊めさせてもらった。

 これで翌朝の出勤には間に合うと思って安心していたら――師匠が二日酔いで起きてこなかった。



「俺はにゃんこ亭に帰るんです! 離してください!」

「すみません! 俺たちの今後の食事の命運がかかっているんです」


「そんなの明日からだって良いではありませんか! 俺はにゃんこ亭に!」

「善は急げです。伯爵様の許可を得ておりますので逃がせません」


「はぁあぁぁあ!?」



 俺は予定よりも早く申し訳なさそうな騎士に起こされ、捕獲され、厨房に連行。そして厨房で従順な振りをして、アメリーに会いたい一心で逃亡を図ろうとしたがブランドン様やその一派に逃げ場を塞がれ……強制的に1日師匠代理として元来のやり方を伝授することになってしまった。


 やはりアメリーのご飯が心配で、にゃんこ亭代理人サミュエルさんに賄いレシピと伝言を託した。

 なんだか胡散臭さが気になったが、伯爵様の専属料理人のひとりだから腕は確かだろう。


 その後はブランドン様の一派に、帰れないストレスをぶつけるようにスパルタ教育を施した。引き留めた後悔で、もう俺に頼んでくることはないと願いたい。



 そしてようやく俺はアパートの前にいる。ふた晩会わないだけでアメリー不足が深刻だ。すぐにでも補給したいが今は既に深夜で、彼女はぐっすり寝ているだろう。そっと鍵を開けて部屋へと入る。玄関には温かな明かりが灯され、アメリーが待ちわびていたことが伝わる。


「ただいま、おやすみ」


 小声でリビングの奥に寝ているアメリーに言葉を呟く。明日の朝、内緒で帰宅したことを驚かせようと決めた。

 レーベンス邸でシャワーも浴び終えたから、あとは着替えて寝るだけだ。今夜はアメリーの使用済みカバーを抱いて寝ようなど考えてしまうような、疲れで回らない頭のまま、屋根裏部屋に伸びるはしごを登る。

 だからこの時俺は気付かなかったのだ。屋根裏部屋にも明かりが灯っていることに。


「――っ!」


 床から顔を出した瞬間、自分の布団で眠る天使が目に飛び込んできた。

 薄暗い部屋だというのにアメリーの金糸の髪の輝きは失われず、半袖からのぞく細腕の肌は闇とのコントラストで白さが際立っている。

 天使の寝顔は言葉では表せないほど尊い。眩しさのあまり、驚きのあまり、何本もの糸が切れる音が頭の中で聞こえた。



 確かにアメリーに警戒されないように今まで動いていた。お陰でアメリーは俺に信頼を寄せて無防備な姿を見せてくれるようになり、それが嬉しいと思っていたが……こんな時間にこんな所で無防備にならないで欲しい。

 寝顔は見慣れたはずだというのに、時間帯と場所が悪すぎる!

 出禁の警告が全くの無駄になっていた。衝動的な飢餓を感じ、飢えを満たそうと心も体もアメリーを欲している。


「くっ……」



 半年前は吊り橋を支えるほどあった俺の理性の縄は、もう蜘蛛の糸一本だけになってしまった。


 ───きちんと気持ちを確認してからよ。寝ているときに一方的に触れては駄目よ


 ───いや、両思いなのは分かっている。関係ないさ。優しい彼女は許してくれる


 その最後の糸を巡って、天使と悪魔が戦っていた。


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