第二章第二節<屍鬼>

 二日目にイースを選んだのは、背の高い女性だった。

 赤い巻き毛を揺らしながら子供たちを覗き込み、その中からイースを選んだ。

 昨日の男と同じ革鎧を身に着けていたが、無数の鋲が打ち込まれていた。恐らくは丈夫にするというよりも、装飾品のつもりなのだろう。体を動かすたびに、銀色の光がぎらぎらと輝いていた。

「あたしはアルベッタ。あんたは?」

 女はそう名乗り、イースに手を差し伸べた。


 仲間の人数の差こそあれ、イースを引き受けてくれた冒険者集団は昨日とあまり変わらなかった。

 恐らくは一度きりの出会いだと割り切っているのだろう。だがそのほうがイースも気が楽だった。もともと、人付き合いが好きな方ではなかった。放っておかれるならば、それでもよかった。

 アルベッタの仲間は二人。一人は魔術師のようだったが、それは昨日のディクトアと同じような長衣を着ていたからそう見えたのかもしれない。杖は持たず、目深にかぶった大きな頭巾からは金色の髪が零れ落ちていた。

 もう一人は奇妙な形の剱を携えていた。イースがよく知る形ではなく、動物の尾のように細く弧を描いている。そのような武器は見たことがなかった。こちらもアルベッタと同じくらいの年の女だった。

 そして何より、アルベッタの持つ武器が最も目を引いた。

 身長を超える長さを持つ柄の先に、剱のようなものがついた武器だった。明らかに剱とは違っていたが、では槍かと言われればそうとも言い切れない。この町で見かける冒険者の中でも、かなり奇妙な武具を持った集団だった。


 それからは昨日と何も変わらなかった。町外れに向かい、壁の亀裂から地下へと潜る。冒険者たちが集まる広場を抜け、「洞」へと降りていく。

 しかし、ロベルトたちが必要最低限の言葉しか交わさなかったのに対し、アルベッタはよく喋っていた。時折聞き慣れない響きの言葉が混じり、意味が分からないことさえもあった。昨日の稼ぎのこと、酒場の食事のこと、絡んできた男のこと、それらを愚痴や笑い声を交えて延々としゃべり続けていた。幸い、アルベッタのおしゃべりが続いている間、敵と出会うようなことはなかった。

 それが止まったのは、真っすぐ続く長い道を少し進んだときだった。

 手堤カンテラの光で照らされるまでは、それが何であるかイースには分からなかった。近づいて行ったときも、まるで大きな岩が道に突き出しているようにも見えた。

 それは人間だった。

 岩壁にもたれるように座ったまま動かない。全身を板金鎧プレートメールに包み、乱れた長髪で顔は隠されていた。もつれあった金髪は黒く変色した血でべっとりと汚れ、頭にも深い傷を負っていることがわかる。

 おびただしい量の血だまりの中に、騎士は座り込んでいた。鎧の腰の部分には大きく抉れており、そこから血が溢れたのだった。今となっては黒い塊でしかない血にまみれ、騎士は二度と立ち上がることはないのだ。

 死者の顔が見えなかったことが、イースには救いだった。

 魔物に襲われれば、死ぬ。頭では分かっていたが、それの本当の意味を理解していただろうか。

 これだけの危険が潜む迷宮だ。

 仲間とて、死んだら死体を引きずりながら、担ぎ上げながら戻らねばならない。そんな矢先に、さらなる襲撃を受ければどうなるだろうか。

「死体を見るのは初めてかい」

 いつの間にか足を止めていたらしい。そんなことに気づけぬほど、物思いに耽っていた。

「すみません、あの」

「いいさ」

 アルベッタはしゃがみ込むと、死体の横に落ちている剱を拾い上げた。仲間の剣士も死体の前に座り、何やら鎧の留め具を外している。

 何をしているのか、イースには分からなかった。見つめているうち、脛当て《グリーヴ》が外された。

 次の瞬間、イースは目を疑った。アルベッタが先程拾った剱を振り下ろし、死体の膝を斬り砕いたのだ。

 骨が割れる嫌な音がした。続いてもう一撃。死んでから時間が経っているせいで出血こそほとんどなかったが、イースにはそれにどんな意味があるのか分からなかった。死者への冒涜とも取れる行為ののち、アルベッタは剱を拭って荷袋に突き入れる。

「さて、じゃあ長居は……」

 死体から立ち去ろうとしたアルベッタだったが、それよりも早く仲間の一人が通路の先の闇を見据えたまま動かなかった。

 息を殺して聞き耳を立てる。闇の中から、重いものを引きずる音がする。

「こいつのお仲間ってことかい」

 アルベッタは荷物袋を脇に放ると、刃槍を構える。闇をひたと見据え、先手を打つつもりらしい。

「イース、さっきあたしがした理由ってのがこいつさ」

 うめき声のような音が聞こえてくる。幾重にも重なる声。太い声。吠え声。それらが廊下に響く。

「『洞』じゃあ、死体は動く。ほっとかれた死体は動いてあたしたちを襲う。だから足を壊しておけば、襲われる危険は少なくなる」

 闇の中で物影が動く。緩慢な動きで姿を現したのは、犬の顔をした鬼だった。

 頭が砕け、顎が外れている。紫色になった舌がだらりと下がり、左肩から先はなくなっていた。そんな体で生きているはずもないが、左足を引きずりながら進んでくる。

 闇から手堤の光の中に現れた犬鬼コボルドに、アルベッタが動いた。構えの左手を支点にして、刃槍を斜め上から叩きつける。犬鬼は避けようともせず、攻撃をまともに受けた。そのまま頭を吹き飛ばされ、脇腹までを大きく抉られる。攻撃の衝撃で犬鬼の足が崩れ、壁まで吹き飛んで動かなくなる。

 しかしそれで終わりではなかった。

 闇の中から、犬鬼と人間の死体が次々と姿を現した。

 アルベッタが吠えた。まるで己を鼓舞するかのような、美しい獣のようだった。


 恐らくは、冒険者と犬鬼との戦闘は相打ちのような形で終わったのだろう。その中でも少し長く生きたあの騎士は、仲間たちを救うためか、それとも自分が生き延びるためか、この廊下を進み、力尽きたのだ。

 犬鬼が三匹、人間が四人。アルベッタと剣士の二人で相手をするには、いささか荷が重い相手だった。

 肩で息をしながら、アルベッタが戻ってきた。刃槍を杖のように使いながら歩き、そして壁にもたれたままずるずると座り込んだ。

「疲れちまった、少し休むぞ」

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