うしみつサウンド

水原麻以

うしみつサウンド

都会の片隅に珈琲一杯しか出さない奇妙な喫茶店があった。営業時間も変わっている。夜中の二時に開店し始発電車が出る前に閉じる。目立った看板もおしゃれな玄関も無い。裏路地の雑居ビルに挟まれてポツンと店を構えている。

カウンターとボックス席が二つ。メニューはブレンドコーヒーが1種類だけ。

紅茶もデザートも一切扱わない。そんな店にどんな客が来るというのか。

「お前が、この店に来ると、何か不思議な感じがするんだ」

はいつも店で一人の客として働いている。

俺には何も言わず店を訪れてくる。

西船橋の「うしみつサウンド」は親族から譲り受けた物件だ。法定相続人が相次いで亡くなり権利がたらいまわしされたあげく俺に流れて来た。

相続放棄という権利はとても厄介だ。ババ抜き、いや罰ゲームに近い。放り出すためには次の犠牲者を探す必要がある。物納するという手もあるが評価額が安かったり立地条件が劣悪な物件は自治体が嫌がる。売れないからだ。

やむなく固定資産税を払うために店を開けている。空き家や更地には重税がかかる。

そして経費を赤字計上するために極端な営業形態にした。深夜のノンアルコール店に誰が好き好んでくるのか。店名は適当につけた。閑古鳥の代わりにラップ音が鳴り響く。それほど暇な店になればいい。半分自嘲で半分はヤケクソだ。

リニューアルオープンして半年。

いまいましい事に常連がつきはじめた。

好事家の嗅覚は鋭い。


午前二時三十分。

俺は180mlの水と大匙二杯分の豆を用意する。

サントス―ブラジル豆は癖がない。酸味も苦味もコクも柔らかく初心者向けだ。

あらびき焙煎に拘っている。俺が飲むからだ。正直いって店は惰性でやっている。

珈琲の煎れ方はマニュアル本から学んだ。昭和44年刊賢母の友社刊『脱サラリーマンのモーレツ純喫茶』というボロボロのムック。そして奥の棚にあった香料だ。オーナーが大量に輸入したらしい。耳かき一杯のエッセンスをオイルライターで焙って入れよと書置きがあった。ド素人の俺は仰せの通りにしている。

「ここに何か用があったのか」

客に問われた。いつものことだ。

「用って、言うな。おいっ、聞いているのか」

はいつも一方的だ。

今日は客の中に紛れていた。また女の姿でいた。

かれこれ一年の付き合いになるがまだ俺の手を握ってはいない。彼女は、定期的に私の店を訪れている。一度など親族の不幸でやむなく休業したが留守中にも店に来ていたのだ。『あいたかったです』、とテーブルが濡れていた。

俺も、彼女も、ずっとこの店に居た。

自宅は樟葉美咲にある。そこから通勤しているがあの場所に俺は住んでいたといって過言ではない。店で朝風呂を浴び昼過ぎまで寝て夕方に配達のバイトで運転資金を稼ぎ業務スーパーで食材を揃えるついでに自宅で着替える。そして彼女も。いつも俺は彼女の下にいた。

彼女はここにあるのだ。

「何だ、お前か」

今日は製氷機の前ですれ違った。ふうわりと膝までめくれるワンピースドレスに季節を感じた。

「婚姻届が埋められるものなら、そういう戯れを叱る権利もあるだろうが」

「私だって火遊びの一つぐらいしてみたかった」

「悪いが俺にそういう趣味はないんだ。愛読書は嘔吐だ。あとはわかるな?」

そういうと無言のまま消えた。

いいかげん嫌になった。

翌朝の始発で俺は市役所に向かった。誰でもいい。相続権をなすりつけるためだ。

とっとと放棄して隠遁生活をしたい。

遠い親戚の戸籍謄本を請求する。しばらくして世帯全員の謄本が届いた。系図を遡ると未婚のまま夭折した者がいた。

病没している。享年十九歳。調査費用を払い古い卒業アルバムの写しを得た。

あった。Y県立女子高の集合写真。丸く縁どられている。

彼女、お前だ。彼女が私をここに連れてきたのか。

その日の夜、俺は卒業写真を突き付けた。

「その通りだ。ここにきた。それだけだよ」

彼女がここに来ている意味は嫌というほど分かっていた。

そして今後もそうする気が有るのかもしれなかった。

お前の前には私だけが居る。それだけで十分だ。


だが、は来た。俺はその後の展開は知っていた。

「何だあ、元気でやっているか」

今日の彼女はキャラクターが違う。いきなり玄関にあらわれた。そして例の卒アルを虚空から取り出した。署名入りの婚姻届けも一緒だ。

「何だと、言っているんだ。俺はまだお前を」

じりじりと製氷機まで追い詰められた。その奥はお手洗いだ。

さっと白い影がよぎった。そこに居るのは彼女ではなく、骨格標本だった。

声帯もないのに喋りはじめた。

「俺の名前は……」

県立病院の回復期リハビリテーション病棟にいる相続人候補者だ。成年後見を申請中で事故物件をなすりつける相手としてはうってつけだ。経済援助の足しにとかナントカ美辞麗句を並べて相続放棄すればいい。あとは後見人が換金するなりするだろう。

「お前はまだ化けて出る段階じゃないだろう。何者なんだ?」

俺は誰何した。

「私は、私だ。お前は俺の名前を知っているようだな。覚えているぞ」

骸骨は本人だと主張する。

「う、嘘だ。お前は命に別条ある病気ではない。それとも俺は大枚はらってガセの診断書をつかまされたのか」

みるみるうちに背筋が凍る。幻覚か悪夢だと信じたい。俺の企みは合法だ。相続放棄の相手を探して何が悪い。個人情報だって正規の探偵業者から入手した。

「違うな。こいつは俺の友達だろ」

が骸骨の肩を抱く。

「何の話だ」

俺が首をかしげると骸骨がまくし立てた。その肺活量はどこから出てくるのか。

彼女は俺を運命的にこの店へ導いたのだ。俺をここに呼び出したのは、彼女だ。うしみつサウンドを建てたのは彼女の叔父だ。飲食業に失敗した。だが傾いた店を手放すまいと彼は狂奔した。借金に借金を重ねギャンブルに手を出しとうとう女に無心したり貢がせた。

その結果、店は残ったが鬼籍と禍根が残った。相続人の連続死に直接の因果はないが骸骨が怨念の二文字で説明してくれた。

「そんな事情、知るか!俺は引き受け手がないから良かれと思って相続した。呪いだろうが恨みだろうが関係ない。俺はうしみつサウンドも彼女も愛しているし二人でやっていこうとおもっている」

負けじと俺も声を張り上げた。骸骨も彼女に化けている奴の素性は知らない。

「よく言う。人の不幸を踏み台にしてか」

骸骨が怒鳴り返した。

「不幸? お前は死なない程度に生きている筈だろう」

俺は一抹の不安を威勢で吹き飛ばそうとした。いや、まさか、本人の病状が急変とかありえない。

「死亡時刻は今朝の五時。そう、ちょうどK電車K駅の始発時刻だ」

「嘘だろう!」

「お前のせいだよ。厄介ごとをなすりつけようとしただろ。事故物件の霊圧に耐えきれなかった」

骸骨の背後にぼうっと臨終の瞬間が浮かんだ。身内は間に合わずスタッフが寂しく看取っている。

「寿命を人のせいにするな。俺は始発で帰宅し夕方に準備をして夜中に店を開けている。毎日真面目にコツコツと。たとえ幽霊でもいい。彼女との恋路を邪魔するな」

俺はとうとう本音を叫んだ。

「あの事件の事を言っているのに違いない。お前にとってはそういう話か」

骸骨が問いかけると女の姿をした霊はこくり、と頷いた。

彼女は知っている。あの事件とやらの事を。

「ああ。あの事件の事を」

私は、あの日からずっと思っていたのだ。

彼女が私を連れ出し、そして、私を救った。私と彼女を繋いでいるのは、たったの一つしかない。

一杯のコーヒーだ。

彼女、いや、彼と言い換えてもいい。うしみつサウンドの創業者は語り始めた。

彼と姪の関係。そしてこの店にまつわる因業の全てを。

21世紀なら児童虐待か最悪、児童買春にあたる関係を持っていた。

のみならず夜の商売をさせていた。19歳で病死した理由はそれだ。

健気に叔父の借金を肩代わりしていた。

「彼女は、私が逃げている間、何も語れなかった。お互いに何を言っても聞いてくれなかった。しかし、二人は支えあってきたのだ。

それは、彼女が救われたいがために。

だが、私は、自分に対しての信頼も、彼女を信頼していない。

そう思いながら、私は、これからどうしていこうかと考える」

叔父は結果的に姪を殺してしまった事を悔やみ、命を絶った。その後彼女の魂を纏った。

霊にとってそれは死後の肉体らしく四十九日を超えて娑婆に留まる容器であるらしい。用済みになった魂は自然消滅するが稀に叔父のような執念の塊に乗っ取られる。

「俺を騙したのかよ。どうしてくれるんだよ。ついでに人が一人死んでんだぞ」

パニック状態でまくしたてる・

「そうだな。とにかくこれからどうするかだ。まずはこれを見てくれ」

叔父が示したのは例の謎エッセンスだ。

「これはヌーエッセンスといってエジプトの魔術神アブラメリンにまつわる没薬だ

「や、やくぶつ…だと?」

俺は仰け反った。そんなものを知らず知らずのうちに提供していた。

「アブラメリンは聖なる天使と守護神を召喚する。私が神戸の船乗りから譲り受けた。女を世話した礼にな」

とんでもない奴だ。女性を何だと思っているのだろう。しかも媚薬に頼ってまで集客していた。男らしく畳めばいいじゃないか。

「毎日、お前はこの店を出て、この辺をウローとした時、何が起きていたか分かるか」

俺は少し考えて、そこにあったものに見とれる。

「スーパーのレシートがどうした?」

バイトの帰りに食材を揃えた。俺のためのまかないだ。

「そうだ。お前はあの日々をもっと思い出してみてくれ」

「分かった」と俺は頷く。頭に経路を思い描く。

「そこだ!」と叔父は停めた。

「巡回路がどうした?」

「お前は儀式をしていた。アブラメリン神殿の鼻先で奉納の舞を踊っていたのだ」

なんということだ。俺はこの屑男にとことん利用しつくされていたのだ。

相続放棄のたらい回しの件も彼女との出会いも、何もかもだ。


「わかった。今度は俺の番だ。ツケを払ってもらおう」

俺はガス栓を全開しライターで火をつけた。


時刻は午前二時。

今日のうしみつサウンドは少しばかり大きい。

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うしみつサウンド 水原麻以 @maimizuhara

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