第7話 いざ草津①

 集合場所になった駅は、私たちの通う『いわこう』の目の前の道を真っ直ぐ行ったところにある。近くにはカラオケだったり、図書館だったり、デパートだったりが立ち並び、ゴールデンウィークというのもあって、人がごった返していた。

 人混みを避けて、裏路地に入る。少し歩けば急に人がいなくなった。この辺りは江戸の頃に栄えた花街らしい。それらしき建物もいくつかあって、夜中に女子一人では歩きたくない雰囲気だった。ただ、この辺りはまだマシな方で、もう少し奥に入るともっとピンク色が多いらしい。そんな話を中学の時にクラスの男子が話していた気がする。

 道端のベンチに座って、自販機で買ったペットボトルの蓋を回した。私がこうして暇を持て余しているのは、集合時間よりも早く着いてしまったからだ。九時集合だったが、現在時刻八時半。三十分も人混みに埋もれているのも嫌だったので、こうして少し歩いて人のいない方へ来たのものの。


「暇だ」


 辺りには駐車場の料金の看板くらいしかなく、それ以外はホテルや居酒屋の壁しか見えない。暇を潰すには殺風景すぎるところだった。

 くすんだ色の壁と睨めっこしていると、ピコンとスマホの画面が光った。

 湯けむり部! と銘打たれたグループの通知だった。香澄ちゃんからのメッセージだ。


『着いたよ。もう来てる人いる?』


 香澄ちゃんらしい、絵文字もスタンプも使わない簡潔な文だ。ちなみに桜ちゃんは、スタンプも絵文字もこれでもかという程使う。


『うん』


 一言だけメッセージを飛ばすとすぐに既読がついて、『どこにいる?』と返信が来た。


『裏路地抜けたところ。今からそっち行くね』


 一旦スマホから目を上げて、裏路地を抜けた。しかし何と人の多いことか。特に家族連れが多い。ゴールデンウィーク初日の帰省ラッシュというやつだ。

 そんな人混みの中に、スラリと背の高い茶髪の女子を見つけた。身長は突出して高いというわけではないが、発せられるオーラのせいでふた周りくらい大きく見えた。


「おーい! ゆいちゃーん」


 その茶髪女子もこちらに気づいたらしく、こちらにヒラヒラと手を振っていた。香澄ちゃんはロングのプリーツスカートを履いて、長い足がさらに長く見える。普段、制服とジャージしか見ていないからか、新鮮だった。


「今日晴れてよかったねぇ」

「うん、そだね」


 何気ない会話を交わす。今日は旅行日和の晴天、少し暑いくらいだった。雨の気配なんてどこにもなくて、スッキリとしたいい天気だ。少し風が強いかなとも思うけど、高めの気温にはちょうどよく涼しい。

 私たちが待ち合わせている、駅のロータリーにある銅像の下で、私と香澄ちゃんは桜ちゃんが来るまで雑談を交わしていた。


「私、友達と県外に遊び行くの初めてなんだ」

「え、そうなんだ。私も」


 なんてことはない、当たり障りのない会話だ。

 香澄ちゃんは県外に行くのは初めて、だなんて言うが、私なんて友達と遊びに行くこと自体、小学校低学年ぶりだ。


「あ、電話」


 香澄ちゃんと話していると、私の携帯が震える。


「桜ちゃんかな」

「うん、桜ちゃんだ。もしもし?」

『もしもーし! もう着いてる?』

「うん、銅像のとこにいるよ」

『わかった! 今行くよぉ!』


 通話が終わった。電話越しでも、桜ちゃんの元気さは相変わらずだった。


「桜ちゃんなんだって?」

「もう着くみたいだよ」

「そっか」


 そんな会話をしていると、視界の端に黒髪のポニーテールが揺れた。


「二人とも! おまたせ!」


 ようやく言い出しっぺの登場だ。ムギュリと桜ちゃんに抱きつかれて、私は身動きが取れなくなってしまう。


「おはよ、桜ちゃん」

「おはよー!」

「おはよう」

「ゆいも、おはよ!」


 ともすれば童女のようにも聞こえる高い声が、駅のロータリーに木霊した。


「ねえ、聞いて。さっきめちゃくちゃ可愛い子見つけちゃった!」


 桜ちゃんが嬉しそうに報告する。


「お人形さんみたいな人だった! 多分同い年くらいだと思うんだけど、オーラがすごくってね!」

「芸能人とか?」

「でも、カメラとか無くない?」


 女三人寄れば姦しい。ことわざの通り、私たちははしゃいでいた。三人だけの旅行ということで、テンションは最高潮だった。


 ◇


 三人が揃ったので、私たちは駅の改札口に入った。ホームに降りていって電車を待つ。電車に乗るのなんていつぶりだろう。中学の校外学習以来だったか。それならさほど久しぶりというわけでもないか。

 ホームにもたくさん人がいて、記憶にあるよりもホームが小さく感じた。楽しそうに浮足立つ家族の話し声、駅員のアナウンス、ホームの自動放送。様々な音が混ざって私の耳に入り込んでくる。その喧騒も、ワクワクしてしまっている私には心地よいBGMとして聞こえる。


「なんか、ワクワクするね」


 香澄ちゃんがはにかんだ。今日は包帯は巻かず、綺麗な足が見えていた。一緒にお風呂に入る時にも見えるが、プリーツスカートから覗く足は右足(いつも包帯を巻いている足だ)のふくらはぎだけ、細かった。見る度、香澄ちゃんのケガがいかに辛いものだったかが考えてしまう。私はそういうケガをしたことがないから、どれほど痛いのかとかは分からないけど、好きなことができないのはきっと辛いことなんだろうと思う。彼女の心の傷はきっとまだ癒えていない。


「電車来たよ!」


 桜ちゃんが声を上げた。薄い水色のワンピースを着た彼女は、満面の笑みを浮かべている。それにつられて私の表情も緩んでしまう。

 緑色のライン電車がホームに滑り込んで、電車が押しのけた空気がふわりと風になって、私たちの体を包んだ。

 車内はやはり混んでいて、私たちはつり革に掴まることになった。


「ぐぬぬ……」


 背の低い桜ちゃんは手を思いっきり伸ばしてつり革に掴まり、私たち二人を睨みつけていた。


「私も香澄ちゃんの身長が欲しい……」


 桜ちゃんは恨めし気に香澄ちゃんを睨む。香澄ちゃんはそれを見て苦笑するしかなかった。


「香澄ちゃんって身長いくつなの?」


 私はふと気になったので聞いてみた。


「一七〇くらいかな」

「二十センチ分けろォ……」


 相変わらず桜ちゃんは呻いている。


「ゆいも十センチ分けろ」

「なんでよ。三十センチも必要ないでしょ」

「一八〇センチの景色を見てみたいんダ!」


 一五〇センチの怪獣が吠えた。今日の桜ちゃんは一段とテンションが高い。私が言えたことではないけれど。


 ◇


 車掌が上野駅に着いたことを知らせる。私たちは人の波に押されるようにしてホームに飛び出た。ここから新幹線に乗り換えて高崎まで行くことになるが、ハッキリ言って私は上野駅に来たことなんてないし、新幹線のホームがどこかも分からないわけで。


「こっちだよ!」


 人ごみをズイズイとかき分けていく桜ちゃんに先導されて、構内を歩いていた。しかし一向に新幹線乗り場まで辿り着けそうな気配はない。


「あれ? ここさっきも通らなかった?」


 香澄ちゃんがそんなことを言いだす。やめろ。気にしないようにしていたんだ。桜ちゃんの「あれ?」なんて声は聞こえなーい。あー。


「あ、こっちか」


 迷ってない。私たちは迷ってない。


「桜ちゃん、こっちじゃない?」

「あ、ほんとだ」


 ホントに私たちは草津に辿り着けるんだろうか。先行きが不安でしかない。


「お、着いた着いた」


 迷子になった元凶がそんな気の抜けた声を上げた。よかった、新幹線乗り場だ!

 新幹線発車の時刻まであと数分。ギリギリじゃないか。香澄ちゃんも私も苦笑いだ。桜ちゃんだけはのほほんとしている。今度からは私たちが前歩こうね、とアイコンタクトを交わした。

 おそらくは帰省なのであろう家族連れに混ざって、私たちは新幹線のホームへと向かう。ホームにはもうすでに青い鼻の新幹線が乗り入れていて、本当にギリギリだった。


「おー! カックイイ!」

「そんなこと言ってないで急げ!」

「イエスマム!」


 マジで桜ちゃんは暢気だった。停車時間なんてせいぜい一分だろう。急げ。

 乗り込むや否や、新幹線は動きだした。


「ギリギリだったね」


 香澄ちゃんが笑う。


「席座らないと」

「そだね」


 私たち三人は指定席のある号車まで歩いた。


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