第二話 幼馴染と妹は、当然のごとく仲が悪い


 明日の入学式の準備も終え、これも春休みの習慣となった祖父の家の片付けを叔母である広田深月ひろたみつきから頼まれている。去年亡くなりその家を片付け人に貸してしまおうという計画があった。片付けなら業者にでも頼べばいいと思うのだが、変なとこでケチ──もとい、倹約家な叔母が暇な詠に押し付けたのである。

 ちなみに叔母は不労所得で生活をしているので、定職には着いていなかったりする。

 よくわからないが、不動産や株などの資産運用をして利益を得ているらしい。

 それなりに稼いでいるはずなのに、なぜ詠は労働力として駆り出されているのだろう。


 おかげでこの春休みはずっと祖父の家の大掃除ならぬ大片付けである。

 嘆息しつつも、育ててもらっている恩を返すわけではないが、叔母の言うことはなるべくきくようにしている。

 準備をし、家を出ようとしたところで香夜から声をかけられた。


「待って、兄さん。今日こそ私も手伝うから」


 当然の成り行きというべきか、妹の香夜も行くと言い出すのは毎朝のことだ。

 だが、そこに待ったの声がかかる。


「受験生が何を言っているんだ」


 呆れた声でそう呼びかけるのは、叔母の深月である。


「お前は受験生になるんだぞ」


 腕を組みながら


「塾に通わないかわりに家でしっかりと勉強をする約束だろう?」


「う〜っ、でもでも、このままじゃあ、あの男女が!」


 そこに梨紅が来る。

 この春休みずっと手伝ってくれているのだ。なので汚れてもいいように朝とは違うジャージを身に着けている。中学のジャージだ。初日私服で行って埃だらけになってしまってからはずっとこのジャージだ。

 ちなみに詠は黒パーカーに黒ジーンズ。詠は気に入った服を一張羅のように着続ける習慣があった。


「またやってるの?」


 春休みの片付けが始まってから朝の恒例行事になっているこの光景を見て梨紅が目を細めた。


「こんなことに時間を使ってないで、さっさと行くよ」


 そう言って詠の手を掴んだ。

 その時、ついていくことのできない香夜をちらりと見て、梨紅が鼻で笑った。

 カッチーンという音が聞こえた気がした。

 発生源はもちろん香夜だ。


「……今のはどういう意図があるのでしょうか?」


「いや、毎朝毎朝同じことを繰り返して、学習能力がないんじゃあないかなと」


 ──受験生なのにそんなんで大丈夫なのか? と副音声が聞こえた気がした。


 香夜はその言葉に綺麗な笑みを浮かべた。


「その言葉は喧嘩を売っていると解釈してもよろしいですか?」


「いや、そんなのを売っているほど暇じゃあないんだよね。なんせ詠と出かけなきゃいけないからさ」


 梨紅が優越感たっぷりな笑みを浮かべて香夜に言う。

 二人の間に火花が散ったような気がした。

 なんで毎朝毎朝同じことを繰り返すの?

 学習能力ないんじゃあないの?

 とはもちろん言えない詠の内心である。

 思わず嘆息してしまう。


 そう、二人は出会った頃から仲が悪かった。

 ここで梨紅と香夜のファーストコンタクトについて語っておこうと思う。


 あれは、詠と梨紅が6歳、香夜が5歳のとき。

 梨紅が隣の家に引っ越してきたのだ。

 互いに一目見た瞬間から通じるものがあり、一緒に遊んだあとには親友となっていた。

 これは運命の出逢いに違いないと二人して、漫画で読んだ知識で義キョーダイの誓いまでした。


 またこの頃、幼い香夜は体調を崩すことが多く、詠と梨紅は二人で遊んでいた。

 梨紅に妹がいることは話していたので、三人で遊べるようになるのを楽しみにしていた。


 そして、香夜の体調も回復し、遊んでも良いと両親から許可が出た日、すぐに梨紅を家に呼んだ。

 それが、あのような結果を引き起こすとは、幼少期の詠にはわかるはずもなかった。


 こうして、梨紅と香夜のファーストコンタクトは行われた。


 自慢の友達と妹を会わせて楽しく遊ぼうと意気込み、梨紅の手をひいて家の玄関を開けた。


「ただいまー! カグヤぁ、おいでー!」


「はーい」


 元気なお返事とともに、とてとて走ってきた香夜は、詠の隣にいる梨紅を視界に入れた瞬間固まった。


「おにいちゃん。そのおんなだれ……?」


 香夜は一気に冷え込んだ声でそう言った。その目は、仲良くつながれた手に釘付けになっている。

 当時の詠は全く気づいていなかったが、今振り返るとその時の香夜は瞳の瞳孔が開ききり、光をまったく宿していなかった。

 俗にいうハイライトが消えたというやつだ。

 そんな状態の香夜に、愚かな詠は満面の笑みで梨紅を紹介したのだ。


「となりにひっこしてきたリクだよ! しんゆーなんだ」


 詠は梨紅に振り返ると、


「こっちはカグヤ。いもうとだよ」


 この頃の梨紅は髪も長くスカートをはいており、今より少女然としていた。


「こんにちは、かぐやちゃん。なかよくしようね」


 詠から離れて笑顔で香夜にむかっていった梨紅に対して、我が妹は頭から突撃した。


「ぐふうっ」


 梨紅のお腹に頭頂部を突っ込ませ、苦鳴をもらす彼女を、香夜はそのまま突き倒した。

 もちろん、というかなんというか、そこで終わることはなく、馬乗りになって手のひらを振りあげた。


「おにいちゃんにちかづくなこのドロボウネコ!」


 その言葉とともに手のひらを振りおろした。バシンっと凄い音がして、詠は思わず目をつぶってしまった。

 恐る恐る目を開けると、顔をビンタされた梨紅は呆然としていた。

 唇の横が切れて血が滲み、叩かれた頬は瞬く間に腫れあがった。

 突き倒され馬乗りになられるままであった梨紅は、再度手を振り上げる香夜を目にした瞬間、闘争本能に火がついたのか一気に反撃を開始した。


「……っ、なにすんのよぉ!」


 香夜が二発目の拳を振りおろしたタイミングで、梨紅はブリッジをした。

 体重の軽い香夜は殴る勢いもあり、簡単に振り落とされた。


 攻守が入れ替わり、今度は梨紅が香夜に馬乗りになった。

 梨紅はなんの躊躇いもなくを香夜の鼻に叩き込んだ。

 少女然としていたが、梨紅は男の子のように腕白わんぱくであった。

 なにせ喧嘩のときにパーなくグーで人を殴るのだから。


 だが、鼻血を出しながらも香夜の闘志は衰えなかった。

 梨紅の長い髪を掴み、引き寄せて彼女の鼻めがけて頭突きを叩き込んだのだ。そのまま相手を横に転がす。


 しかし、梨紅も怯むことなく、香夜の襟首をつかんで引き寄せ、こちらもまた相手の顔に額を叩きつけた。

 何度も体勢が入れ替わり、攻撃手段も拳、頭突き、爪や歯まで使い始めた。

 顔は鼻血や引っ掻き傷で血だらけ、互いの腕は歯形、アザだらけである。


 幼い少女のする喧嘩ではなかった。

 詠は止めることもできずに、恐怖が決壊して火がついたように泣きだした。


 尋常でない泣き声に、詠の母親とたまたま遊びにきていた叔母の深月が玄関までやってきた。

 幼い少女たちのキャットファイトというにはあまりに荒々しすぎる喧嘩を目にした二人は慌てた様子で止めようと駆け寄った。

 母と叔母に引き剥がされてなお、梨紅と香夜は敵意を剥き出しにして威嚇しあっていた。

 

 この出来事は、幼い詠に大きなトラウマを植え付けてくれた。

 彼女たちは出会った頃から現在に至るまで一度も停戦することもなく常に戦争をしている。それは、平和がいかに尊いかを幼くして詠に教えてくれた。

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