第3話 いつか海になる日まで

 その綺麗なティファニー・ブルーの箱には愛が溢れていた。

 母の恋人から、母への愛が。

 その愛以上のものを、私は知らない。



 母の秘めた恋人だった真希子さんが85歳で亡くなった。

 彼女の孫のこのみから連絡があった後、私は久しぶりに青い箱を開けた。

 ぎっしりと詰め込まれた黄ばんだ手紙、色あせた写真に、二人が出会ってから44年、母が亡くなってから19年の時が積み重なっていた。


 ──お母さん、ずいぶん待ってあげたね。ようやく真希子さんと再会したんだね。


 かねてよりこの日が来たら葬儀に参列すると夫と子ども達に告げていたので、急ぎ支度をすると、真希子さんが永遠に眠った地へと向かった。



 母が生きている時からずっと、どこかで分かっていた。

母には大事な人がいると。

 ──それは、真希子さんなのだと。


 母が亡くなったあの春の日の夜、私は母の恋が詰め込まれた青い箱を見つけ、──隠した。

 閉じ込められた25年に亘る愛達はあまりに鮮烈だった。何百にもなる手紙、毎年贈られたさまざまな柄の誕生日カード、クリスマスカード。真希子さんが描いた母の絵。日本各地で二人で写るたくさんの写真。

 こんなにも深い愛を彼女と交わしながら心に秘め、父と私の前では変わらず朗らかな妻であり母であり続けた母の心情を思うと、とにかく二人の思い出を守らなくてはと思った。父から、親戚達から、世間から。

 それは今後、母との思い出を糧に生きていく父のためでもあった。


 父に気づかれぬよう箱を自分の部屋に持ち込むと、私は携帯から真希子さんに電話し、母の死を告げた。

 真希子さんは言葉もなく、ただただ嗚咽し続けた。そのまま真希子さんまで死んでしまうのではないかと心配になるほどに、彼女は悲痛な声を上げ続けた。

 これ以上ないほどの悲しい声なのに、私は真希子さんの母への愛情を実感しどこか救われていた。


 母は確かにこの人に愛されていたのだ。

 短いけれど、寂しい人生ではなかった。


 でも、母と真希子さんの関係について、私は母の死後ずいぶん長い間、気づかないふりをしたまま真希子さんとの交流を続けていた。

 やっぱり娘の立場からは、母が父と私以外に大切な人を作っていたというのはなかなか受け入れ難い事実だった。

 だから私は母の遺品を真希子さんに譲ることはしなかった。

 私と一緒に暮らしながらも母の心の大部分は真希子さんが占めていた、その事実を目の当たりにし、いい大人になっていても私は子どもっぽく真希子さんに嫉妬していた。

 私にとっても母は大好きなたった一人の母だったから。

 母が亡くなってとてつもなく悲しかったから。

 母の大切にした物達を独占することで、真希子さんに意趣返しをしようとしていた。

 

 でも真希子さんは母の生前と変わらず、私に季節の美味しい物を贈ってくれたし、結婚して子どもが生まれてからは子ども達の誕生日やクリスマスにもプレゼントを贈ってくれた。そして私からのお返しや家族写真入り年賀状、子ども達からの電話をいつも喜んでくれた。

 そのたび、胸がちくりと痛んだ。


 *


 真希子さんが母と知り合ったのは二人が40代になってすぐのことだった。

 もともとは、母が元ツアコン視点で綴る趣味の旅行記録ブログに真希子さんがコメントをしたことがきっかけだった。1歳年下で、同じくらいの一人っ子の親同士である真希子さんと母はすぐに仲良くなり、個別にメールを送り合い、電話でも話すようになり、やがて二人で年に一度、日本各地へ旅行に出かけるようになった。


 私が小学校に入るまで父は転勤を繰り返していたため、母には友達が少なかった。父は、「お母さんにいい友達が出来て良かった」と言って快く旅行に送り出していた。私にとっても一年に一度父と過ごす二泊三日は、夜中まで起きていてよかったり、映画やボーリングに連れて行ってもらえたりして、特別な時間だったから楽しかった。


 母は本当によく、真希子さんが言っていたんだけれど、とか、真希子さんならこうだ、などと話していたから、いつの間にか家族の会話に真希子さんという存在が出てくるのが普通になっていた。

 真希子さんからは東北の美味しい物が季節ごとに贈られてきたし、母へ電話を取り次ぐ時おしゃべりもしたから、私もまるで母の姉妹のように親しみを感じていた。

 真希子さんが家に遊びに来たり、母子で真希子さんのいる仙台に行って会ったこともあった。彼女はとても上品で、おしゃれなピアスをして、にこにこと笑顔を絶やさない人で、一緒にいるとすぐに相手をリラックスさせてくれる優しい雰囲気をもった人だった。

 そしてそんな真希子さんの隣にいる母は、とてもいきいきして嬉しそうだった。


 いつから私は気づいていたのだろう。

 母にとって真希子さんは特別な人であると。

 ──母が真希子さんを愛していると。


 二人旅行から帰るたび、妙に興奮していたかと思えば一人溜息をついて泣いている姿を見た時か。

 真希子さんから来る手紙をけっして私に見せず、大切にしまっていることに気づいた時か。

 40も過ぎたのに突然ピアスホールを開けて、真希子さんから貰ったというピアスを嬉しそうにつけた時か。

 父が出張の時、ふと目覚めた深夜に電話で話し込む母を見た時か。

 真希子さんと話している時の母は、頬が染まり、よく笑い、「早く会いたい」と囁きあって──まるで恋してるみたい、と自然と思ったのだ。

 でもそれ以上、深くは考えなかった。


 母は私と父の前では変わらず、妻で母だったから。

 そしてそれを私も望んでいたから。

亡くなった後もずっとそう望んでいたから。


 *


 母が亡くなって10年経った頃、私も母と真希子さんが出会い、恋をしていた40代になっていた。

 毎年、母の命日には青い箱を開けて真希子さんからの手紙を読んでいたが、だんだん彼女たちの切実さが胸に迫って感じられるようになっていった。


 純粋に気が合う友達として交流が始まったこと。

 父の転勤についていくため、仕事を辞め、友達とも疎遠になり、子育てに没頭していた母が、私にだんだんと手がかからなくなっていき、再度自分と向き合う中で、同じように迷っていた真希子さんと悩みや変化していく体調、そして夢を語り合っていたこと。

 互いへの友愛がやがて深く結びつき、恋情へと形を変え、初対面を果たしてその気持ちを共に確信し、どうしても断ち切れなかったということ。

 真希子さんが離婚を決意したこと、そしてそれを母が押しとどめたこと。


 〝いつかしがらみから解き放たれ、一緒に暮らせる日が来る、というあなたの言葉を信じます〟

 最初に真希子さんのその美しい文字で綴られた文を読んだ時は、しがらみとは私のことかと愕然とした。

 母にとって私は恋路を阻む邪魔者になっていたのだろうか、と。


 しかし自分も40代を迎えると、そんな単純な解ではなかったのだろうと思うようになった。

 母が、そして真希子さんが生きてきた軌跡の全てがしがらみであり、また彼女達の生きてきた証であり、大切なものだったのだ。

 そうじゃなかったら、母はさっさと離婚して父と私の前から姿を消していただろう。

 母は確かに死ぬその日まで父を気遣い、娘の私を愛し、常に心配し、これからのことを楽しみに夢見てくれていた。


 結婚式を見せることは出来なかったけれど、花嫁姿になった日も、息子と娘を産んだ日も、娘に気丈で深い愛情の持ち主だった母のように育って欲しくて、佳海(よしみ)と名付けた日も、母の気配を感じていた。

 自分も親になってわかった。我が子への愛情は尽きることがない。

 母は真希子さんを恋人として愛し、またそれとは別に、確かに私のことを娘として愛してくれていた。


 70代半ばを過ぎても、真希子さんからは相変わらず律儀に季節の便りと子ども達への贈り物が届いていたが、お礼の電話で聞く声に次第に老いが感じられるようになってきた。


「真希子さん、いつも美味しい物をいただいてありがたいんですけれど、負担になっていませんか? もう充分私たちはいただきましたから」

と、その頃切り出したことがある。


 すると彼女ははっと息を飲み、「もしかしてずっと迷惑だったかしら?」と不安げな声で言った。

 私は慌てた。

「とんでもありません。夫も子どもたちも〝真希子ばあば〟からいただくプレゼントを楽しみにしています。

 でも、年に何度も手配していただくのもご負担でしょうし、申し訳なくて」

「千佳さんが」

と真希子さんは被せるように母の名を言った。

「突然、あんなに早く亡くなってしまったから、私今でも寂しくて、気持ちの持って行き場がなくなる時があるの。あなた達に何か贈ってこうして話せる時、千佳さんも喜んでくれているかなって慰めになるのよ」


 ああ、彼女はまだ母のことを──。


「千佳さんが成海ちゃん達にしたかったことの何百分の一も出来ていないと思うけれど、せめて千佳さんが生きていた頃から私がしてきたことを変わらずに続けていたいの」


 胸が熱くなり、涙がにじんだ。

 ──真希子さん、ごめんなさい。今まで母の思い出を独り占めしてきて。

 長い長いこの月日を、真希子さんはどんな思いで母を忘れずにいてくれたのだろう。


 私は真希子さんの誕生日に合わせ、母が一番大切にしていた、二人の思い出の品であるスノウ・ドームを贈った。


 真希子さんからはすぐに電話が来た。

 嬉しいと泣いて、ほとんど言葉にならなかったけれど。

 私も、ごめんなさいとありがとうございますしか言えなかったけれど。


 それから私たちは、特別な用事がなくても連絡を取り合うようになった。

 母の姉妹のように思い親しんでいた子どもの頃に戻ったような気持ちで、母がいたなら相談したようなことや、他愛もない子ども達の成長のエピソードを話し、真希子さんは母の思い出や孫娘のこのみのことをよく話してくれた。

 このみとも時折話したし、娘の佳海を連れて訪ねて、四人で会ったこともあった。

「成海ちゃんはどんどん千佳さんに似ていくし、佳海ちゃんは成海ちゃんとパパのいいとこ取りね」

 真希子さんは目を細めてそう言ってくれた。


 *


 真希子さんの老いはゆっくりと、でも確実に進んだ。

 真希子さんが80歳を過ぎた頃、電話でこう言われた。


「もし私に何かあったら、このみのことを支えて欲しいの」


 縁起でも無い、と私は言ったけれど、真希子さんは静かに続けた。

「このみには、私の〝思い出箱〟は他の誰にも見せずに成海さんに任せなさいと言い聞かせているから。……このみ一人では受け止めきれないと思うから」

「母との思い出を入れた箱ですね」

「そう。でもその日までは、千佳の思い出を手元に置いておきたいの。私のわがままを聞いてくれるかしら?」

 真希子さんはもう私の前では「千佳」と、かつて実際に母を呼んでいたように呼び捨てにしていた。

「ええ、もちろんです。──でも出来るだけその日は遅い方がいいな……」

 そう言いながらこらえきれずに私は泣いていた。


 真希子さんが亡くなったなら、母をもう一度見送るような、心底悲しい思いをするだろう。


「私ももういい加減千佳のところに行きたいのだけれど」

と、真希子さんは小さく笑った。

「でも、このみのことも、成海ちゃんや和貴くん、佳海ちゃんのこともまだまだ見ていたいって気持ちもあるのよ」


 その時、ずっと胸に溜めていた不安について聞こうと思った。


「真希子さん、一つ聞いてもいいですか」

「なあに」

「真希子さんに聞くことじゃないと思って言えなかったんですけれど……母は、元々女性が好きだったんでしょうか? 父と結婚したのは、もしかして子どもを産むためだったんでしょうか」


 それは母の死後、真希子さんとの思い出が詰まった青い箱を開けて二人の恋を確信した時、生まれた疑問だった。

 自分に同性同士の恋愛への偏見は無いとは思いつつも、どこか遠い話だと思っていたことが、他ならぬ母に起こっていた。

 時間をかけて、母と真希子さんの間に築かれた愛情は運命的なことだったと理解するようになったけれど、母がどんな気持ちで結婚し私を産んだのかについては分からないままだった。

 私は、妻であり母である母しか見ていなかったから。


「まあ、成海ちゃん、ずっと聞けなかったのね」

 真希子さんはそう言うと、思い出しながらゆっくりと話してくれた。


「千佳は、元々男性にも女性にもモテた人だったみたい。

 学生時代や、働いてからも女性に告白されたことがあったって言ってた。

 背が高くて顔も綺麗だし、頭が良くてリーダーシップもあるから女の子が憧れるのもわかるわよね。


 でも本人は恋愛自体があんまりよくピンと来なくて、興味がなかったみたい。

 学生時代は部活やお勉強を頑張っていて、就職してからは旅行添乗員のお仕事に夢中だったみたいよ。

 このまま一人で結婚しないで生きていくのもいいなあと思ったこともあったみたい。


 そんな中で出会ったのが職場の上司だったお父さん。

 千佳は割と強引に仕事を進めるところがあったみたいだけど、彼女のことを絶対に怒ったり責めたりしなくて、優しくお布団みたいにくるんでくれる人だったんだって。

 気づいたら結婚しようって話になっていたぐらい、自然とお付き合いして、そして望んで授かったのが成海ちゃん。

 

 だから、お父さんや成海ちゃんのために彼女は何も無理や我慢なんてしてないの。

 ずっと千佳らしく生きていたの。


 成海ちゃんの話をしている時、千佳が本当にあなたを愛しているっていつも伝わってきたから、私はやきもちを妬いたこともあったのよ。

 でも私も母親だから。母親にとって我が子が特別なのはお互い同じだった」

 

 聞きながらまた私は泣いていた。

「私も真希子さんにやきもち妬いていましたよ。私のお母さんを横取りされたように思って。──でももうそんなことは思っていません」

「本当に?」

「母の短かった人生を、今でもこんなに愛してくれてありがたいと思っています。

 そして、母が死んでしまった後もずっと私のことまで大切にしてくれて……」


 真希子さんが微笑んだのが電話越しに伝わってきた。

「だってあなたは、私が本当に愛した人の大切な一人娘だもの。

 だから私にとっても大切な娘」


 私はこらえきれず、声をあげて泣いた。

「真希子さん、真希子さん……どうか長生きしてください。ずっとこうしてお話させてください」


 真希子さんはその後も、間隔が開きながらも、耳が遠くなりながらも、いつも私に寄り添ってくれた。

 そして約半年の入院生活の末、静かに旅立ったのだった。


 *


 棺の中の真希子さんは好きな色だったという紫色の花々に囲まれ、微笑むように穏やかな表情をしていた。

 もう真希子さんと話せないことは悲しかったけれど、その満たされたような顔を見ると、彼女はこの世でしたかったことをちゃんとしてから母の元へ──二人が願った、しがらみのない世界へ旅立ったのだと思えた。

 焼香し、真希子さんの遺影に手を合わせながら、今までの感謝、そしてあとは私に任せて下さいと祈る。


 葬儀が終わり、出棺を見届けると宿泊していたホテルへ戻り、着替えてチェックアウトした。適当に昼食を取り終わる頃、このみからLINEが来て、タクシーで真希子さんの自宅へ向かった。

 このみの両親──真希子さんの息子夫婦や親族達は、火葬の後また葬儀会場へ戻り、会食をしているという。

 このみはブレザーの制服姿のまま、泣きはらした顔で私を出迎えた。

 葬儀の最中、このみはずっとしゃくり上げて泣いていた。真希子さんがことのほか可愛がった孫娘なので、悲しみが深いのだろう。

「真希子さん、優しい、いい顔して眠っていたね」

と話しかけると、まっすぐに切りそろえられた前髪の奥の大きな瞳がまたうるうると揺れだし、涙となってぽろぽろと頬を流れ落ちた。

 寂しくなるね、と14歳の細い肩を抱いて慰めた。

 うつむいて泣くこのみから線香の香りがふわっと立ちのぼった。

 きっとずっと祖母の亡骸に付き添っていたに違いない。

 

 少し落ち着くと、このみは私を真希子さんの寝室へ連れて行った。


 そこは、母の気配が宿る思い出の物達がたくさんだった。

 このみがクローゼットからラベンダー色の箱を出してきて、ベッドに座った。

 私も横に座る。

「私、この中身は祖母との約束で見ていないんです」

「そうなのね」

 私も持参したティファニー・ブルーの箱を紙袋から取り出した。

「この箱に入っているのは、真希子さんから私の母へのお手紙やカード。

 そしてその箱に入っているのは、私の母から真希子さんへのお手紙とか」

 神妙な顔をして頷くこのみと目を合わせ、それぞれの箱の蓋を開ける。

 このみの持つ箱の中には、懐かしい母の字がたくさん詰まっていた。

 それだけで涙がこみ上げてくる。


「二人はこんなにお手紙をやり取りしていたんですね」  

 このみのほうはすっかり涙も止まり、驚いた顔で二つの箱の中を見比べている。

「25年間、二人はとても──仲が良かったの」

 言葉を選んでそう言うと、このみはじっと私を見つめた。

 優しさを体現したような真希子さんよりもちょっときつめの、猫のような深い瞳。

「二人は恋愛関係だったんですよね?」

 娘より一つしか変わらないこのみが急に大人びて見える。

「そうじゃなきゃ、こんなにやりとりしない。それに祖母は千佳さんのことを話す時本当に恋しそうにしていました」

「……ここまで思い合える相手に出会えて、母達は幸せだったと私は思う」

 

 このみは小さく頷きながら、色あせた封筒達を細い指先でそっと撫でた。

「私もいつか、祖母と千佳さんみたいな恋をするのかな」

「そうね、このみちゃんも、うちの和貴や佳海も、こんな恋愛が出来たらいいなあって思う」

 このみがちらりと私を見上げる。

「成海さんはどうでしたか? しましたか? 大恋愛」

 突然話を振られ、吹き出しそうになるけれど、真剣なこのみの顔を見てどうにか我慢する。

「夫と結婚するまではしていると思っていたけれど、お互い父母になると一つの家を共同で経営する相手、って感じになっていったから、母達みたいにこんなに思い続ける経験はしていないな」

 このみがふふっと笑みを漏らす。

「共同で経営……、多分、うちの父母もそんな感じです」

「だいたいの夫婦がそんなものだと思う。家族愛ね。そして私はそこに何も不満はないし、自分は幸せだと心から思っているよ。

 だから、このみちゃんも大丈夫。おばあちゃんたちみたいな大恋愛をしても、私みたいにしなくても、どっちにしろ幸せになれるから」

「そうですか……よかった」

 このみはほっとしたように、年相応の表情を覗かせた。

 母と真希子さんの思い出が、この子のプレッシャーになってはいけないとどこかで思っていた。

 まだこのみの人生は始まったばかりなのだから。


「真希子さんの思い出箱は、私が預かってていいのね?」

「はい、お願いします。──でも二つのスノウ・ドームは私が持っていてもいいですか?」

と言いながらこのみは立ち上がった。

「もちろん。懐かしいな、見せてくれる?」


 このみが私をリビングに連れて行き、窓辺の棚から二個のドームを持ち出した。

 ドームの中の水は減り、色も変わっている。

 それでもこのみは宝物のように扱い、ひっくり返して二つの小さな町に雪を降らせた。

「祖母は、入院する時もこれを持って病院に行きました。父が、棺に一緒に入れようかと言ったけれど、私が持っていたくて。それにこういう燃えにくい物は入れちゃだめみたいだし。持ち帰ってすぐにいつも祖母が置いていたここに置きました」

「大切にしてくれてありがとう」

「祖母はいつも、このドームを手のひらに包んで話しかけていました。

 千佳さんの声が祖母には聞こえていたのだと思います。

 ばあばのことを守ってくれている物だって言ってました。

 ……これからは私を守ってくれるでしょうか?」

 このみはまた大きな瞳から涙をぽろぽろと零した。


 その不安そうな寂しげな顔を見て、思わず抱き締めた。

「大丈夫。このみちゃんは真希子さんの一番大切な存在だから、真希子さんも、そして私の母も必ずこのみちゃんを守るよ。

 そして私も、いつでも、いつまでもこのみちゃんの味方だよ」

 いつか真希子さんも同じようなことを私に言ってくれたことを思い出していた。

 ──大丈夫、あなたは幸せになれる。

  

 私はこのみから紫の思い出箱を渡され、真希子さんの自宅を後にした。

「この家は整理が済んだら売る予定だと父が言っていました。でも祖母が遺した思い出の物は、出来るだけ私が持っていたいと思います」

「悩むようなことがあったら私に相談してね。私が預かってもいいし」

「はい、よろしくお願いします」

 このみが晴れやかな顔をして見送ってくれた。


 *


 帰りの新幹線の中で、私は母が書いた真希子さんへの手紙を読んでいた。

 知り合った始めの頃に、私の名前の由来について書かれた手紙があった。


「娘の名前は成海といいます。

 海のように心が広くて愛情深い子に成って欲しいと思い、私が名付けました。

 名前の通り、優しくて思いやりがある子に育ってくれています。

私の自慢の娘です。

 いつか真希子さんにも会って欲しいと思います」


 手紙を読んでいくと、真希子さんへの気持ちと同じくらい、母は私についても書いていた。

 「親バカね」と呟きながらも、またこうして母の言葉に触れ、私を愛してくれた痕跡に泣けてくる。


 窓の外を見ると、夕暮れの空の下、流れゆく風景の中のビルやマンション、家々にあかりが灯っている。

 一つ一つのあかりの数だけある無数の人生。

 その人生が何かのきっかけで交差し、深く交感するに至る確率の奇跡。

 母と真希子さんに生まれたさざ波が、真希子さんと私、私とこのみへと連なっていく。


 真希子さんと母の秘密を共に受け継いだこのみのことを、見守っていこう。

 このみだけの幸せを見つけ、このみらしく生きていけるように。

 それが、母の死後、ずっと私に寄り添ってくれた真希子さんへの恩返しになるだろう。


 いつか私が人生の終わりを迎え、この箱達を再びこのみに託す、その日まで。                             

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スノウ・ドーム おおきたつぐみ @okitatsugumi

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