2021/05/22:情報を得る。――――――――――――――――――#自説

 何か行動すると情報を得られる。では、その情報が真実であるか否かをどうやって区別しよう。


「あの子、彼氏いるんだって。」


 そういう言葉を小耳にはさんだとき、貴方は信じるか。もしかして、話者が信頼に足る人物かどうかで情報の是非を決定していないだろうか。


 上記の発言を精査してみよう。まず初めに注意すべきは伝聞調なことだ。つまり、話者自身が手に入れた手段について知りたいところだ。これは情報源の先端を探ることに外ならない。もう一つ発言内容から予想できる事は「あの子」と話者は親しくなというものだ。友人に指示語は用いないだろう。以上から、話者の発言に信頼性はない。


 こういった合理的な思考によって情報の是非を決定するのも良いだろう。しかしこういった合理的判断をし続けるには高度な知能が必要だ。その辺の雑草には達し得ない境地であり、身の丈に合った取捨選択の手段を持つ必要がある。


 一番簡単なのは、人自体を信じる事だ。彼が言っているのだから正しい。彼女は嘘ばっかりだ。記憶が鮮明か判らないが、子供のころ、親に言われたことに疑いを持ったりしなかっただろう。しかし、ほんの小さな嘘を父が口にした時、父を全く信じられなくなった。つまりは情報自体を精査するのは諦めて、人自体を精査しようという考え方だ。

 恐らくほとんどの人間はこのようにして情報を得ている。ニュース番組は嘘をつくはずがない。先生が間違えるはずがない。〇〇社の製品だから大丈夫。占い師はこういった思想を元に人を騙す。誰にでも当てはまるような簡単な質問から、言葉の裏を読んで性格を当てるまで、技術力はバラバラだが、初めて相対した人に信頼を植え付け、最終的に騙す。この人が言うなら本当なんだろう。そう思い込ませるのだ。


 色々なことを正しく知っている人間は、信頼に足る情報源を持っている。また、どうでもいい話をよく知っている人は、知る事自体を楽しんでいるだけで情報が正しいかなどに興味はない。

 こう思っていると、普段から上記の発言みたく喋っている人が居ると、その人の情報には信頼が無いなと感じるだろう。しかし、彼女がどういった背景を元に話しているかなんて判らないのだから、その判断は早すぎる。人を判断するのは相対してからにした方が、貴重な情報源を失わずに済むし、正しく判断できる。


 ところで、この話を読んで、まるでこれが唯一の正解だなんて誤解している人はいないだろう。この文章はあくまで一人の人間が頭の中で考えただけなのだから、他の人の構想なんかも聞き、自身の中で理論を再構成してほしい。

 信じていい人を信じるには、信頼に足るかを見極める観察眼を持つしかないのだから、いくらかは情報を自身で精査できなければならない。


――――――


 小学6年、担任だった先生が嫌いだ。私が小学生だからか知らないが、話を全くきかず、自分の中で決定されている罰を生徒に押し付けるだけだったからだ。小学生である当時ですらそう思ったのだから、相当な物だろう。


 私は算数ドリルをどうせ間違えないからとボールペンで書くような変な生徒だった。ボールペンの書き心地にはまっていたのだ。このことを先生は咎めた。しかし鉛筆で書く合理的な理由は述べなかった。「間違えたら消せない」といわれても、そこに一問も間違えていないドリルがあるじゃないかと思っていた。結果として、怒られるのが面倒だと悟った私は鉛筆で書いた。


「いま思うと、私の説明不足だったのかな?」


 小学生相手に説明不足という評価は酷だが、先生は生徒の思考を正確に読まないといけないのも酷だ。そういう意味で、コミュニケーション能力のある人間は全てにおいて効率的に生きていけるのかも知れない。一人で情報収集し、考えを巡らすには限界がある。話したい事を全て伝えられる人間が羨ましい。

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