2021/06/05:やるき。――――――――――――――――――――#自説

 今日はなんだかやる気が出ない。そんな日もあるだろう。

 斯くいう私も今日はやる気がない。夜更かしをしているからだ、という言い訳も考えたが、そもそも日中に書かなかったのだから、今日はやる気がなかったのだろう。


 どこで聞いたか忘れたけれど、やる気は行動し始めてから湧き出してくるそうだ。しかして一切のやる気がない人間は行動しないのだから、どうにか行動に繋がる意識を持たなければならない。


 取り敢えずこの理論が正しいということは誰もが経験している筈だ。始めるまでに2時間かかった宿題もやり始めたら一時間集中してこなせる。体育のランニングがいやだいやだと言いつつも走り始めたらしっかり指定の距離を走り切る。


 では、行動を開始する方法を考えよう。

 つまりしたくないことを少しでもいいから進める方法を考える。したくないことは基本的に時間が掛かる。例えば一時間かかるであろう宿題に取り掛かりたくはない。で、あるならば、全てを達成しようとしなければ実質の行動量を減らすことが出来るので、少しならやるかと行動するかもしれない。

 でも短時間でもしたくない事はある。ランニングは10分だとしてもしたくない。こういったものに関しては、逆に10分で終わるのだと考えたほうが良い。走っている間は長く感じるが10分だけだと思えば短く感じる。つまり行動量の指標とする数値を変えることで、なんだか量が減ったように錯覚させるのだ。2kmは長いが10分は短い。お茶を汲むのが面倒くさいと思ったけど20秒で終わるんだから気にしない。


 ところで、今日の私が行動の起点としたのは何であろうか。簡単だ。これを習慣として一日と欠かさず書いていたからだ。欠くことが苦手な私は一度始めてしまうとなかなかやめられない。有言実行といえば奇麗だが、何も捨てられない人間だとも言い換えられる。自分に不要な習慣は捨てるべきなのだが、どうにも変えたくないと思ってしまう。


 正しい取捨選択の能力は有言実行より貴ばれるべきだ。断捨離なんて言うのが流行った事もあるけれどそれとは違う。断捨離とは必要な物だけを残すこと、取捨選択とは必要そうな物を残すために不要そうなものを捨てることである。微妙な差異だが注意したい。

 毎日更新される小説を読むことは果たして不要であろうか必要であろうか。時間が無いのに読んでしまうなら不要であろう。時間があるなら捨てる必要がない。そう思うと、どれくらいの時間が小説に当てられているかを一度計測するといいのだろう。


 閑話休題。やる気の話をしよう。

 書く前には、というか冒頭を書いている時は余りにもやる気がなくてどうしようかと思ったが、書き始めて幾らか経ったらなかなか書ける。やはり初動が肝心なようだ。


 まあ、この文章を書く以外にもすべき事はあるのだけれど、そちらはできそうにもない。やはり私は時間的制約が無いと行動できないのかも知れない。真綿で首を絞められるように、私は自由によって徐々に自由を失っていく。


――――――


 家に帰ってから書くとき、執筆し始める時刻を決めていないせいか、徐々に後回しにされていく。


「……私がしたいこと、か。」


 後回しにするということは、執筆に積極的でないということだ。もしくは優先順位が低いと言ってもいいだろう。確かにこれは本来書きたかった小説とはズレていて、目標を達成しているとは言えない。それでも続けるのは自説で述べた性格によるのだろう。


「小説を書きたい。」


 言葉にしてもあまり実感はわかなかった。具体性が無いからか、本当は書きたくないのか。


「自分のことが判らない。」


 むしろ何なら判っているのだろう。

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