第31話 どうやって帰ろうか

 sideシェルト


 アメリーが手に入る。ずっと願って、ずっと尽くして、ずっと愛しいと思っていた存在にようやく遠慮なく触れられる。

 そう歓喜にうち震えていたというのに冷水を浴びせられ、機嫌は過去にないくらい悪かった。



 クビになった時の比ではないくらいに、だ。



 だが邪魔者は感情を露にしていいお方ではない。冷静を装い、馬車に乗り込んで伯爵様の正面に座った。

 出発直前に聞こえたアメリーの俺を案ずる言葉が憤りを静めてくれた。今は心配する彼女のために早く帰ろう。そう思うようにした。



 わざわざ伯爵様自ら迎えに来たというのに挨拶も会話もない。彼はただ馬車の小窓から愛しそうに夕陽に照らされるレーベンスを眺めているだけ。

 その横顔を見ていると、本当に俺を見捨てるようなお方なのか不思議に思える。まぁ、放り出されたのは事実だから、今さら全面的に信じることはできない。

 気持ちを引き締め直すように膝の上で軽く拳を作り、それを見つめた。



 半年前まで勤めていた騎士寮を通りすぎて数分、レボーク伯爵のレーベンス邸に馬車は停められた。



「さぁ、皆で食事にしよう」

「……はい」



 急に向けられた今日一番の笑顔のお誘いに、嫌な予感がする。

 靴底が吸い付くような毛足の長い赤銅色の絨毯の上を歩きながら、伯爵様の背中に付いていく。



「猫のようにそんなに警戒しなくても、君に例の件の処罰はない。分かっているから安心しなさい」

「そうですか」



 猫を被っている自覚はあるから受け入れるが、昔から俺を猫に例える人が多い。


 犬に例えるどころか、犬扱いしてきた人はアメリーが初めてだった。

 そういえば出会ってまもなく「おて」とか「おかわり」までしてたなと思い出し、緩みそうな顔を奥歯を噛んで耐える。雰囲気に飲まれて変に緊張していた力がふっと抜けた。


 伯爵様の「処罰はしない」という言葉よりも、アメリーの過去の行動が冷静さを与えてくれるとは。

 アメリーを侵略しているつもりが、すっかり俺の方がアメリーに染まってしまった。

 やっぱり俺のやるべきことは変わらない。さっさと終わらせて帰ることが目標だ。


 あの台所でアメリーが料理できるとは思えない。そうしたら外食かテイクアウトに頼るだろうし、アメリーはひとりで外食できるタイプではない。

 帰宅が遅れた分、冷たいご飯が続きそうな予感がする。

 夏と言えど胃腸の冷えは女性の健康の大敵だ。まだ離れて1時間ほどなのにアメリーが心配で仕方ない。



「伯爵様、質問してもよろしいですか?」

「何

「処罰はないのに何故“皆での食事”が必要なのでしょうか。それとも処罰が必要ないからなのでしょうか」



 遠回しに伯爵様の意図を探るために質問をぶつけてみる。これは伯爵様が現在の騎士寮の現状を見て、俺を連れ戻そうとしているのか、単なる事実確認のために呼び出したのかを知るためのもの。

 少し待つが答えが返ってこないついでに、もうひとつ質問を重ねる。


「それとも本来の必要な人への処罰は済んでいて、その報告でもしてくれるのでしょうか?」

「うーむ。やはりシェルトは勘が良い。これからの君の行動で色々と決めるよ」

「そうですか」

「ははは、楽しみにしているからね」


 さすがと言うべきか。質問の意図も分かった上で、簡単には終わらないと笑って告げられてしまった。ヒントが貰えただけありがたいと思うべきなのだろう。


 やはり伯爵様には虚偽の報告がされていたのだと思う。今回の領地視察で現状をはじめて知り、急いで対応の途中と俺は見当をつけた。



 屋敷の奥へ奥へと進み、案内されたのは食堂ではなくパーティーホールの入り口だった。

 そして執事の手によって扉が開かれると、俺たちが最後の参加者らしい。天井から吊るされたシャンデリアは曇りひとつなく輝き目映く、すでに晩餐会用の長テーブルにはドーム状のディッシュカバーが連なり、まるで夜会だ。


 少し違うと言えば中央には火の灯った金の蝋燭立て、水が満たされた銀のゴブレット、様々な鉱石が縁を彩る鏡が飾られている。他にも漆黒のインクや白い砂も用意されていた。

 ある程度の加護持ちならあそこに強い精霊がいることが分かる。もしこの会場で悪意のある嘘をつくものが居たら精霊から攻撃をうける仕組みだ。

 加護持ちでなくとも、祭壇を見れば伯爵様がこの件を重く受け止めていることが分かる。


 全部を用意するのは大変だっただろうなと他人事のように眺めながらホールに足を踏み入れると、先客の視線が一挙にこちらへと集中した。視線の種類も様々だ。


 ホールの先客たちは複数のグループが固まるように分かれていた。ブランドン様のグループからは敵意の眼差し。元料理人のグループからは安堵の眼差し。騎士からは戸惑いの眼差し、それとは別に希望の眼差しを送るグループ。師匠からは落胆の眼差しと言ったところだろうか。



 全ての視線を受け止めて、歩みも止めた。

 伯爵様には料理への道を進むきっかけを与えてくれて感謝はしている。


 しかし今はもう伯爵様に仕えたいという情熱は沸いてこない。伯爵様そのものに忠誠を誓っていたというより、料理できる場への執着と混合していたのかもしれない。


 だが、師匠からの失望の眼差しは堪える。10年もの間共に暮らして、料理を熱心に教え込んでくれた人だ。

 俺は15歳まで料理をしたことがなく、パスタの麺すら満足に茹でられなかった。

 でもこの人が熱心に教えてくれたからこそ、料理への興味が湧いて、好きになったのだ。俺の人生の起点となった人だ。


 師匠の瞳を見て初めて気付くなんて、俺はやはり未熟だ。理由はどうであろうと結果的に俺は師匠の期待に応えきれなかったのだ。師匠の期待すらも最後まで信じられなかった自分を恥じた。

 ホールに入るなり、師匠に向かって深く一礼する。



 くすりと一歩前の伯爵様から聞こえた気がして、頭を上げる。だがその横顔は嘲笑うものではなくどこか嬉しげで、俺を入り口に残して壇上へと向かわれてしまった。

 それと入れ替わるように元料理人の仲間たちに囲まれる。


「シェルト、来たのか!」

「お前さんがきて良かった。伯爵様と先に何か話したのか? あの坊っちゃんシェフの暴挙を訴えたんだろ?」

「やっぱり伯爵様は騎士寮の現状に憂いてんだろうさ。やっぱりシェルトがいないとって」



 と目を輝かせて口々に期待を寄せてくる。申し訳ないが、俺はひとりの肩を叩いた。



「俺は直接、伯爵様に連行されただけです。馬車の中では一言も話してませんよ」

「「……はぁ?」」


 一回りは年上のおじさんたちの渋いため息が広がり、重い。皆はブランドン様の元から離れられて清々したと言ってはいたが、やはり騎士寮には未練が残っているのだろうか。

 そうするとテキトーに動いて、テキトーに退場しようと思ってはいたが出来なくなってしまったなぁ。

 このおじさん達にも俺は世話になった。これも伯爵様の思惑通りだとしたら、本当に油断できない。



 俺はもう一度まわりを見渡す。騎士の2グループは遠巻きに先程と変わらぬ雰囲気。

 ブランドン派はおっさん達のため息を見て自分達に有利な状況だと思ったのか、余裕のある侮る目線に変わっていた。おっさん達もそれに気づき、奥歯を噛んだ。



 この状況は面白くない。



 矢面に立つのは騎士寮に未練のない俺だけで良いだろう。だからブランドン派にあえて聞こえるような声の大きさでおっさん達に言った。



「でも伯爵様は一言だけ仰ってましたね。俺の行動で決めると……」



 片方の口角を上げて、ブランドン様に目線を送る。おっさん達の高まる気分とは反して、ブランドン派の顔から余裕が消えた。

 不思議なのはブランドン様本人の視線にはじめから侮りの色が見えず、神妙な顔をしていることだ。ちらっと横目で見れば伯爵様と師匠は面白そうにこちらを見ている。


「……うげ」

「どうした?」

「何でもないですよ」



 目線があった瞬間に伯爵様からウィンクが飛びだした。

 いくら容姿が良いからと言って、60歳過ぎの男のウィンクは誰得だ。


 しかも俺以外にはバレていない高等技術とかまで披露されてしまった。貰えるのならアメリーのウィンクが欲しいのに!くそぉ……でも、なるほど。俺は相手が貴族でも、ブランドン様を爪で引っ掻いても良いということは分かった。



「さてお集まりの諸君、聞いてくれるかな?」



 三段だけ高い特設の壇上から伯爵様がホールを見渡しながら口を開く。集められたメンバーを見る限り、騎士寮の食堂の話だというのは明白。



「現在のレーベンス騎士寮の食堂は随分変わったようだ。久々に訪れて驚いたのは私だけではない」


 まるで自分は今まで知らなかったと潔白を語り、伯爵様は師匠と目を合わせて頷いた。

 従兄弟で領主代理のカルロス様ひとりは顔色を失っている。黒幕は確定していた。

 カルロス様を処分するだけでなく、他者を多く呼んだのには理由があるはずだ。全員が耳を澄ました。




「そこでだ。私はこの経緯を効率よく平等に知りたくて皆を呼んだのだ。同じ皿、同じ樽の酒でもわけあって、語ろう。何故こうなったのか思い起こし、これからをどうするか。これは作る側だけの事ではなく、食べる側にも考えて欲しいことだ。さぁはじめようではないか」


 伯爵様が締め括りにシルバーの杖をトンと鳴らすと、使用人がディッシュカバーを外していく。料理がすべて現れると全員が一瞬の皿に行くべきか迷い、足を止めた。

 中央の精霊の祭壇の左には以前の騎士寮で出されていた昔ながらのメニュー、右には夜会や貴族のディナーのような今のメニューが並べてあった。

 おそらく左が師匠、右がブランドン様のお手製だろう。



 自分達がどちらの皿を選ぶかで、今後の食堂のメニューが決まると全員が思っている。元料理人のおっさん達は師匠のテーブルに進み、ブランドン派は自分達のテーブルに付く。


 騎士たちは両方の顔色を伺いつつ、やはり現状に不満を抱いているのか、過半数が師匠のテーブルに移動した。



 気付けばテーブルを選んでないのは俺とブランドン様だけだ。ブランドン様は祭壇を見つめ、拳を握りながら考え込んでいる。

 でも俺が選ぶテーブルは最初から決まっている。迷わずブランドン派のテーブルに爪先を向けた。

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