6 宝石糖

 翌日の昼時。

 オズワルドの部屋に居座る学内妖精がそわそわと部屋を飛び始めた。

 魔力を糧にする幻想種にとって魔法大学は穴場だ。害を与えることを大学側で禁じているためにあちらこちらで妖精が好き勝手に活動している。基本的にいたずら好きだが。懐くと手伝いをするようになる個体もおり、休校や講義室変更の張り紙を掲示板に貼る働き者もいる。

 この学内妖精は静かな寝床を求めてオズワルドの研究室に住み着いている。そして最近は――


「こんにちは! 弟子にしてください!」

「帰れ」


 少しでも解除法を間違えたら指先が痺れるように細工した魔法陣をあっさり破壊し、アクロが入って来た。

 そろそろ強制解除で爆発するのも考えてもいいころかもしれないと真顔でオズワルドは術式を思い浮かべていた。


「今日はお土産も持ってきました」

「帰れ」


 得意げに小さな紙袋を見せてくる。


「食堂のおばさまが試作品だってくれたんですよ。雨粒石みたいなお菓子でかわいいです」


 取り出したのは半透明の砂糖菓子だ。

 はめごろしの窓から入りこんできた陽の光を浴び、きらきらと輝いている。


「宝石糖か」

「あれ、知っているんですか?」

「……まあな」


 砂糖と海藻から取れる物質で作る菓子だ。

 幼少期、オズワルドが機嫌を損ねると師匠の【紫煙の魔術師】はよく甘いものでご機嫌取りをしていた。その時に一度や二度、宝石糖を与えられていた記憶がある。

 学内妖精が早く寄越せとせっついている。大きいかけらをアクロが渡すと、嬉しそうに両手で抱えて棚の上へ飛んでいった。渋い顔で見送り、アクロに視線を移す。


「おい、餌付けするな。魔力だけで生きていけるんだからなそいつらは」

「楽しみがないと生きていけませんよ。人間だってそうでしょう?」


 一瞬、あの日の屋台の喧騒が、匂いが、記憶から浮上した。

 にぎやかな雑踏。色とりどりの空。肉の熱さと油気。そして――アレキの笑い声。


『オレたち、はち切れそうなぐらいに使命抱えているけどさ。たまにはこうして楽しまないといけないと思うんだよ』


 今思えば、あれはアレキなりにオズワルドを気遣っていたのだろう。

 年相応の少年の顔は求められておらず、勇者パーティーの魔術師としての振る舞いを求められていたオズワルドはあのころ確かに疲弊していた。

 ……もしかしたら、クラリスも気づいていたのか。分かっていながら、ロッダムと共にふたりが祭りに繰り出すのを黙って見ていたのかもしれない。


「先生も食べますか?」


 無邪気な声にはっと我に返る。

 アクロが紙袋を差し出していた。


「なんか……甘くて……甘いですよ!」

「味の感想が下手くそすぎやしないか」

「とにかく食べてみてください。改良の余地ありっておばさまも言ってました」

「食べてもらいたいならそれなりの言葉選びをするべきだろ。食わないからな俺は」


 明日の講義で使う資料を眺めながらオズワルドは息を吐く。


「いい加減に魔法陣を破壊するのを止めろ。おてんばすぎるのも考え物だぞルミリンナ」

「……あの」

「ん?」

「アクロでいいです。アクロと呼んでくれませんか」

「なんだと?」


 少女の顔つきには似つかわしくない、取りつくろった笑みでアクロは言った。


「いえ、まあ……これは優先順位の低い、ただのお願いで、無理は承知しているんですが……」

「弟子にしろっていうのも大概だろ」

「それはそれとして」

「なんなんだ」


 宝石糖をしゃりしゃりと食べる。確かに改善の余地ありかもしれない。「食べてる……」と聞こえた気がしたが無視する。

 妖精がもっと渡せと肩で騒いでいるので小さめのものを押し付けた。


「もしかしたら周知の事実かもしれませんが、わたしはルミリンナ家の養子なんです」

「初耳だな」

「そうでしたか」


 貴族の世界には珍しいことではない。優秀な分家の子どもは本家が引き取って育てることがある。

 アクロも飛び級するぐらいだ、優秀と認められ引き取られたクチだろう。


「きょうだい仲は良かったのですが、養父母と折り合いが悪くて……あ、仲は悪くないですよ。ただちょっと、あんまり関係はうまくいかなかったといいますか」


 普段ははっきりとした口調で話すアクロには珍しく、口ごもった喋り方だった。


「だからあまり家名で呼ばれたくないと」

「……そうなります」

「教授が生徒を名前呼びするというのは世間体が悪い。我々は近しい関係でも対等な友人でもなく、教える側と教わる側だ」

「はい……」


 他のフレンドリーな教授は研究生を名前で呼んだり砕けた話し方をしているようだが、人によりけりだ。

 オズワルドは人と深い関係になるのが面倒くさくて常に一線置いている。——ほかにも理由はあるが。


「貴族扱いされたくないなら常日頃からそうしている。ただの学生として扱ってほしいなら、それはもう達成されていると考えていい」


 墓場に侵入したり弟子にさせろと通い詰めてくる学生は「ただの」というレベルではないとしても。


「ごめんなさい、変なこと言って」

「謝らなくていい」


 こいつにはこいつなりに悩みがあるのだな、とオズワルドは舌で宝石糖を潰しながら考えていた。

 飛び級するほど優秀で、しかし実家とは折り合いが悪く、地位も名誉も欲さずオズワルドの弟子になりたいとのたまう少女。

 まったく意図が不明であった。


「それに――やすやすと魔術師に名前で呼ばせるな。呪術学でも習っただろう、名は強力な呪いの道具だ。呼んでもいいと許可を出したならあとはもう呪術かけ放題でとんでもないことになるぞ」

「でも先生はわたしを呪わないでしょう?」

「どこから来るんだその自信は……」


 学生を呪う気は毛頭ない。

 課題提出を送れたばかりか半分も埋めていないばか共を呪っていいならとっくに呪っているとしても。

 アクロは少しのあいだ視線をさまよわせて、パッと笑顔に戻った。


「……なんか変な空気にしてしまって、申し訳ないです。また明日も来ますね!」

「……」


 元気に部屋を出ていった彼女へ、もう来るなとお決まりの言葉をどうしてか投げられなかった。


「——ああ……」


 ふと、清掃員に聞いたことをもう一つ思い出した。情報通とはいえ学生全員のことを知っているわけではないが、飛び級で入学してくる者はわずかなので印象に残りやすいらしい。


 アクロ・メルア・ルミリンナは一族でも突出して天才であると。

 それゆえに、『魔物の子』と呼ばれているのだと――。


「魔法が得意すぎると、言われることも一緒なんだな」


 ぼやきとともに最後の宝石糖をかみ砕いた。

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