23 ひび
「てっきりオズワルドはお弟子さんの顔見せもかねて来てくれたのだと……」
「ただの学生です。魔術師を目指しているというので実際にどのようなものか知ってほしくて連れてきました。いわゆる社会見学ですね、ええ」
初耳ですけど? という目でアクロはオズワルドを睨んだ。
だがすぐに表情をころりと変え、愛嬌のある笑みで彼女は頷く。
「弟子候補としてぜひ師匠となる人の仕事を見ておきたくて」
「ただの学生だろうがお前は」
やりとりを見てクラリスはくすくすと笑う。
「一時期に比べるとずいぶん明るくなりましたね。元気そうで安心しました」
「まあ……その節はご迷惑をおかけしました……」
アレキが亡くなってから大学に講師として呼ばれるまでの数年、オズワルドはほとんど人と接することなく暮らしていた。
論文を書いたり、下読みや添削を請け負ったり、翻訳をしたりと仕事はあったので生活には困らなかったがあまりに人前に出ないので一時死亡説が流れていたぐらいだ。
そんなオズワルドを心配して、クラリスは頻繁に訪ねたり手紙を出してきていた。彼女の気遣いがなければ食事を忘れて干からびていただろう。
「ちゃんと食事はとっているのでしょう? 朝は何を食べました?」
「コーヒーを一杯……」
「……オズワルド、『コーヒーは食べ物では』?」
「『ありません』……」
小さな子どもと約束事をしている母親のような会話に、アクロはなんとも言えない顔をした。これが魔王を倒したパーティのふたりである。
クラリスにとってオズワルドは仲間であり弟のような存在だ。小言のひとつは言わないと気が済まないのだろう。
「ルミリンナさん。この人本当に不摂生が服を着たような方なので、もしお暇があればパンを口にねじ込んであげてくださいね」
「はい、シスター」
「うちの生徒に変なことを吹き込まないでください」
応接室に通される。
中にはマザー・ベルリカが座っている。どこかぼんやりとした様子で宙を見ていた。
「マザー。オズワルド・パニッシュラ様ですよ」
「……」
「マザー?」
「あ、あら。嫌だわ、私またぼうっとしてしまって……」
恥ずかしそうにベルリカは笑う。しわだらけの顔や手はあまり血色がよくない。
会釈をしてオズワルドは対面に座る。アクロも促されてその横に腰を下ろした。
「半年ぶりですねマザー。あまり体調が良くないようですが、大丈夫ですか?」
「私ももうおばあちゃんですからね。昔みたいにしゃきしゃきとは動けませんわ。シスター・クラリスのおかげでこの孤児院はまわせているようなものですし」
「い、言いすぎですよマザー。みなさんのおかげなんですから」
クラリスは照れたように話を変える。
「それで、オズワルド。今日お越しいただいた内容ですが……手紙にも書きましたが、もう一度口頭で説明しても?」
「共通認識は大事ですからね。お願いします」
「分かりました。――近頃、誰かが孤児院に侵入しようとしているのか塀の一部が壊されていたり結界が解かれようとした形跡があるのですよ。憲兵にも見回りの強化をお願いしましたが、やはり不安ではあるということでオズワルドに依頼をいたしました」
「俺は結界の強化をすればいいんですね?」
「そうです。あなたの魔術を破れる人なんてそういませんからね」
毎回オズワルドの魔法陣を破壊しているアクロは目を伏せた。
オズワルドは今のところ魔王とアクロにしか魔法陣を破られていないのでこれといって気にはしていなかった。そもそも『破壊できないはずのものを破壊する』という意味の分からない突破方法に対処法を持ち合わせていない。
「では早速見ましょう」
「よろしくお願いします。マザー、パニッシュラ様たちをご案内してきますね」
「ええ、クラリス……」
3人は応接室を出る。子どもたちにすぐに付きまとわれたが、他のシスターたちが引き剥がしてくれた。
周りから子どもたちがいなくなったことを確認してからオズワルドはクラリスにささやく。
「マザー、だいぶ体調悪そうですね」
「そうなんですよ。心ここにあらず、みたいな日が増えてきましたね」
「俺よりクラリスのほうが治癒師や薬師の知り合い多そうだからあまり手助けはできませんが、必要ならば頼ってください」
「ありがとうございます、オズワルド」
門を出、外側の塀の状態を見ていく。
意図的に作られたようなひび割れがいくつか見られた。わずかに眉をひそめるも、オズワルドは口に出さない。
彼は杖を出して補修していく。
普段、例えば大学の壁に巨大な穴が開いていてもオズワルドは直すことはしない。自分が契約した仕事でないこともそうだが、『専門の魔術で生計を立てている者の前では技をひけらかすな』と師匠にきつく言われているのだ。人生をかけて習得したものを目の前で片手間に使われるのは誰だって嫌だろう。だから、必要以上に専門的なことはしないようにしている。
この場にはクラリスとアクロしかいないのでやりたい放題だが。
「ほつれが多いな」
眼鏡をずらし、オズワルドはうすぼんやりとした結界を観察する。
二重三重にも張ってあるのでまず侵入は出来ないとしても――結界を本腰入れて破壊しようとしているようには感じられない。手当たり次第に傷つけている印象が強かった。
ささいなほつれがなければあと一年は問題なく使用できただろう。
「まんべんなく壁に傷がつけられていますね」
アクロはぼそりと呟いた。
オズワルドが結界を見て感じていることを、彼女は壁を見て気付いたようだ。
「結界が薄い場所を探していたのでしょうか? でも手あたり次第すぎますよね、侵入するならもうすこし計画的にしてもいいと思うのですが……」
「ああ。爆破系統の魔術も、塀を乗り越えようとした形跡もない。ばか真面目に壁を壊して入ろうとしている意図が分からないな」
困った顔でクラリスは自分の頬に手のひらを当てる。
「理由が不明だと気持ちが悪いですね。てっきり子どもたちを誘拐するために侵入を試みているのかと思っていました」
「奴らはプロですからまず壁が壊されたなどを気付かれる前に遂行しますよ。さすがに最近は警備を強化していますからそのような誘拐事件はないですが」
孤児院から誘拐した子どもは金持ちや特殊性癖者や近隣国に売られていく。
特に亜人は高値で取引されるので、カサブランカ孤児院は強い防犯管理をしている。
「うーん……壁を壊したいだけとか?」
アクロは首を傾げる。
「なんのために?」
「そこまでは……。面白半分とか、そういうのかもしれません」
ふたりはクラリスに顔を向ける。
壁を無表情で眺めていた彼女は、視線に気づき眉を下げた。
「どちらにしろ、困りますね……」
「全部直して、結界を上塗りしましょう。魔術師が5人がかりで攻撃してこなければ破れないぐらいの強度にはなります」
「やけに数字が現実的ですね、先生」
「昔ちょっと怒らせて魔術師5人がかりで攻撃されたことがあるんだよ。若かったな」
「若いで済ませられるんですか……」
「あなたは本当に人を煽るのが得意なんですから……」
口々に言われながら、オズワルドは外の壁の補修を終わらせていく。
最後のひびの前に立ちふと思い立ってアクロへと振り向いた。
「ちょっと杖を出して構えてみてくれ」
「え? はい」
素直に杖を出し、前に掲げる。
オズワルドはアクロと壁を交互に見たあと「もういいぞ」と声をかける。
「なんですか今の」
「お前に任せようか思ったんだが、仕事が増えるだけだと思い直した」
「失礼ですね」
滑らかな壁に戻すと、オズワルドは息を吐く。
「さて、次は内側から結界を張りましょう。クラリス、この土地のおおまかな中心部分は分かりますか?」
「もちろん」
にこやかにクラリスは首肯する。
その唇の端がわずかに緊張していた。
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