第14話 バズって、走って②

 放課後、四人できくの湯へ移動する。私と桜ちゃんと暁ちゃんは、香澄ちゃんに昼休みの放送のことを聞き出せないでいた。

 住宅が立ち並ぶひたすら真っすぐな道を歩く。遠くからも見える煙突に向かって歩いていると、きくの湯の前に人だかりができているのが見えた。


「なんだろう、あれ」


 人だかりに気付いた桜ちゃんが声を上げた。まだきくの湯まで数十メートルほど距離があって、何が起こっているかは分からないが、失礼ながら普段は人のいないきくの湯には異様な光景だった。


「なんか人いっぱいいるね」


 香澄ちゃんが言う。私たちが不思議に思いながら近づいていくと、やっぱり人が集まっているのはきくの湯の前だった。やたらと男性が多い。


「おい、あれじゃね?」

「ホントだ」


 そんな声が聞こえてきて、男たちが一斉にスマホを向けてきた。初め、私たちは何をされているのか分からず、立ち尽くしてしまった。

 数瞬経って、ようやく盗撮されているらしいことに気付いた。


「こっち!」


 桜ちゃんに手を引かれて路地裏に逃げ込んだ。男たちは追ってくる様子はないが、私の鼓動は急に激しくなった。


「なにあれ……」

「さぁ……?」


 私たちは顔を見合わせた。


「もしかして……」


 暁ちゃんがハッとした顔をして言う。


「ブログ見て来た人たちかも」


 その言葉を聞いて、桜ちゃんがビクリと肩を震わせた。


「ど、どうしよう……」


 せっかく桜ちゃんに笑顔が戻ったというのに、また涙目になってしまう。


「とりあえず、中入ろう?」


 香澄ちゃんが普段聞いたことのない優しい声で言った。ちょうど私たちが逃げ込んだ路地から裏口に入れる。私たちは裏口からきくの湯に入って、桜ちゃんの部屋に行った。

 部屋の主の桜ちゃんが沈痛な顔で黙り込んでしまって、私たちは何もできないでいた。その沈黙が嫌になって私は口を開いた。


「私、お茶持ってくるよ」


 そう言って桜ちゃんの部屋から出た。相変わらず薄暗い廊下を通って、番頭台のところにいるであろう桜ちゃんのお母さんに声を掛けに行くことにした。人んちの冷蔵庫勝手に開けるわけにはいかないし。

 暖簾をくぐって、銭湯の中に入る。女湯の前を通って番頭台まで行くと、見知らぬお爺さんが座っていた。そのお爺さんは、豊かな白い髭にスキンヘッドに眼鏡という出で立ちで、物静かな雰囲気が熟成された渋さを醸し出していた。


「嬢ちゃん、ウチから出てきたけど、桜の友達かい?」


 耳に心地よい低音の声が響いた。その発言から桜ちゃんのおじいちゃんなんだろうなと分かった。顔は全く似てないけど。


「……」

「そうかい。仲良くしてやってくれ」


 私が黙って頷くと、桜ちゃんのおじいちゃんは目を細めてそう言った。休憩室を見てみれば、そこもいつもより人が多い。と言うか、男性客ばかりだった。やっぱりブログの一件がこんなにも人を呼んでいるんだろうか。だとするとリオンちゃんの集客力たるや。

 桜ちゃんのおじいちゃんは黙って新聞を広げて煙草を吹かした。そんなおじいちゃんを見ていてハッとする。そうだ、お茶持って行かなきゃ。

 ペコリとおじいちゃんに一礼して、私は桜ちゃん家のダイニングに向かった。


「あら、ゆいちゃん。来てたのね。いらっしゃい」


 私が最初探していた桜ちゃんのお母さんは台所にいた。


「今日はお客さん多くてね。私の父に頼んだんだけど、もう会った?」


 客が多いのはお宅の娘さんのブログがバズったからですよ、なんて口が裂けても言えなかった。


「会いました。なんかハードボイルドな方ですね」

「そうなのかしら。かっこつけてるだけよ」


 桜ちゃんのお母さんは恥ずかしそうに言った。私は桜ちゃんのお母さんからコップと飲み物を受け取った。

 再び桜ちゃんの部屋に行く。私が部屋に入るころには、桜ちゃんはだいぶ落ち着いて、ベッドの上でクッションを抱えていた。


「ゆいちゃん、ありがと」

「ん」


 私は飲み物を注いだコップをローテーブルに置いて、部屋の隅に腰掛けた。四人でいるには少し狭いこの部屋は、さっきよりはまだマシな空気が流れていた。私がいない間どんな話をしていたのかは分からないが、きっと二人で桜ちゃんを慰めたんだろう。


「そうだ、香澄さんに聞きたいことがあるんですけど」


 沈黙を暁ちゃんが切り裂いた。昼休みに香澄ちゃんが呼び出されたことを聞くつもりなんだろう。いつもならズバズバと言いたいことが言える桜ちゃんがこんな様子では、聞けるのは暁ちゃんだけだった。


「昼休みの呼び出し、どうしたんですか?」


 六畳ほどの部屋には静かなざわめきがあった。


「あぁ、あれ? 陸上部の顧問に呼び出されてね。大会に参加してくれないかって」


 そう言って香澄ちゃんはため息をついた。


「だから出ることにしたよ。あっちの練習もあるから湯けむり部に来れなくなるかも」


 超しつこいからね。そう言ってまた香澄ちゃんはため息をつく。それに声を上げたのは桜ちゃんだ。


「えっ!? 香澄ちゃん来れなくなっちゃうの?」

「うん。大会が終わるまではね。明日から練習参加するつもり」

「えっ、明日から?」


 急な申し出だった。香澄ちゃんの方を見るとその眼には確固たる意志が宿っていて、決めたことは曲げなそうだった。少しくらいは相談してくれてもいいんじゃないかと、僅かな寂しさが募った。


「随分と急ですね」


 暁ちゃんも目も丸くして言った。


「いい加減サボってるのもどうかなって思ってね」

「そっかぁ……。寂しくなるね」


 突然なことに湯けむり部に飽きてしまったんじゃないか、とか色々と邪推してしまう。

「辞めるわけじゃないしさ」

 すぐ戻ってくるよ、と香澄ちゃん。それでも四人が集まれない時間ができてしまうということに悲しさを覚えた。


 ◇


 香澄ちゃんが陸上の練習を優先すると言い出してから十数日が経った。

 私たちは香澄ちゃんを抜いた三人で、きくの湯に集まるようになっていた。香澄ちゃんが湯けむり部に入って一か月くらい経った今、彼女がいないのは違和感だらけだった。どこか気の抜けた彼女の声がしないというだけで、こんなにもきくの湯は静かになってしまうのかと思った。しかし、そう感じているのは私たち三人だけで、きくの湯は部活のブログの効果もあって、以前よりは人が入っていた。まぁ、それもリオンちゃん見たさに来た男性客ばっかりなのだが。

 関東地方もとうとう梅雨に入った。例年よりも早い梅雨入りらしい。ジメジメとした暑さに、ブラウスが汗で張り付いて気持ちが悪かった。桜は、気が多くて気温が高いなんてお風呂みたいじゃん! って興奮していたが、私には理解が及ばない。きっとアイツはカエルの生まれ変わりかなんかなんだと思う。

 そんな、ジメジメとした曇りの日。桜がこんなことを言いだした。


「香澄ちゃんの部活見に行かない?」


 桜の部屋で三人がダラダラと旅行雑誌を眺めているときのことだった。

「陸上部に?」


 リオンちゃんが問う。


「うん」


 桜は雑誌に目を落としたまま言う。


「気にならない? 急にいなくなっちゃってさ」


 桜もリオンちゃんも私も、この数週間はずっと寂しさを抱えていた。だからこそ、桜の提案を聞いてからの行動は早かった。

 雑誌をしまって、部屋を出た。靴を履いて、きくの湯の裏口――ずっと裏口だと思っていたここは加賀家の玄関らしい――から出て学校に戻る。


「香澄さんって全国大会に出てたんだよね」


 ようやく敬語の抜けてきたリオンちゃんが言った。


「そうみたいだよ。近くの中学じゃ有名だったもん」


 最近聞いた話では、桜の中学校は香澄ちゃんの隣だったらしい。


「なんで、またやるって言い出したんだろうね」


 リオンちゃんが呟いた。あの日、香澄ちゃんはもうサボっていられない、みたいなことを言ってたけど、何か彼女の中で変化があったんだろうか。私たちが本人に聞けない内に、香澄ちゃんはきくの湯に来なくなってしまった。


「意外と気分屋だからね、あの子」


 桜がそう言った。


「案外なんも考えてなかったりしてね」


 私の言葉に二人は、かもね、と笑った。

 そんなやり取りをしていると、校門の前まで来ていた。校門をくぐって敷地に入る。吹奏楽部が楽器を鳴らす音や、運動部の練習する声が聞こえてきて、普段この時間学校にいない私には新鮮だった。そういえば以前、この時間に学校にいたのも香澄ちゃんに会うためだった。

 校舎を回り込んで運動場に向かう。汗臭い声がだんだんと大きくなってきた。


「あ、あれじゃない?」


 桜が香澄ちゃんを見つけたらしい。声を上げた。

 香澄ちゃん運動場のすみの方うずくまるようにして小っちゃくなっている。あれがクラウチングスタートってヤツだろうか。なんて考えていると、手を打つ音が聞こえてきて香澄ちゃんが勢いよく飛び出した。

 小さかった彼女の影がグングンと大きくなっていって、ビュンと私たちの前を通り過ぎた。少し遅れて、ほんのり汗の匂いがする風が私の頬を撫ぜた。

 細長い香澄ちゃんの足が地面を蹴り、高めのポニーテールにして結んだ茶髪が風に流れる様子は、野生動物のような機能を追求した美しさがあった。


「すごいね……」

「うん……」


 私たちは声も出なかった。ようやく出た声も小学生並みの語彙で、香澄ちゃんの迫力に呆気に取られていた。


「あれ?」

「雨だ」


 そんなとき、突然に雨が降り出した。


「わっ」


 ポツポツと降り出した雨は、ドッと大粒の雨に変わって、一気に私たちの制服を濡らした。

 私たちは急いできくの湯に戻った。

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