第三章 十歳と十二歳

第1話 月の系譜「ご正室はなくとも、子を産める妾を適当にあてがっておけばよろしかろうに」

 乞巧奠で起こった事件は、内侍所から蔵人所へ抗議が入り、今上の耳にまで届いた。

 今上はまず西桃家当主を呼び、長男と三男の行いについて質した。

 その際、大典侍おおすけ蔵人頭くろうどのとうから上がった報告書も渡している。

 西桃家当主はこの報告書を読み、ひどく恥じ入った。その文書では乞巧奠の事件に端を発し、芋づる式に露見した悪行が書き連ねられていた。

 彼は紛れもなく息子の行いは犯罪であるという考え、司法の手に委ねると答えた。

 これをうけ、刑部省ぎょうぶしょうの法官は次の通り宣言した。

 曰く、蔵人の弁は蔵人の職ならびに左大弁を解任のうえ、西桃家に関わる権利の全てを剥奪、神祇省預かりとする。これにより、西桃家の次代当主は次男とする。

 三男の桃内については未だ元服前であるため、刑罰の対象とはしないが、紀瀬の道院へその身を一定期間預ける。

 今上帝はそれを認め、左右大臣ともに西桃家に罪はないという見解を示した。

 事の顛末については、尚書局により文書が残された。一の院の御陰みかげで好き勝手ふるまっていた一部の貴族たちは肝を冷やした。

 今上帝は昨年「貴族は平民より刑罰を軽くする」という特権を廃した。

 後ろ暗いところのある貴族は、一の院から今上への圧力を期待したが、洛外にいる先帝は酒色にふけり無関心であった。

 このひと騒動のあいだ、慌ただしく年は明けて、稚秋は十二歳になった。


 彼が十二歳になったらすぐに元服をするだろうと中央貴族の者は信じて疑わなかった。

 彼の御簾中(※嫡妻)となる姫の選定も行われるだろうと、年頃の娘を持った貴族はそわそわと落ち着かない。

 しかし、その元服がどうやら一年延びるらしい、という噂が宮中に入った。やがて今上帝もご承知のことと分かり、人々は肩透かしをくらってあれこれと囁いた。

「左大臣さまにとっては、遅くに授かった待望のご嫡男。ずいぶんとまた、のんびりしておられる」

「いやはや、どうやらご学問をもう少しなさりたいらしい」

「ご縁談がすべてお気に召さずにいるといるとか聞きましたよ」

「ご正室はなくとも、子を産めるおんなを適当にあてがっておけばよろしかろうに」

「おっしゃるとおり」

 公卿たちは牙笏を口元に翳して、高らかに笑い合う。

 真っ昼間に、しかも朝堂のすぐ傍の庭でしゃべり散らすことだろか。

 校書殿に借り物を返しに来ていた稚秋は、柱の陰で顔をしかめた。

(俺は種馬かっつーの)

 十二歳になったばかりの男児の彼是あれこれが取り沙汰されるのは、建国の神語かんがたりに起因する。


 神代のおわり、天女神が天地あめつちさかい大斎原おおゆのはらに降り立った。

 その大斎原おおゆのはらで天女神を迎えたのは、中つ国の男神であった。

 十二の国に分かれ戦を繰り返す世に終止符を打つため、女神に助力を乞うたのだ。

 天つ神と中つ神の誓約うけいが為され、女神は己の御子を天降らせた。

 輝女王かぐめのおおきみ月白王つきしろのおおきみである。御子たちは、隠世こもりよの王子・龍速王たつはやのおおきみの手を借り、荒れた地上を平定した。

 やがて、輝女王の息子が月白王の娘を后に迎えて最初の『帝』として立った。

 ヒトの世のはじまりに立った紫皇帝は、月白王を『宰相』、龍速王を『将軍』として千代に八千代に続く皇国の礎を築いた。

 月白王は一の臣として皇に忠誠を誓い、天女神から与えられた神藤みふじの弓を四人の息子に伝えた。そこから藤の四家がおこり、今に残るのは北家・南家のみとなった。

 一の院の御代において、藤南家ではついに嫡男に恵まれないまま、皇子を養子として皇族藤氏となった。

 当今において月白王の直系男子は、藤北家太郎君──稚秋のみである。

 建国から『宰相』として栄えた一族の血統が絶えるか否か。それは稚秋の代で決まる。

 これが、中央貴族が稚秋の元服や結婚に関心を寄せる理由であった。



 噂の一部は事実だ。元服が延期になったのは、来年の学寮受験に向けてもっと深く学びたいと言ったからだ。

 ちょうど左大臣家では春宮の元服と二の宮の着袴の儀という慶事を予定していた。父は皇子の慶事に被らない方が良いと判断して認めた。

 二の宮の着袴は夏、春宮の元服は秋、稚秋は年明けてから元服する。

 白い息を吐いて、遠回りの道を選ぶ。やがて学堂に辿り着き、図書室を外から覗き込んだ。

 誰も居なかった。ホッとしたような。残念なような。

 ぼうっと突っ立ってる稚秋に、わん、という元気な鳴き声が届く。

 ずいぶん大きくなった黒丸が稚秋に走り寄り、足下にじゃれつく。

「……蔵人所で聞いたよ。沙良は女官職出仕の仕事に復帰できたんだって」

 昨年の夏に池に落ちた沙良は、肺炎をこじらせて長く養生していた。稚秋が直接見舞ったのは一度きりだ。



 ──あなたは、一体どこの誰なの?

 熱に浮かされながらも、沙良は本気で知りたがっていた。

 なのに、稚秋はとっさに応えられなかった。

 どこの誰か。

 生まれは藤の嫡男だ。春宮の学友で、元服したら太学に入り、将来は有能な文官として生きなくてはならない。

 でも、その道を行くことにはおおいにためらいがある。

 やがて絞り出した声は、みっともないほど掠れたものだった。稚秋ははっきりと応えられない自分自身に失望した。

 同時に強く思った。

 誰なのか。何者なのか。どういう人間になりたいのか。その答えを、自分で探して、つかみ取りたい。

 答えを出したら、一番に沙良に伝えよう。そう決めた。

 そのために、まずは大人たちの説得だ。いつも沙良がいる窓辺のあたりを見つめてから、稚秋は踵をかえした。

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