第4話 研究室の困り切った面々と私

 何か困ったことがあればいつでもお呼びください、友人として最大限協力いたしますので、とめちゃくちゃ(うさんくさい笑顔で)念押しされたあとで、私はクライスと別れて所属する予定の研究室に向かっていた。


 クライスと別れた本部棟から研究棟へ行く渡り廊下の途中、校門へ続く前庭とその向こうに広がる雲海が見える。

 人質事件でゴタゴタしているうちにずいぶん高い所まで浮かび上がっていたようだ。


 クリュスタルス魔法学園は空飛ぶ巨大な古代クジラの背中の上に建っている。古代クジラの回遊に合わせて世界中を巡りながら、あらゆる知識を集め、守り、伝えていくことがこの学園の使命、であるらしい。そう学生手帳に書いてあった。


 それにしても古代クジラって本当にでかい。とても生き物の背中の上とは思えない広大さだ。


 ちょっとしたお城みたいな古風な本部棟、真新しい中等部と高等部の校舎、千年前に建てられたお城を利用していたけど老朽化が目立って閉鎖された旧高等部校舎、学園附属病院。


 他にも部活動用の部室棟が魔法サークルと体育サークル、文化サークル用の三つもあったり、それぞれ払える家賃に応じて豪華さが違う寮が五つくらいあったり、農園や先生たちの研究棟、ちょっとした城砦並みの大きさだけどそれでも場所が足りなくてさらに異界にまで書庫が広がっていると噂されている図書館に学園全体の生活を賄えるだけの品揃えと在庫を誇る購買部、広大な魔法実習用のグラウンドや魔法を使うのに必要なマナを供給するために残された原初の森などなど、入学パンフレットをざっと読んだだけでも施設の充実っぷりがすごい。

 それが全部、クジラの背の上に乗っかっているのだ。いや~すごいところへ来てしまった。


 神殿に引っ込んでいたり森の奥に引っ込んでいたりして全然人里に降りたことのない身としてはさっそく探検に行きたいところだけど、今は研究室に挨拶に行くのが先。これから三年間、お世話になるところだしね。


 というわけで、私は真っ直ぐ研究棟の一番奥にある付与魔術師科のラボへ向かった。

 廊下を歩きながら、属性魔法の研究室は主に野外でぶっ放す活動をしているので、研究室自体は実はおとなしいということがわかってくる。ラボの空気がヤバいのはむしろ錬金術師科や魔道工学士科だ。

 つまり、その流れだと私がこれから所属するはずの付与魔術師科もたぶんヤバい。


 なんとな~くそんな予感がしつつたどり着いた廊下の奥は……なんというか、魔が封印された洞窟みたいな風情があった。扉の前に積み上がった謎の資材と一面に貼りまくられた封印のお札ならぬ差し押さえの赤紙。

 ……どういうことだ。


 今すぐ回れ右したい気分になったけど、入学案内で指定されていた研究室は間違いなくここだ。

 恐る恐る近付いていった私は、謎の資材の影に一人たたずむ少年を発見した。


「すみませーん」


 先輩……いや同級生にしても幼い気がするけど、聞いてみないと本当のところはわからない。ふわふわのプラチナブロンドの後ろ姿に向かって私はまず声をかけてみた。


 ギギギと音がしそうなぎこちない動きで振り向いたのは、めちゃくちゃかわいらしい顔立ちの美少年だった。ちょっと生意気そうな感じが猫っぽい。

 ちょっと吊り気味の緑色の瞳も大きくて猫っぽい印象に拍車をかけている。

 毛並みの良い飼い猫、って感じだけど、なんとなく強そうというか賢そうというか、そういう雰囲気もあるかな。


「……この研究室の方ですか」


 少年は絞り出すような声で問いかけてきた。


「今日からそうなる予定……なんですけど」

「奇遇ですね。僕もです」


 呆然と赤紙の群れを見つめる少年に、私は勝手に共感の気持ちを覚える。僕もってことは私と同じ新入生か。見た目はすごい年下っぽいんだけど、見た目で判断しちゃいけないな。


「ま、まあでも入らないとどうしようもないし。一緒に行きます?」

「お願いします」


 先に立って扉を開けようとする私の背後から「予算使い切ったとは聞いてたけどここまでとは……」という不穏なつぶやきが追いかけてきた。


 いったい何だ!? 何か知ってるなら教えてほしい。私は何も知らない!


 動揺しながら入った研究室では、女子学生が二人、会議机を挟んで座っていた。

 恐らく魔道書の素材を詰め込んでいたのだろう棚は全部空っぽになっていて、部屋はものすごくがらんとしている。


 ダークブロンドを首の後ろで一つ結びにした女子学生は目の前に書類を広げて頭を抱えているから顔は見えない。


 もう一人はストロベリーブロンドに明るい青い瞳の出るとこはめっちゃ出て引っ込むところは引っ込んでいる、泣きぼくろも色っぽい美人なお姉さんだ。優雅に紅茶を飲んでいる。


「リディアちゃ~ん、お客様よぉ」


 泣きぼくろのお姉さんがそれはそれはおっとりとした調子で声をかけると、ダークブロンドの方ががばっと顔を上げた。

 灰色がかった青い瞳のまわりにかわいそうなくらい隈ができていることを除けば、これといって特徴のない、普通に良い子って雰囲気の人だ。


「も、もう新入生が!?」

「うん~。でもぉ、時間があっても私たちにできることなんてないし~」

「あああああ! 予算はマイナスだし先生は行方不明だしオルティスくんは逃げやがったしもう! もう私はどうすれば!」

「どうしようもないと思うわぁ。あ、二人とも、座って座って。お茶淹れるわねぇ」


 短いやりとりから二人の関係性とこの研究室の惨状がなんとなくわかってしまって、私は思わず少年と目を見合わせる。


「……とりあえず、状況を整理してから研究室の配置換え申請を含め、検討してみましょうか」


 少年は冷静にそう返してきた。

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