第5話 研究室の困った状況を嘆く先輩と私

 席に着いた私たちは、ひとまず自己紹介を終えた。


 私と一緒に入ってきた少年はエミリオ・ヴィッセルーダ。驚いたことに本当に年下で、なんとまだ十四歳だった。中等部から飛び級で高等部に入学してきたらしい。……天才じゃん。


 頭を抱えていたダークブロンドの女子学生はリディア・セル・ヴィスタ先輩。貧乏男爵家の出身で、収入が安定して多い付与魔術師となって家計をなんとかするべく借金して魔法学園に入学したらしいが、ここでも研究室の予算で頭を抱えているという……なんだか不憫な人だ。


 のんびり屋の泣きぼくろのお姉さんはパメラ・エイル・パルフレン先輩。名前からして伯爵令嬢だが、実際苦労知らずの世間知らず、という雰囲気を全身から醸し出している。三年ほど留年していて来年には放校になってしまうらしいが、本人から危機感は微塵も感じ取れない。


「もう一人、今年魔道士科から移籍してきたオルティスくんって子がいるんだけどぉ」


 パメラ先輩の口からその名前が出た途端、リディア先輩が背負っている(ような気がする)暗黒のオーラが一層黒さを増した。


「オルティス先輩っていうと……錦秋の国エルグラントの第二王子として生まれさらに勇者として選ばれながら素行が悪く、授業のサボりすぎを風紀委員長に注意されて逆ギレして違法魔法戦を挑み、こてんぱんに返り討ちにされて拗ねて魔道士科を飛び出したっていうあの……?」

「こてんぱん……」


 エミリオくんの返しに、私は思わず遠い目になる。

 何その最悪としか言いようがない情報。


 ていうか風紀委員長ってクライスじゃん! 何やってんの! ……いやちゃんと仕事してるのか。しかし魔王が勇者をこてんぱんはマズイだろ。

 だ、ダメだこらえて私。今はどう考えても笑い出していい雰囲気じゃないし、よく考えたら笑い事でもない。


「えっとぉ、言い方は悪いんだけどぉ……」

「完全にその通りよ」


 パメラ先輩がふんわりとフォローしようとしたっぽいところを、リディア先輩が音速でぶった切った。


「あのクソ勇者! 人間の住むところじゃないとか言ってうちの研究室の予算で勝手に寮を改装しやがって……! 絶対に許さない!」


 リディア先輩の手の中で憤懣やるかたないというように持っていた書類が握りつぶされる。なんか「決算報告書」とか書かれている気がする。


「つまり僕が事前に得ていた情報と総合すると、こういうことですね。前述の理由によって魔道士科を飛び出したオルティス先輩はしかし他の科に勇者を育成するのにふさわしいカリキュラムもないため、一番やることがなさそうな付与魔術師科でとりあえず卒業だけ目指すことにした。当然まともに勉強する気もないため、他のメンバーに配慮することもなく勇者であり王族である自分の身分を振りかざして自分の住環境を良くするために我が研究室の予算を使い切った」

「使い切ったどころかマイナスよ!」


 リディア先輩はそのまま破り捨てそうな勢いで握りつぶした書類を広げて見せてくれる。


「つまりあのエセ勇者のせいで、我が研究室は火の車、借金まみれ、今年は勉学に励む間もなく借金返済に励まなきゃいけないってわけ! 学生の本分も忘れて! 先代の聖女様は力を失って下野されたそうだけど、むしろ幸運だったと思うわ。あんなのと結婚させられるなんてあまりにもかわいそうだもの」


 リディア先輩の口から急に聖女という言葉が出てきて思わずギクッとしそうになってしまった。

 聖女と勇者は、確かに結婚させられる。初代の勇者と聖女が結ばれたからそれにあやかってってことなんだけど、こっちにだって選ぶ権利くらい欲しいよね。


 聖女の力を失ってないことがバレたらアカン理由が一つ増えちゃったな。……マジで黙ってよ。いや、そんな理由なくても絶対誰にも言わないけど。


 それにしても、本当に勇者がそんなんだったら逃げ出せてよかったかもしれん。結婚に前向きになれる要素が今のところゼロどころかマイナスだ。我が研究室の予算の如く。


「それで、研究室の先生はどこへ?」


 エミリオくんが逸れかけた話題を冷静に戻してくれる。


「先生は……自分で使う素材は自分で調達してくるからまあいいかって言って……出て行きました」

「あの様子じゃ一ヶ月くらいは帰ってこないかもしれないわねぇ」

「なるほど、噂通りの方みたいですね」

「噂通りってどういうことですか?」


 なんかわかってる風のエミリオくんに、私は目をしばたたかせる。


「この研究室の責任者はディータ・トリビューティア。天才製本師ですが、天才ゆえに教えるのには向いていない方だとか。僕は教わるよりも天才の働きぶりをこの目にしたかったのでここを希望しましたが、思った以上に壮絶な状況になっていて驚きました」

「……研究室。希望」


 そんなことできたんか。森にこもっていたせいで魔法学園の情報はクライスがいるってこととあとは入学案内に書いてあったことしかわかってない。


「あなたは希望を出さなかったからこんなところに配置されたんですね。有名ですよ。ディータ・トリビューティアは教師としての評価は最低で、研究室は押しつけられた問題児のたまり場になっている、と」

「ええええええ!? 聞いてませんが!?」


 問題児!? 私が!? まだ何もやってないのに!?


「リディアちゃんはお金がなくてここしか選べなかったのよねぇ」


 パメラ先輩がにこにことうなずいている。なんかそれ……つまり、金の力で良い研究室に入るところから学園生活はスタートしてるとかそういう……? うわ、黒……


「ともかく、先生もいつ戻ってくるかわからないし、魔道書の材料もすべて差し押さえられています。この状況でうちの研究室に残ってとはとても言えません。事情を話せば今からでも移籍は可能だと思うので、申し訳ないけど……」


 リディア先輩が姿勢を正して私たちにそう告げる。しっかりしているというか、苦労しそうなタイプだ。


「先輩たちはどうするんですか?」

「私の卒業研究、他の先生たちには軒並み採点を断られているの。だから私は一縷の望みをかけて残るつもりよぉ」

「……私は移籍に出せるお金もないし、ここでなんとか立て直せないかやってみるつもり」

「先輩じゃないけど、僕も残るよ。配置換え申請も検討したいって言ったけど、ディータ・トリビューティアが夜逃げしたわけじゃないなら構わない。他の研究室で学びたいことなんてないしね」


 とするとあとは私か。

 正直に言ってしまうと、移籍しなくてもいいかな、と思う。製本の勉強はたぶん独学でもできるし、本音を言うと実はちょっとリディア先輩の力になりたいな、と思ってしまっている。

 昔からなんだけど、こういう真面目なタイプが困っていると、どうしても放っておけない気分になってしまうのだ。


 とはいえ、研究室の立て直しに奔走してクライスの様子を見る時間がなくなってしまっては本末転倒だ。


「……ちょっと考える時間をもらうことはできそうですか?」

「それは大丈夫だけど……移籍するなら早い方が新しい研究室に馴染みやすいと思うし、本当にうちはおすすめできないですよ」


 あっ、初対面の赤の他人に対するこういうストレートな親切さ、本当に好き。我ながらちょろいと思うけど、これはすぐ懐いてしまいそう。


「一学年上に幼馴染みがいるんで、他の研究室の様子とか移籍のこととか、詳しく教えてもらいながら考えてみようと思うんです」

「ああ……だったら安心かな。後悔のないように決めてくださいね」


 リディア先輩はほっとしたように微笑した。

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