第12話 ひふみ神示は、量子論を預言していたか。

 2027年以降、量子コンピュータの出現により、急速にAI、メタバース、ARによる経済が進化します。

 現在この新しい経済システムのための準備が進められています。

 そのために仕掛けられる金融破壊と、株価暴落、通貨リセット。

 その後、行われる荒地となった金融商品の買い占め。


 世界の転換点は、破壊と再生が同時に行われ、既存の概念は破壊されます。

 その破壊された概念から新たな概念が再生します。

 この破壊と再生は、過去、それこそ数万年、数十万年も前から繰り返され今に至ります。


 古代人は、これを神話に語り継いできました。シヴァ神などは、その代表でしょう。


 未来世界に中心となる量子コンピュータ。その名の通り、量子力学の応用です。


 この世界の物質は、分子という粒粒の集合体です。

 さらにこの分子も、原子と言われる粒粒の集合体です。

 原子核の周囲は、電子が周回しており、原子核と電子までの周囲は、ゴルフボールとドームの大きさまでの距離が存在しています。

 つまりスカスカで空っぽです。

 そして、原子核を構成する素粒子。

 それはこれ以上分解できない一番小さいものであるものの総称です。


 この素粒子は、何であるのかわかっており、分子→原子→素粒子と、分解していけば、最終的に、振動するひも状になったエネルギーであるとわかっています。

 このひも状のエネルギーは、さらに膜状のエネルギーが輪ゴムのようになっているだろうと考えられています。


 つまり、物質であると認識しているそれは、実際には、形のないエネルギーの振動だということです。



 ―――――ひふみ神示 第十七巻 二日んの巻(ジシンの巻)―――――――――


 第一帖 (三七八)

 われわれの一切は生れつつあ る。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。一定不変の神もなければ、宇宙もない。常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく。過去もなければ、現在もなく、未来もない。只存在するものが生れに生れつつあ る。生もなければ死もない。善も思わず真も考えず美も思わない。只自分自身のみの行為はない。只生れゆき栄えゆくのみであ る。善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すことである。故に地上人が自分自身でなすことには、総て永遠の生命なく、弥栄はあ り得ない。何故ならば、地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思うからであ る。



 ―――――ひふみ神示 第二十五巻 白銀の巻――――――――――――――――

 第五帖

 人間に自由はないのであるぞ。真の自由は、大神にのみあるものぞ。大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、又神の喜びとなって人間に流れ入るから、人間自身は自由をもってゐると信ずるのであるぞ。本質的には自由はないのであるぞ。人間には自由の影があり、反影あるのざ。それを人間は自由と心得てゐるのであるぞ。自由の反影あるから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。又進歩、弥栄するのであるぞ。悪自由を、人間は自由と心得てゐるが、それは自由ではなく、自分自身首くくるものぞ。善自由こそ真の自由であるぞ。自由は神から流れ出ると申してあらう。他の世界と交流するは、他の世界に住む人間を通じてするのであるぞ。世界とは人間のことでもあるぞ。人間が世界であるぞ。よく心得なされよ。+(陽)と-(陰)ととであるぞ。+の陰には-があり、-の陰には+がある。その和の状態がであり(イノチ)するのであるぞ。+は+のみでは力ないぞ。-は-だけでは力ないぞ。+と-とだけでも動きないぞ。生命の喜びないのであるぞ。よく心得よ。があって+-があり、+-がありがあって和があるのであるぞ。ここの道理よく得心、合点せよ。+は人間にとって直接の喜びでない。がぢきぢきの喜びぞ。-も直接ではなく、が直接の喜びであり、その二つが和しして嬉し嬉しと弥栄えるのであるぞ。天地の中間を中界と申すぞ。天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。天国へ行くのも、行かんのも先づ落ちつく、死後の始めての世界であるぞ。(一月二日)

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 原子は、その電子の数の違いでしかなく、その電子や、原子核の素粒子も単なる数の違いでしかありません。その素粒子も、すべては、振動数の違うエネルギーです。

 つまり、我々の目は、光によって、そのように見えているだけであって、すべては、同じものであるともいえるのです。


 すべては、同じ「波」です。


 フォトン(光子)の二重性というものがあります。

 https://photonterrace.net/ja/photon/duality/


「二重スリット実験」はそれを証明します。

 その実験は、2本の細長い穴を開けられた板、そこの2つの穴を通して壁に光子を発射するというものです。

 一見、この実験は、普通に考えれば、向う側の壁に「細長い2本のライン状に光子が展開する」ということになるはずです。

 ところが、実際には、2本のスリットを通り抜けた光子は「2つの波が重なって強め合う部分に光子が集中」して、スクリーンに縞模様を描くように何本もの光子の線が現れます。


 実験の結果、粒は、お互いに干渉しあい波をつくっているということが分かったのです。

 つまり、粒子は、「光は、波でもあり粒でもある」ということを示しています。

 さらに、ヤングの干渉実験(ダブルスリットの干渉実験)において、光をとても弱くしていって「光が一粒しかない状態」でも、干渉縞が現れるかどうかを調べるもので、光の一粒一粒を検出する技術を使って行われました。


 驚くべきところは、ここです。


 そして実験の結果、一粒のフォトンが、干渉縞を示すことが確認されたのです。

 さらにこの実験で、スリットの一つを閉じ、一粒のフォトンが片方のスリットだけを通るようにすると、干渉縞が現れないことがわかりました。


 この世のどんな物質でも、2つ以上存在するからこそ、お互いに干渉するはずです。一つのスリットから、干渉縞が現るということは、つまり、単独で干渉するというのです。


 つまり、素粒子は、「ひとつでもあり、ふたつでもある」ということであると捉えられるのです。


 つまり、この世は、すべて、ペアで存在しているということになります。


 これはまるで、この世は、すべて、陰陽の二対が存在し、その二対で一つであるかのようです。



 ――――ふみ神示 第二十七巻 春の巻―――――――――――――――――――

 第三十五帖

 念じつつやれ。神の為と念じつつやれば神のためとなる。小さい行為でも霊的には大きはたらきするのぢゃ。自分と云ふことが強くなるから発展ないのぢゃ。行き止まるのぢゃ。われよしとなるのぢゃ。調和が神の現れであるぞ。霊と調和せよ。肉体と調和せよ。人と調和せよ。食物、住居と調和せよ。世界と調和せよ。うれしうれしぞ。一生かかってもよいぞ。おそくないのぢゃ。自分の中のケダモノのため直しにかからねばならん。悪いくせ直さねばならん。これが第一歩、土台ぢゃぞよ。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 この二重スリット実験には、まだ、続きがあります。


 250人ほどの何もしらない人に、この実験の際、念じ、意識を集中してもらった状態でこの実験を行います。

 そうすると、細長い2本のライン状に光子が展開させることが出来たのです。


 この実験の結果、「量子(光子)は、意志の介入で変化した」ことが確かめられたのです。

 「シュレーディンガーの猫」は、事実だったのです。


 様々な実験によって、量子力学が示すふたつの事実は、

 ・人間が観測するまでは存在していない。

 ・この世を構成する粒子は人間の意志で変化する。

 ということです。


 すべての素粒子は、人間が観測するまでは、波として存在し、観測されたとき、物になります。これを「波と粒子の二重性」といいます。


 物質は、すべて波と粒子の二重性をもち、現在、この特性を使って半導体を開発されています。

 この量子コンピュータの開発に、人が観測すると影響されるため、アンジラビットという影響を受けないようにするものも開発されています。

 

「波」は人の観測によって変化します。


 2015年、オーストラリアの量子学研究チームによって、実験で「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、確認されました。


 これは、1970年代に量子物理学者によって予測されていた説が、実験で証明されたというもので、この世は、人間に観測(認識)されるまで存在しないということであり、「すべて宇宙、何もかもが、人間が認識してはじめて存在する」のだということが実験によって明らかになったのです。

 また「宇宙は、存在しない」と言っています。


 この実験結果は、私達が宇宙を想像している存在であるとも言うことになります。


 https://www.youtube.com/watch?v=eXaBCNQMPsw

 ジョーン・ヴァカロ教授は、個人個人がその人だけの現実を持ち、その現実は、観測により変化していくとしています。

 そうだとするなら、おそらく、今、その瞬間ごとに、または、同時に、宇宙が変化している可能性があります。

 

 ―――――ひふみ神示 第十七巻 二日んの巻(ジシンの巻)―――――――――


 第十四帖 (三九一)

 霊界には、時間がない。故に、霊人は時間ということを知らない。其処には、霊的事物の連続とその弥栄があり、歓喜によって生命している。即ち、時間はないが状態の変化はある。故に、霊人たちは時間の考えはなく、永遠の概念をもっている。この永遠とは、時間的なものは意味せず、永遠なる状態を意味するのである。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 また、量子論において、時間というものは存在しないということが示されています。

 量子論においては、分割不可能な最小単位の空間量子が連続することで、時間や空間といった一つなぎのものが存在するかのように見えるだけというのです。


 時間という概念は、実際、自分がいる高さによって異なります。

 山の山頂と、平地に時計を置き去りにしていた場合、その秒針に誤差が発生していることは知られており、質量の大きさが時間を減速させているということがわかっています。重力の大きさによって時間の速さが変わっているのです。

 また、相対性理論では、時間が、一方方向ではないということが示され、光の速度を超えるのならば、過去をさかのぼることが可能であると言っています。


 同じ場所から、別々に電子が飛び出した場合、その電子が人に観察されるまで、回転が確定していません。それを、いずれかの電子を人が観察したとき、回転方向が決まります。

 電子の回転が確定した時、もう片方の観察されていない電子の回転方向もまた確定します。

 この回転の確定の伝達速度は、一瞬です。この速度は、明らかに、最速であるはずの光の速度を超えているのです。

 そして、その距離は、数百キロ離れていても同じであるのです。



 先に上げた、二重スリット実験は、スクリーンに投影された縞模様をもう一度、人が見た時、その投影が、二本の線に変わっているという実験結果もあります。

 人が観測したことで、波が、物質に一瞬で変化し、元から、物質であったというように変化したのです。

 つまり、過去を変えることが可能であることが示されているのです。



 ――ふみ神示 第二十七巻 春の巻 ――――――――――――――――――――――

 第三十帖

 宇宙のすべてがつながりであるぞ。石でも水でも草でも木でも動物でもすべてがつながりぢゃ。手と頭のようなもんぢゃ。拝み合へよ。親しみ合へよ。和せよ。和すと自分となるのぢゃぞ。自分 大きく、明るくなるのぢゃ。豊かにうれしうれしぢゃ。赤いものの中にゐると赤くなって行く。理(リ)に向ってゐると、いつの間にか神の気いただくぞ。神の光がいただけるのぢゃ。二度三度、話きいたり、おろがんだりくらいで理は判らん。神は解らん。体験せねばならん。一方的では何事も成就せん。もちつもたれつであると申してあろう。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「現代物理学の奇才」とよばれるロジャー・ペンローズ博士は、人間の意識がどこから生まれてくるのかという研究をしており、脳の中にあるマイクロチューブルという物の中の細胞が量子コンピュータの機能を有しているということを発見しました。


 脳で生まれた意識は、世界で生まれる素粒子よりも小さい物質であり、重力、空間、時間にとらわれない性質をもち、心臓が止まると、脳は、量子コンピュータとして、機能がしなくなるが、マイクロチューブルの中にある、量子意識は、破壊されず宇宙全体に散らばるというのです。



 全ては、物質のように見え、しかしながら、それは、「波」です。

 その波は、人の意識で変化しているということは、すべては、そ想念でつながっているのだと理解できます。

 「波」である世界は、集合意識であり、その意識によって、常に変化しているのだと理解できます。


 これは、スピリチュアル的なものと完全に通じものであり、意識と観測によって、物質の形態が変わるのであれば、自分自身も変化していくことが出来るのだと示唆しています。


 時間が存在していないということが、物理学において、明らかになってきています。


 時間が存在しないということ、観測と思念が、物質と世界を形作るということ。

 自分が強く思っていたことが現実になったり、不安になっていることが本当におきたり、また、虫の知らせといった事柄や、デジャブ。これらは、すべて、完全につながっていて、未来も過去も「今、起きている」ことだからだと認識する必要があるようです。


 すべての動物や、植物に至るまで、「波」で出来ているのだという事実と、「認識」によって変化する「波」で作られた世界は、それぞれがお互いに干渉しあっているのだということに他なりません。


――ひふみ神示 第二十五巻 白銀の巻 ―――――――――――――――――――――

 

 第六帖

 現界と云ひ、一本の国であるから、人間からすれば、人間が土台であるから、神の礎であるから、神しづまれば神人となるのであるから、神界、中界、現界つらぬきて居らねば、マコトの和合して居らねば、マコトの喜びでないから、マコトの喜びが大神であるから、大神の働きは人間によるものであるから、心せねばならんぞ。せねばならんぞ。天使と云ひ、天人と申すも、みなそれぞれの国の人間であるから、喜びの人間であるから、この道理判りたら、地の世界と、中の世界と、天の世界と、みな同じであるから、もちつもたれつであるから、三千世界であるから、地の上に禍あると、天の国にも禍ふのであるから、天の国の生活は地の上に根をつけてゐるのであるから、遠くにあるのでないぞ。同じ所にあるのであるぞ。幽界と申すのは道を外れた国のことざと知らしてあらうがな。地獄無いと申してあらうがな。このこと間違はんやうに、


 第七帖

 天国がうつって地が出来てゐるのぢゃから、霊の国は更に立派、微妙ぞ。天界のもの光り輝き幽界のもの暗くなる違ひあるだけぢゃ。その時の状態によって変化するが、総ては神が与へたのぢゃ、現界同様、与へられてゐるのぢゃと知らしてあらうがな。時間、空間もあるのであるが、ないのであるぞ。同じ状態にあれば同じ処に住み、変化すれば別の所に住むのであるぞ。見ようと思へば、念の中に出て来て、見ること、語ること出来るのぢゃ。見まいとすれば見えんのぢゃ。自分で見、自分で語るのぢゃぞ。時、所、位、総てが想念の中、想念のままに現はれて来るのであるぞ。判るやうに申すならば、時間も空間も映像であって、情態が変るのみのことであるぞ。情態のもと、本質は限りないから、無限であるから、自由であるから、霊界は無限、絶対、自由自在であるぞ。現界では、時間に順に得たものでも、心の中では時間に関係なく、距離に関係なく、一所へならべられるであらうがな。心の世界で、時間、空間のない道理これでよく判るであらうがな。


 ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻(クロガネの巻)

 第二十六帖

 神は理屈ではない。理であるぞ。生きた自由自在の、見当とれん、絶対であるぞ。只求めるより他に道ないぞ。親呼ぶ赤児の声で神を求めよ。神に呼びかけよ。総てを投げ出せよ。まかせ切れよ。神は喜びの光となって、そなたに現はれて来るぞ。理屈の信仰に囚はれると邪道。赤児心の理解は第一ぞ。(一月二十二日)


 第二十七帖

 神は人間の想念の中に入ってゐるのぢゃ。想念が一致するから神の想念が人間に伝はるのぞ。人間の言葉となって人間に現はれる。言は神であるが人間でもあるぞ。自分が自分に語るのであるぞ。この道理、よく心得なされよ。時まちて起き出て下されよ。恨みの霊は中々にとけんぞ。思ひは能(ハタラ)き、実在と申してあらうが、間違ひでも恨まれると、恨みがまとひつくぞ。心して神を求め、心して幽界からのキ断ちて下されよ。判ったと思うたら天狗ぞ。かへりみるとよくなる仕組。(一月二十二日)

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 聖書や、この神示にでてくる、霊、spritこそがこの「波」であるなら、この波を変える「想念」が世界の理、つまり、神を形作るものであるように思います。


 ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻、第二十七帖 神は人間の想念の中に入ってゐるのぢゃ―(略)の一文は、まさに、この「波」と「集合思念」を表しているように感じます。


 人の言葉と想念は、世界を創り、世界の理が神であるなら、その想念もまた、神であり、人だということになります。


 時、所、位、総てが想念の中であり、想念のままに現実になる。

 神は、理屈ではなく、理であり、世界は、人々の想念がそう見せている空間であり、時間は、人間の持つ概念。これらつまり、想念の映像なのです。


 人の喜びは、神から与えれるものであれば、喜びもまた人から与えられるもの。

 そして、神の喜びもまた、人から与えられるものだと理解します。



――ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻(クロガネの巻)―――――――――――――

 第三十七帖

 宇宙は人間の心のままと申してあらうが。宇宙は未完成のものと申してあらうが。永遠に未完成であり、弥栄であるぞ。そこに生命あり、喜びあるのぢゃ。大神の中で、宇宙はなりなりてゐるのであるから、ナリ、永遠になるのであるぞ。不変の中に千変万化、自由自在の存在を与へてあるのぢゃ。(旧九月八日)

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 常に、人は、考え、行動し、思考が変化し、その有り方が変化しています。そして、人それぞれれ、個人個人の世界を持ち、その集合意識は、確実に変化しています。それは、無限の宇宙の拡大であり、宇宙の変化を示していることになります。そして、常に宇宙は未完成であると言えるのです。さらにそれは、永遠です。


 世界は、その存在が不変ではあるものの、その中は、自由、そして、世界も自由、変幻自在なのです。


 ――五十黙示録 補巻 紫金之巻―――――――――――――――――――――

 第八帖

 千引岩 今ぞあけたり 爽し富士はも。


 神は宇宙をつくり給はずと申して聞かせてあろうが、このことよく考へて、よく理解して下されよ、大切なわかれ道で御座るぞ。福はらひも併せて行はねばならん道理。光は中からぢゃ、岩戸は中からひらかれるのぢゃ、ウシトラがひらかれてウシトラコンジンがお出ましぞ、もう【よこしま】のものの住む一寸の土地もなくなったのぞ。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 マサチューセッツ工科大学のセス・ロイド博士は、「この宇宙はコンピュータに似ているという。情報はビットに分割され、そしてそのビットを系統的にシステム化している。すなわち、宇宙は情報を体系的に収めて処理する物理的なシステムであり、巨大な量子コンピュータが情報を処理しているようである」といっています。

 

 このシステムこそが神であり、コンピュータによって世界を形作る源は、我々、すべて人間と意識ある生物であると言えるでしょう。


 神が宇宙を創るのではなく、神が、世界を作るシステムであり、世界を作っているのは、我々人なのだということです。


 以前私が、フラットアースの回で書いたうように、この世は、そう見えているだけにすぎません。

 我々の集合意識がそう見せているだけであり、実体は、違うのです。

 しかし、その実態さえも、本当は、「波」であり、エネルギ―の集合です。


 プラトンの言っているイデアこそが「波」であるとすれば、エイドスは、その波の物質化したものであるとすれば、この世の形作るそれは、間違った考えでないことを証明しています。


 だからこそ、我々の喜びのためには、「今」が過去と未来であり、世界は「想念」によって形作られていることをしっかりと意識することが重要だと理解する必要があります。

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