ケヤキの木の下で

横浜流人

第1話 楽しい話をしようじゃないか

 東京郊外にある広大な団地の中の公園に、一本の大きなケヤキの木があります。

 その高さは二十メートル以上は、あるでしょうか?

 樹齢は、千年を超えていると言われています。


 僕は、紘一(こういち)。小学二年生。


 僕は、悲しい時、辛い時、このケヤキの木の下で膝を抱えて蹲(うずくま)る。涙は、流さない。ぐっと拳を握りしめる。


お友だちと、ケンカをした時。

お友だちに、イジワルをされた時。

ママやパパに怒られた時。

先生に叱られた時。


 ケヤキの木は、枝に付けたイッパイの葉っぱをならして僕に話しかけてくれる。昔から、木の下で色んな人達がこのケヤキの木に話しかけてきたそうだ。

 ケヤキの木は、深くため息をつくように風を吹き流し、

「辛く悲しい話は、森の木の葉っぱ、夜空の星の数ほどあるものだよ!さあ、楽しい話をしよう!」

と、言ってくれる。

 僕はケヤキの木を見上げる。

「辛い話、悲しい話、そんなにイッパイ有るの?」


 ケヤキの木は、ゆっくりと話し始めてくれた。

「大昔から沢山、私の根元で色々な話があったんだよ。いつの時代でも悲しい話、辛い話はイッパイあるものさ。本当に気の毒なのだが、私には話を聞いてあげることしかできない。何も助けてはあげられないし、どう励ましていいものか?どうかも私には分からない。辛く悲しい話はもう、よそう!楽しい話をしようじゃないか!」

 僕は、その悲しい話が気になって聞いてみた。

 人の不幸を聞いて、自分を慰めようとしているのかもしれない。

 僕より辛い人がいるのだろうか?何だかワクワクする。

 僕は、毎日、辛い、悲しい事だらけだ。

「どんな、悲しい話なの?」


 ケヤキの木は、思い出をめぐらしながら、ゆっくりと僕に話を聞かせてくれた。

「むかし、むかし、男女の若者が私の根元で長~い間、抱き合っていた。女の人は、涙ぐんでいる。鎧姿の青年は、今から戦いに行かなければならない。若者は、その日に戦いに向かい、女の人は、毎日、私のところに来て、遠くを見つめて青年の帰りを待っていたよ。

 数日後、ボロボロになって傷ついた若者がやっと帰って来たんだ。刀を杖のように地面につきながら、よろよろと、女の人のもとに近づいて来た。その時だ!森の中から、猟から帰ってきた娘の父親が走って来て、その青年を槍で一突きしてしまった。娘を殺されると勘違いしたようだ。娘の腕の中までに、あと少しのところで、若者は血を吐き、地面に倒れてしまったのだよ・・・・・・」


 僕は静かに聞き入っていた。

 ケヤキの木は、もう一つ話を聞かせてくれた。


「最近では、ダンボール箱に入れられ捨てられた子犬の話かな。三歳くらいの小さな女の子のママが、私の根元に子犬を捨に来たんだ。小さな女の子が、毎日、その子犬の様子を見に来ていたよ。子犬は、女の子に家に連れて帰ってくれるように、クンクン泣いて訴えていた。女の子は、連れて帰るとお母さんやお父さんに叱られるから、といつも泣いている子犬の頭を撫ぜて悲しんでいた。そのうち、女の子は、来なくなった。

 後で私は知ったんだけれど、女の子の家族は引っ越したらしいんだな。子犬を引き取ろうと、何人かの人が、子犬に手を差し伸べて抱っこしようとしたんだけれど、そのたびに子犬は、その人に噛みついちゃうんだな・・・・・・女の子以外にはなつかない、心をゆるさないんだ。そして、そのうち、桜も咲いた春の日なのに大雪が積もってしまった。子犬は雪に埋もれて死んじゃったみたいなんだ・・・・・・箱の中は、見えなくなったんだ」


 僕は、その話を聞いてスゴク悲しい気持ちになった。


「楽しい話は、ある?」


と、僕はケヤキの木に聞いた。このままでは、ズ~ッと悲しい気持ちのままだと思った。


 ケヤキの木は、少しほほ笑むくらいに笑って

「さあ!君の楽しい話をしようじゃないか!聞かせてよ」

 僕は強く頷く。

「う~んっと・・・」

でも、僕にはナカナカ楽しい話が見つからない。

 僕は、本当に楽しくない生活をしているのだろうか?

 全く、思いつかない。

 こんなに、面白くない、楽しくない世界に僕は居るのだろうか?


 ケヤキの木は、僕の困っている姿を微笑んで見て、

「楽しい話は、一生懸命、考えるものではないんだよ」

そして、

「辛い、悲しい話も、そのうち楽しく話せるときがくる」

と言ったんだ。

「さっきの、昔の男女の若者の話。実はね、娘さんのお父さんの槍は、ヘッポコ槍で、とても人を殺せるようなモノじゃなかったんだ。若者が血を吐いて倒れたのは、戦場で散々、痛めつけられて、頑張って、頑張って帰って来て、娘さんの顔を見たとたんに安心して、気を失ったんだよ。その後、娘さんの手厚い看護と、周りのみんなの祈りと、協力で、青年は元気になって、二人は結婚したんだ。悲しい話も楽しく幸せな話に変わるんだよ・・・」

ケヤキの木は、懐かしく幸せそうに昔に思いをはせた。


「あ!それから、子犬の話。実はダンボール箱が雪に埋もれる前に、女の子のお母さんが、引き取りに来たんだ。引っ越しは、この団地では犬が飼えないので、ペットを飼えるところに引っ越したらしい。女の子も子犬も、幸せに今は大きくなっているようだ。時々、ここに散歩に来てくれるよ」

 僕には、そのお話は都合良すぎるように思えた。


「辛い、悲しい話も、そのうち楽しく話せるときがくる・・・ね?」


 僕にはよく分からない。悲しい話、辛い話は、いつもイツモ悲しく辛い。

 ケヤキの木は、また僕に言う。


「さあ!楽しい話をしようじゃないか!」


「楽しい話は、一生懸命、考えるものではないんだよ」


「今から、木の実をイッパイ落とすよ!どれだけ拾えるか?考えただけでワクワクしないか?」


「今から、そよ風が吹くよ。私の葉っぱが、ザワツクよ。この風は南の海から来るんだ!って、考えただけでウキウキして来ないかい⁉それに、風に揺れる葉には、太陽の光が反射してキラキラゆらめくよ、美しい世界だ」

「朝日、夕日、風になびく葉、空を流れる雲、川を流れる水、意識の焦点をしぼらないで、意識を周りに拡げて物をみて、その物ソノまんまを観る。不安な時って、考える点がつい不安な事ひとつにしぼられがちになるんだな。ひとつにしぼると、そこばかり気になってどんどん苦しくなる。それに、分からない事があった時は、無理して分からなくても良いんだ、どうしても分からなければ、分からないままにしておくといいヨ。分かろうとスレバするほど違うことを思い込んでしまったり、まちがった考えにおちいったりする。分からない事は、分からないでイイんだ」

そして、ケヤキの木は続けた。

「また自分のことについて、(自分はカッコいいんだ)と思われたい、とか、(自分が傷つくのが怖い)、とか、(周りの皆に自分は明るい性格なのだ)と思われたい、とか、(偉い人だと尊敬されたい)、とか、そんなことを思うようになると、自分の考えを人に押し付けたり、自分の期待通りに行かないと怒ったりするようになるんだな。悲しみに振り回されることなく、じたばたしても何も変わらない、ただ自分が疲れるだけなんだから。意識を周りに拡げて物をみて、その物ソノまんまを観る。さあ!楽しい話をしようじゃないか!」


 僕は楽しい話を考えた。別に一生懸命、考えたわけではない。

「ねえ、ねえ、僕の名前、紘一(こういち)っていうんだよ。お父さんは、浩二。僕の方が一なんだよ!面白いでしょう?」

 次々と出てくる。

「お母さんの名前は、恵子(けいこ)。イニシャルがK!父さん、母さん、僕、みんなイニシャルは、K!三人とも一緒!持ち物にイニシャル書いても誰の物か分からない」

 僕は、話しているうちにドンドン楽しくなってきた。

 色々、楽しい話が出てくる。全てそのマンマ!

 ケヤキの木は、微笑んだように見えた。

「さあ!楽しい話をしようじゃないか!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ケヤキの木の下で 横浜流人 @yokobamart

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ