第一話 ボクっ娘幼馴染とヤンデレ妹


 高校入学式の朝。

 起きたら現実世界が、──魔法世界に変わっていた。

 車が走る変わりに空飛ぶ絨毯が飛び交い、バイクの変わりに箒に乗っている人もいる。

 呆然として呟く。


「……嘘だろう……」 


 どうしてこんなことになったのだろう。

 ここで時間は、昨日──高校入学式前日に遡る。



 ●△◽️



 月見詠つきみえいの一日は、ランニング帰りの幼馴染である赤坂梨紅あかさかりくに起こされるところから始まる。


 揺さぶられる不快な振動とともに、腹に感じるやわらかい感触と女の子特有の甘い匂い。それに汗の匂いが混じり、揺さぶられていることとは別の理由で起きる前から頭がくらくらしてくる。


 半目をあけると、ベリーショートの髪を所々はねさせた美少女が馬乗りになっていた。本日の格好は赤のジャージ姿で、彼女のヘアスタイルがオシャレではなく、ただのくせっ毛と寝癖があわさったものであることを詠は知っていた。


「……いいかげん、馬乗りで起こすのはやめないか?」


「なんだよ、いいじゃあないか。こんなにカワイイ幼馴染が毎朝起こしてくれるなんて三国一の幸せ者だぞ」


 梨紅は勝気な瞳でこちら睨むと、詠に顔を近づけた。


「それともボクがカワイくないとでも言いたいのかな?」


 ドアップに迫った梨紅の顔からさりげなく視線をそらす。


「そんなことは言わないけど……」


 詠は少し言い淀んでから続ける。


「……いいかげん、自分のことボクって言うのやめないか? もう高校生になるんだし」


 その言葉に梨紅は鼻を鳴らし、詠から顔を遠ざけて胸の前で腕を組んだ。


「ムリだね。これはボクのアイデンティティだから」


 詠はひそかにため息をついた。

 梨紅が自分のことをボクというたびに、胸がかすかに痛む。これは罪悪感だ。


 こんな彼女でも昔は『あたし』という一人称をつかい、スカートを好んで身につけて髪を伸ばしていたのだ。


 実をいうと、梨紅が自分のことをボクと呼ぶのも、男のような話し方も、普段の私服を男物でそろえていることも、すべて詠のせいだったりする。

 昔のことだが、そう小学校の五年生のときのことである。この頃になると男の子は、女の子といることを恥ずかしいと感じ始める。


 詠もそれにもれず、梨紅と常に一緒にいることを同級生からからかわれ、心無い言葉で彼女を傷つけ、しばらく梨紅のことを避けた。

 それまでは常に一緒に登校し、一緒に遊んでいたのに、極力無視するようになったのだ。


 そんなことが一週間も続いたある日、梨紅は長かった髪を男の子のように短く刈り、スカートもやめてズボンをはき、自分のことをボクと呼び始めた。


 ── 一緒にいても恥ずかしくないように女の子の格好をやめたよ。だから仲間はずれにしないで!


 勝気な瞳に涙をためて、拒否されること恐れるように声は震えていた。

 このとき感じた胸の痛みは今の比ではなかった。

 彼女の前で声をあげて泣いて、何度もごめんねと謝った記憶がある。


「じゃあ、ボクはシャワーを浴びに帰るからね」


 詠が回想している間に、梨紅は猫のようにするりと立ち上がると、窓から出て行った。

 実は隣接する家が彼女の家で、窓から彼女の部屋のベランダに移れるのだ。


「……いいかげん、窓から出入りはやめようぜ……」


 その言葉は届くことなく、梨紅はすでに自分の部屋にはいっていた。

 軽く嘆息すると、詠はベッドから起き上がり、自分の日課のために部屋をでた。

 隣の部屋に向かう。そこは妹の部屋で扉の前にはネームプレートがかけられていた。


 かぐやの部屋。〜だけど兄さんはいつでも──うぇるかむ!〜


 そんな文字が踊っていた。

 目にする度に頭が痛くなる。


「香夜。朝だぞ」


 ノックとともに声をかける。

 返事はない。いつものことだ。

 詠は扉を開け妹の部屋に入る。

 部屋のベッドにはまるで眠り姫よろしく仰向けに寝る女の子の姿があった。

 みぞおちの前で指を組み、つややかな黒髪が白いシーツの上に広がっている。顔の造作は整いすぎていて肌の白さもあいまって精巧な陶器人形ようである。


「香夜。起きろ」


 無駄だとわかりつつ、声をかける。

 詠は深々とため息をついた。


「……いいかげん、中学生なんだから──もうやめないか?」


 香夜のきれいな眉がしかめられた。

 そう、彼女は狸寝入りをしているのである。

 いつの頃からだろう。まだ幼かった彼女が眠り姫の話を聞いてからキスしてくれなきゃ起きない、と言い始めたのだ。

 小さい頃はよかった。

 恥も外聞もなく、ちゅっちゅとやっていた。

 だが、詠はこの春で高校一年生に。そして香夜は中学三年生になるのだ。

 恥ずかしくて、他人に知られたら生きていけないレベルの行為だ。まさに黒歴史。しかも現在進行形。


 しかし──


 香夜は唇をつきだし、無言の圧力を詠にかけてきた。

 普通なら怒鳴りつけてでもやめさせたいところなのだが、この行為が一種の甘えであることを詠は知っていた。

 その原因が両親を亡くしたことによる寂しさによるものだからこれまでも──たぶんこれからも──強く言えずにこの行為がこの歳になるまで続いているのだ。


 詠は覚悟を決めた。

 ベッドの端に片膝をつき、手を香夜の肩の近くにつく。半ば覆いかぶさるような形になった。

 香夜が好んでつける香水の残り香が鼻腔をくすぐり、なぜか鼓動が高くなる。

 こいつは妹こいつは妹こいつは妹こいつは妹。

 自分言い聞かせてかたちのよい額に口づけた。

 彼女は不満そうにむーと唸ると、艶やかな唇をよりつきだした。


「ん~」


 詠は躊躇わず香夜の額にチョップをおとした。


「──いったあ──ぁい!」


 涙目で跳ね起きる。


「なにするのよっ、兄さん!」


「おまえがなにをするつもりだっ?」


「え、唇にキスをするのがお約束でしょう?」


 きょとんと、なに言ってるの、とでもいうように首をかしげた。

 こいつこそ、なにを言っているのだろうか。


「妹にそんなキスはしません!」


「そんな、照れなくてもいいんだよ?」


「照れてません! というか俺たちは兄妹だ。しかも義理とかではなく、正真正銘の血のつながった!」


「だから?」


「唇にキスしたらマズイでしょうが!」


「え、その背徳感が好きなんでしょう?」


「おまえは兄をどんな目で見てるんだっ?」


 激しく頭痛がしてきた。


「とにかく、そんなキスはしません! 絶対!」


「えぇ~~。わたしはいつでもバッチコイなのに……」


 もう言葉もない。


「そんな奥手の兄さんには、これを貸すから、明日の朝までに熟読しておいてね」


 渡されたのは文庫だった。しかも兄妹の恋愛がテーマで、ガチ近親相姦モノ。


 スパン!


「いたいっ!」


 思わず本で香夜の頭をはたいた。


「おまえは兄をどうしたいんだ!」


「え、そんな恥ずかしくて言えない……兄さんのえっち……」


 白磁のようなほほを赤く染めて、香夜はうつむいた。微妙に口元がにやけているところが恐くてしょうがない。


 恥ずかしくて言えないことを兄にさせようとするな!──と突っ込む気力もなく、心は半ば現実逃避だ。

 今日も妹はどこかが壊れてるとしか思えなかった。

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