第二章第一節<初陣>

 翌日の朝、イースは他の子供たちと共に並んで粗末な木の長椅子に座っていた。

 固くなめしてはあるが、傷だらけの古い革鎧に、腰にはないよりはまし、といった程度の短刀を吊っている。腕には黒い布を巻き付けるように言われているため、左肩には色褪せて灰色に見える布を結んでいた。

 それは、「洞」に挑む者たちへの救済だった。

 当初考えていたよりも、「洞」は危険な場所だった。

 内部は多くの階層に分かれており、岩盤をくりぬいたような道は曲がりくねり、さながら天然の迷宮のようだった。

 第一層といえど、徘徊する魔物は相当な強さだった。そのため、半分以上の冒険者は第一層ですら満足に戦えない。それに加え、相当数の死者も連日のように出る始末だ。

 そこで、この町の領主は、イースのような子供にも経験を積ませることにした。戦いの技術を積ませるため、「洞」に向かう冒険者に子供を同伴させる。無事に子供を生還させることができた冒険者には、戦利品の額に応じて報酬が支払われる。

 これはよくできた仕組みだった。子供を受け入れるということは、それだけ戦いづらくなる。そうなれば、受け入れることができるのは、それなりの実力のある冒険者集団に限定されるというわけだ。腕利きの者と共に行動すれば、得られる経験も多い。

 また、生還報酬も、その仕組みの有効さに一役買っていた。

 生きて帰せばいいとして、満足に「洞」を回らないで戻っても儲けにならない。その日の戦利品が少なければ、報酬はないのだ。

 戦利品といっても、魔物たちが他の冒険者から奪った金や武具といったものがほとんどだった。それでも、鍛冶屋にもっていけば鍛え直すことができる。修繕して使えば、一から製造するよりもずっと安く済む。


 そうして待つこと一時間。

 館には「洞」に挑む者たちが少しずつ集まってきていた。

 無論、自分たちだけで「洞」に潜ることもできる。大半の冒険者たちはそちらの道を選んでいた。

 一人、また一人と選ばれていく中、とうとうイースを指さす男がいた。

 鋭い、というよりは暗い目つきの男だった。然程背は高くなく、黒い艶やかな革鎧を身に着けていた。

「お前、何度目だ」

 問われて、イースは首を横に振った。

「は、初めてです」

 元より期待はしていなかったが、それでも幾許かの落胆はあった。初陣の場合は報酬に上乗せされるが、所詮は雀の涙だ。危険に見合った報酬ですらない。

「まあいい、初陣なら手は出すな、見て覚えろ」

 男に連れられて館を出ると、外で待っている仲間のもとへ案内された。

 仲間は三人いた。斧を担いだ男と、棍棒をもった男とがいた。残る一人は白木を削って作った杖を持つ若い男だった。こちらは二人の戦士とは違い、修道士のようなゆったりとした衣服を纏っている。

「こいつはディクトア。お前はこいつの後ろから前に出るな」

 

 四人の冒険者に連れられて、イースはその日、初めて「洞」に潜ることになった。

 男たちはほとんどイースに話しかけなかった。一番後ろを歩く男がディクトア、そして最初に声をかけた男がロベルト。それ以外のことは何も教えてくれなかった。

 五人が向かったのは、街はずれにある岩壁だった。建物が少なくなり、町から荒れ地のようになるにつれて、目の前に岩壁が立ちはだかった。

 乾いた斜面を登るようにして進むと、褐色の岩肌に大きな亀裂があった。もう幾度となく挑んでいるのか、男たちは何の説明もなくその隙間に入っていく。

 イースも続いて中に入ったが、太陽の光が遮られた途端に空気が変わった。

 冷気が重くのしかかるようにして体を包んでくる。さっきまでは微塵も感じなかった寒気が、イースの肌をなぶっていく。亀裂から続く道はすぐに粗く削られた下りの階段となり、降りきった先はかなりの広さのある場所だった。

 そこには無数の冒険者たちがいた。壁には一定の間隔で松明が燃えており、それが光源となって広間を照らしていた。

 それぞれが三人から六人程度の集団となって、武具の調整をしたり、声をひそめて話し合ったりしている。中には二人、または一人だけという冒険者もいたが、見たところ数はずっと少ない。

「先に言っとくぞ、イース」

 ロベルトはちらりと振り返りながら、広間を横切っていく。

「今日は三度戦う。三度終わったら地上へ帰る。うまくすれば昼前には終わる。いいな」

 三度、というのがどういうことを意味するのかイースには分からなかった。しかし、先が分かると言うのは少し気も楽になる。

「は、はい」

「とにかく、見て覚えろ。それと……あまり俺たちを頼るな」

 死の危険が迫ってきたら、容赦なく見捨てるということだろう。冷酷とも取れる言葉に、しかしイースは頷いた。


 ほどなくして、五人は細い通路の果てまで辿りついた。

 通路は行き止まりになっていて、そこには朽ちかけた木製の扉があった。鍵も何もなく、力を入れて押せば錆びついた蝶番が外れ、落ちてしまいそうな扉だった。

「一度目だ」

 先頭を歩く男が振り返る。ロベルトは何も言わずに頷くのを見て、戦士の男は扉を驚くほど慎重に押し開いた。

 すぐに入るのかと思ったが、そうはしなかった。ロベルトは背負い袋から一本の松明を取り出すと、手堤カンテラの灯を松明に移した。

 油でも浸み込ませていたのだろうか。汚れた布はあっという間に目の前で燃え上がる。男はロベルトから松明を受け取ると、それを扉の先に放り投げた。

 地面に落ちた松明が照らしているのは、これもまた朽ちかけた酒樽だった。壊れかけ、散らばり、もはや打ち捨てられているのだろう。それらの残骸が部屋の隅にうず高く積み上げられているだけだ。まるで古い倉庫か、ごみ捨て場だった。

 それ以上、何も起きない。少し湿った地面の上で、松明の光がゆっくりと揺れているだけだ。男たちは身を隠すでもなく、辺りを見回すでもなく、ただじっと待っている。

 恐らくは大した時間ではないのだろうが、イースには奇妙で長い時間に思えた。一体何をしているのか。一体このあと何があるのか。

 松明の火はずいぶんと小さくなってきていた。あと少し待っている間に、松明は消えてしまうだろう。そうなればロベルトは松明を無駄にしたことになる。そう考えたときだった。

 部屋の中から、何かが落下する音が聞こえた。それは重いものが落ちる音ではなく、汚水を地面にぶちまけるような湿った音だった。

 それを合図に、斧を持った男が駆け出した。部屋の中央までたどり着くと同時に松明を拾い上げ、それを頭上に掲げながら上を見る。

「二つだ!」

 反応は迅速だった。続いて棍棒をもった男が走り出し、最初の男の先の闇に向かって棍棒を横薙ぎに振り抜いた。

 斧の男は体をかがめるようにして斧の柄を両手で握り、全身の筋肉をねじるようにして天井に向かって武器を投げつけた。相当な重量があるにもかかわらず、空中で斧は半回転して分厚い鉄の刃を岩盤に叩きこむ。

「……行くぞ」

 ロベルトとディクトアが動いたのは、二人の戦士が動きを止めたあとだった。ロベルトのもつ手堤の光に照らされて、部屋の中がさらに明るく照らされる。

 そこで初めて、イースは男たちが何をしていたかを理解した。

 背後の岩壁には、半透明の黒い粘液が飛び散っていた。それはまだ動く気配を見せてはいたが、次第に痙攣は収まっていった。

 同じような粘液が、天井にも広がっていた。そちらは先程の男が斧を投じたあたりだった。

「これが『洞』に潜むものだ」

 ロベルトはそう説明しながら懐から細い投縄を取り出し、頭上に放り投げた。投縄の先には鋼鉄の鉤がついており、それが斧の柄に絡みついた。男が投縄を引くと、めり込んでいた斧が外れ、大きな音を立てて落下してくる。

「敵は眼前にいるとは限らん……こいつらは生物を溶かして喰らう」

 ロベルトは、爪先で床に広がった粘液のほうを指し、短く警告した。

 そこで、イースは男たちの一見奇妙とも取れる行動を理解した。


 かくして、イースは「洞」での初陣を生き残ったのであった。

 

 

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