第18話 お怒りです


「嬢ちゃん、お水くれや」

「はーい」

「いやぁベッピンさんのお水は美味しいねぇ」

「何もでませんよー」


 冒険者はノリが非常に軽い。私は水をささっと注いでテーブルを離れる。



「ねぇ君の名前は何て言うの?」

「アメリーです」

「名前も可愛いんだね。ねぇ、今度デートしない?」

「ごめんなさい。デートする時間がないの」



 昼間から半分酔ったように絡んでくるお客様も増えてきた。まぁ前から時々あったことだし、看板娘の宿命だからと定型文で受け答えて適度に流している。

 でもシェルトの番犬センサーが働いているのか、チラッと厨房を見ると器用に料理を盛り付けながら、ハラハラと心配そうにこっちを見ていた。

 下げた食器をカウンターに戻すついでにフォローする。


「シェルト、心配しなくても慣れてるから大丈夫よ。それにもう行列もなくて、昼の営業もあと少しだし」

「慣れてるって……油断は禁物です。アメリーは可愛いから」


「でも今はマスターの手も空いてて睨みが効くから大胆な人は出てこないわよ。何かあってもマスターが何とかしてくれるわ。今までもそうだったもの」

「だと良いんですが……とりあえずハンバーグランチ2つ出来上がり。次フライ定食1つ出ます」


「はーい。お待たせしましたー!」


 結局シェルトの心配を解消できずに料理を運ぶ。運んだ先の常連客はマスターよりハンバーグの焼き加減が好みだと喜んでくれた人だ。とても仲が良さそうな老夫婦。


「いやぁ、本当に良い新人が入ったね。味を守りつつ、新しい付け合せも美味しい」

「本当ねぇ、お肉もふんわり纏められてて。さすがプロだわ」

「ありがとうございます。マスターも新人も喜びます」


 そして誉めながら、ポンとおじいちゃんが私の肩を軽く叩くのがお馴染み。冒険者が増えて並ばなければいけないのに、変わらず通ってくれる夫婦に私は癒される。



「お待たせしました。フライ定食です」



 そして、冷めないうちに次のメニューを強面の中年冒険者に運んだのだが……ポンとお尻を触られた。


「きゃっ!」

「初々しいなぁ、少し触ったくらいで」

「――なっ」


 私は触られたお尻を隠すように手で押さえ、一歩後ろに距離をとった。

 しかし冒険者が席を立つと体格の大きさを見せつけられ、もっと距離を取れば良かったとすぐに後悔した。


「さっきのじいさんも触ってたじゃねぇか」

「だってあれは肩で……」

「お、肩ならどれだけ触っても良いのか」



 冒険者の手が肩に乗せられ、首筋近くまで撫でられゾッとする。昼間からどこかでお酒でも飲んだのか、顔は少し赤くアルコールの香りも漂う。


「おい、お客さん。うちの看板娘は売り物じゃないんです。これ以上はやめて下さいな」

「あぁあん? うるせぇなぁ、店主は客の機嫌を取るもんだろうが」


 マスターが止めに入るが、近寄った瞬間に突き飛ばされてしまった。


「――うっ!」

「ジョーイ!」


 女将さんが駆け寄って支えるが、痛みで立てない。せっかく腰が治ったばかりだと言うのに、暴力的な冒険者に怒りがわく。



「マスターに何てことするのよ! 最低! あなたなんかお客様じゃないわ。出ていきなさい」


 まっすぐ出入口を指差して、退出をお願いする。強そうな荒い冒険者の暴力に巻き込まれるのが怖いのか、他の冒険者やお客様は逃げ腰だ。

 私は店員として他のお客様も守らなければという使命感を胸に、冒険者に向き合う。



「ほぅ、嬢ちゃんが付き合ってくれるなら出ても良いぜ?」

「――っ」


 舐め回すような気色悪い視線を胸元にぶつけられ、冒険者の手が伸びてくる。これ以上伸ばしたらペンで突き刺してやる! と覚悟した瞬間……



「あちぃ! な、なんだ!? あつぅっ!」



 冒険者の左こめかみあたりがぶわっと燃え上がり、髪が一瞬で炭になった。

 そして瞬時に右側も焼かれ、目の前には情けない髪型が完成していた。しかし火傷はしていない絶妙な火加減だった。


「なんで急に火が生まれるんだ。魔法を使ったやつはどいつだ!?」


 そうして周りを見渡すが、魔法に必要な魔導書を出している人は誰もいない。冒険者がパニックになっている間に私は距離を取る。


 魔導書なして火を扱える人間は火の加護持ちのみ。加護持ちのマスターを見るが、不思議な光景を見るように呆然としている。

 つまり思い当たる人はひとりだけ。私が振り返るとそこには厨房から出てくる魔王がいた。


「アメリー下がってて」


 見たこともない黒いオーラを纏うシェルトに私は息を飲む。そして言われるがままに後ろに下がることしかできない。


 パッと見では怒りの顔には見えないのに背筋が凍る。微笑むようにほんのり口角は上がっているのに瞳孔が開き、片手には焼かれた熱々のフライパン、そして彼の肩には真っ赤な羽根が生えたトカゲが乗っていた。

 その小さなドラゴンは冒険者に向かって威嚇している。



「お、お前、加護持ちか……しかも精霊を顕現できるほどの。おい、俺は単なる冗談で……ははは」



 酔っていて赤くなっていた顔は青ざめ、威張り腐っていた冒険者が後退る。

 戦いに慣れている冒険者でも魔法を司る精霊には弱いらしい。シェルトは冒険者を見下すような瞳のまま笑みを深めて一歩近づいた。


「喚かないでくださいよ……汚い手でアメリーに気安く触りやがって。アメリーを傷付けるなんて許さない。マスターにも危害を加えて最悪だ。さぁどうしましょうか……その汚い手、炎で焼かれるのと、フライパンで焼かれるの……どちらにします? あぁ、その汚い言葉を吐く口も火で滅菌しなければ駄目ですかね?」



 まるで純粋無垢な子供のようにフライパンを軽く掲げながら笑顔で冒険者に聞くシェルトに店内は凍りつく。

 店内の空気とは真逆で、彼の肩にのる火の精霊は好戦的にフライパンを熱々にするべく火を吐いていて戦う気満々だ。



 やばい……脳裏でにゃんこ亭の地獄絵図を想像してしまう。私が隙を見せてしまったせいで……可愛いにゃんこ亭が……っ!

 私はシェルトのご主人様よ! きちんとしなければと心の中で渇を入れて踏み出す。


「シェルト、もう良いわよ」

「アメリー……でも」


「私の言うこと聞けるわよね?」

「……はい」


 シェルトの背中に手を当てて「落ち着きなさい」と目で訴えると、彼は半ば諦めたようにフライパンを下げて、火の精霊も姿を消した。


 ホッとしたのは私だけではないようで、店内の緊張の糸が緩む。もちろん一番ホッとしたのは腰を抜かしている冒険者だろう。



「冒険者さん! さぁ帰ってください! 2度とこの店に踏み込まないこと。出禁の腹いせににゃんこ亭の悪い噂を流さないこと。他の店でも悪ふざけはしないこと。良いですか?」

「へへ、分かったよ。酔ってたんだ……悪かったな」


 ヘラヘラする冒険者の反省の色が薄い。これは再犯の可能性があるわね……と思ったのできちんと釘を刺す。


「もし、にゃんこ亭の悪い噂が聞こえたら貴方のせいにするわ。そしたら彼に狩りの命令を出すわね」

「ひぃっ」


 笑顔でシェルトをクイっと親指で差してアピールすると、冒険者は足を滑らせながら起き上がる。

 そして椅子にかけてあった鞄を抱えてまだ抜け気味の腰で扉を目指そうとする。きっと見えない私の背後には魔王が再降臨しているのだろう。彼の冷や汗が尋常じゃない。

 だけど私は重要なことを忘れてはいない。


「待ちなさい!」

「な、なんだよ! 俺はきちんと出ていこうと……!」


「代金支払いなさいよ。食べてなくたって、作ってしまってるしね。食い逃げ扱いで連行されたいなら別にそのまま帰っても良いけど?」

「く、くそぉ! 全部持ってけ!」


 そう言って財布をテーブルにドンと置いて風のように走り去ってしまった。はぁ、とんだ災難だったわ。

 でもにゃんこ亭が炎上しなくて良かった。胸を撫で下ろしていると、腰を擦りながらマスターが立ち上がる。


「いたた……アメリーちゃん、シェルト君、俺が不甲斐ないばかりに……」

「マスター! 私こそ絡まれてしまってごめんなさい」

「アメリーちゃんは何も悪くないさ」


 そうしてニカっと笑いながら、気遣うように私の頭をわしゃわしゃと撫でてくれる。

 しかし、ハッとしたようにマスターは私の背後に立つシェルトを見上げる。


「マスターは気安くないので大丈夫です。燃やしませんよ」

「ははははは! だよなー焦るわー! いやぁ~強力な番犬は頼りになるなぁ。今後はうちの店に横暴なものは強気でお断りだ。安全な良い店になるぞ!はははは」


 マスターの豪快な笑い声が店内に響くと、緊張しきっていたお客様たちもホッとして笑いだす。

 しっかりとシェルトの反撃で生まれた恐怖心も、頼もしさに変えるフォローもしてくれた。


「おいテレサ。冒険者の財布にどれだけ入ってる?」

「はいはい、見てみますね……ってまぁ!結構な大金よ!」


 難易度の高いクエストにでも成功したばかりなのだろうか、女将さんが財布を開けるとたんまりと硬貨が入っていた。

 するとマスターは店内をぐるっと見渡し、注目を集めるようにテーブルを強く叩いた。


「お客様には迷惑かけた! だから今店内にいる人たちは無料でどうだろうか! ついでに果実ドリンクもサービスだ。だからこれからも、にゃんこ亭を宜しく頼めないだろうか」



 一瞬の静寂のあとお客様からは大歓迎の拍手と歓声が沸き起こる。


「さぁ、あと一踏ん張りだ」

「お客様は飲み物を選んで下さいねぇ~」


 マスターと女将さんが動き出す。シェルトは私を名残惜しそうにしながら、厨房に戻っていった。シェルトには疲労の色が見えたが、なんとかその日は無事に昼の営業を終えた。


 この事件がきっかけでセクハラされることは一切なくなった。また私が『狂犬の飼い主』として、シェルト本人以上にご近所から恐れられる対象になったということを知ったのは数日後の話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る