第11話 666の意味 3

 これまで、666の意味についてのお話をしてきました。


 6は、蛇であり、螺旋であると。そして、鍵、鉤。

 そして、神を示す柱であり、生命の樹であり、異世界のへの門、覚醒を示す。

 これら、その目的によってちがいますが、この世界は、外側の世界。

 つまり、この世界は、冥界や、異界、神界でつくられた。箱庭の中であると私は、理解しています。

 覚醒とは、外側へのアクセス。生命の樹はその過程であり、その結果が、精神世界と外側の世界へのアクセス、つまり、覚醒であり、異界の門であります。

 異界の住人は、神だけではなく、悪魔もまた異界の住人です。

 そして、古代の人々の示してきた三つの神のIS RA ELとは、私が以前に創世記を比喩したテレビゲームのその登場人物、テレビゲームを作った神々であると理解します。

 三つの神が、世界を支える三つの柱であり、まさに666です。


 この666が日本でも同じであるということは以前にも少しばかし書いています。

 666はひふみ神示においても重要です。



 日本における666は、神道の中にも見ることができます。

 神社の構図がまさにそれです。


 鳥居は、異界の門を示し、神社の敷地内は、神域、つまりは異界です。


 門とは、鴨居かもいと敷居の二つによって構成される構造物であり、敷居とは、本来は、鴫居しぎいです。

 鴨と鴫の部首をみてください。

 甲と田です。


 田という漢字は、エデンのデンのことであるでしょう。

 エデンの園の「園」という漢字は、の中で、から作られた人は、丸で表されるを口にして、をまとったという出来事が表されています。エデンという言葉が、覚醒をを比喩しています。


 田という文字、その形は、セフィロトの木を示し、甲のもまた、その形は田であり、これもセフィロトの木。エデンです。


 エデンの門である鳥居には、田という文字がありません。

 これは、門の向こうが田であり、鳥居が田ではないからです。そして、門であることは変わりないため、鳥だけは居るのです。

 または、門の扉を開くことが覚醒であるとするならば、ただ通るだけの覚醒のための扉のない鳥居には、その「田」が無いのも当然です。


 鳥居をくぐるならば、その両脇にあるのが、狛犬です。


 狛とは、駒、鉤であり、これは、以前に私が示した6です。

 狛という文字は、部首が獣偏であり、また、偏の形は鍵であり、これもまた6です。

 白という文字は、太陽を示す日であり、そこに捧げる血を示す´をつけることで、白を表し、白とは、しゃれこうべの白色の意です。

 また血とは、皿に入れるものを示しています。その皿とは、頭蓋です。


 狛犬のその毛は、すべてが渦巻いており、まさに渦巻きである6。

 その口にくわえられているものは、珠であり、果実です。それは、片方の狛犬しか咥えておらず、一つしかありません。


 異界へと入るのは、参拝者であり、その両脇にたたずむ狛犬は、参拝者を真ん中の柱とした666です。


 神社の御神体は、三種の神器または、鏡であると以前に私は書いたと思います。それらは、666。鏡と勾玉と剣。

 勾玉が6の形をしているのは、完全にそれそのものです。


 社に存在するしめ縄は、二匹の蛇を表し、そして、御幣のその形は、セフィロトの樹です。紙の部分は、螺旋を描く蛇のようです。


 螺旋とは、6ではありますが、螺旋、螺とは、「」です。


 「羅」とは、もともと織物を示す文字であり、最初の織物とは、籠のことで、その籠の編み目は六芒星であります。この六芒星を籠の目もしくは、かごめと言います。

 もともと、羅は、葦で織られたものを示し、日本神話にも葦はよくでてきます。

 日本書紀に出てくる厩戸王子うまやどのおうじは、出生時に葦の籠で受けとめられました。


 「羅」とは、ヒレもしくは、ヒラ、古代日本の女性もの装飾品である首から下げる帯状のストールのようなものとも取られ、ヒラヒラするの語源。また、さかなのヒレの元であり、「ヒレヒレ」「ヒラヒラ」とは、その布を振り回す様のことであり、それは、螺旋です。


 この振り回すという行為は、螺旋運動。

 神社の中でそれを行うものが、あの鈴です。

 本坪鈴(ほんつぼすず)と言います。

 その形は、まさに二匹の蛇が螺旋を描きながら上に上る様であり、そこには、音が鳴る果実がついています。


 神社参拝は、まさに、知恵の実で覚醒するというエデンの出来事を再現し、人々の覚醒を実践する場であるといえるのです。


 「羅」という文字は、螺旋であり、籠の目。これらの覚醒の過程がつまっていることがわかります。


 つまりは、「羅」とは、神のことです。


 柱を表す語源は、神である阿修羅。

 また沙羅、曼荼羅、摩羅など、これらも神です。


 羅が示している籠目とは六芒星です。

 羅を含む「甲羅」という文字は、亀を示し、亀の甲羅のその文様は六角形です。

 亀には、甲と田が含まれており、その神聖さが分かります。


 さて、籠目と亀が出てくるものといえば、かごめうたがあります。


 その歌詞は地域によって違いますが、「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる」までが、同じであり、そのあとは、鶴と亀が滑ったとつながります。最後は、後ろの正面だあれ?です。


 しかし、これらは、オリジナルではありませんが、しかし、一致するのは、最初の「かごめかごめ」「籠の中の鳥」そして、「鶴と亀」です。

 これが示すものは、恐らく、覚醒。セフィロトの樹です。


 セフィロトの樹は、カドゥケウスで表され、十字架と二匹の蛇と翼。

 これらは、同時に六芒星で表されます。


 翼は鳥であり、セフィロトの木の覚醒を表します。

 また、覚醒を示すものとして、仏教の坊主があり、キリスト教ではトンスラという頭を剃るという習慣があります。


 鶴の頭は、剥げており、その地肌が赤く見えています。

 鶴とは、つまり、覚醒そのものです。


 亀は、その覚醒を至るまでの過程と覚醒を表し、三種の神器、エデンの出来事です。

 籠に入るただのは、亀によって覚醒に至りになります。


 「夜明けの晩から出る」という、いかにも目覚めを示すような歌詞。

 カゴメ歌の遊びの動き方は、真ん中の子を囲んで回るという螺旋運動。

 後ろの正面という、いかにも陰陽を表すような歌詞。


 それらのことから、カゴメ歌とは、セフィロトの樹と覚醒です。


 恐らくこれは、元々は、神社または、生贄の儀式であったものであろうと推察します。



 「羅」は神であると同時に666を内包しているのが分かります。

 この羅という韻に聞き覚えはないでしょうか。


 IS RA ELの「RA」です。


 IS RA El、三つの神は、世界の三柱の神、そして、神を意味する阿修羅とは、柱の語源、阿修羅とISRAの韻がよく似ているのは偶然ではないように思います。

 ご丁寧に、阿修羅の腕は、6本です。


 以前、私が、すべての宗教の神は同一と言ったように、やはり、ここでも神はRA

だったのです。


 RAとは、太陽神です。

 ISは月の女神、イシス神などで、ELは、最高神。または、単に「神」を指す。

 RAを日本神話にあてれば、天照大神です。

 ISは月詠命ということになります。


 

 上の方で書いた、厩戸王子とは、聖徳太子のことです。

 日本書紀で初めて登場する聖徳太子の「聖徳」その韻は、セント・クリスと似ています。

 厩戸王子は、馬小屋で生まれ、それは、葦で作られた籠で受けられました。

 セント・クリスもまた、馬小屋で生まれ、パピルスで作られた籠で受けられているのです。

 パピルスは葦と同じく、織ることで、籠にし、またそれはカゴメです。

 パピルスはペーパーの語源。紙です。

 葦は、羅で神。紙は神と同じ韻を持ち、神道においても紙は重要です。

 ここにもつながりを感じずにはいられません。


 籠に入った厩戸王子が、聖徳太子として覚醒する様は、かごめ歌の籠に入った鳥が鶴に覚醒する歌詞にリンクします。


 また、馬小屋で、産み落とされた厩戸王子は飼い葉桶に入れられています。

 飼い葉桶を書き換えれば、海馬受けとなり、海馬とは、シーホース。つまり、タツノオトシゴです。


 666の覚醒とは、松果体の覚醒であると以前書いたと思います。

 その松果体とは、孫悟空の緊箍児(きんこじ)ように海馬が囲んでいます。

 その形は、まさに6です。

 海馬は、英語では、マモンホーンと呼ばれ、はまささに悪魔の羊の角のように巻いた角が松果体を囲んでいるのです。


 聖徳太子の制定した「冠位十二階」は、ヘブル人の聖書の十二支族と一致し、セント・クリスの弟子の十二人とも一致しています。

 十二人の士族に充てられた手紙は、かつて、祭壇に聖杯を挟んで6ずつ置かれ、その構成は666でした。


 聖書、日本書記の666をめぐる謎の一致が存在し、神がRAであることや、神社の構成の同一感は、偶然とは思えません。


 これこそ、世界は、同じものを見ていたということは間違いないようです。

 


 聖徳太子を信仰していた秦氏は、聖徳太子を本尊とする広隆寺を建立しました。広隆寺には、国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵しています。


 この弥勒菩薩は、ひふみ神示において、関連性をしばしば、指摘されています。

 弥勒が三つの6を示す韻と同じであり、弥勒菩薩のその手は、666のサインです。


 ちなみに、菩薩とは、仏になる前の修行僧の意であり、弥勒菩薩は、覚醒前の状態です。


 セント・クリス、つまり、キリストが聖徳太子と同一であったとすれば聖徳太子のその意思を継ぐ秦氏は、キリストの意思を継ぐものと同じであると解釈することが出来ます。


 広隆寺を建立した秦氏の秦という文字。

 それを分解すれば、二大禾さんだいのぎとなります。

 禾とは、米や、種を示し、これらを同じく示す文字は芒です。

 芒とは、三角形のことで、二つの三角形、つまり、六芒星です。

 また、芒は、図形の頂点または、辺を示し、秦を三人禾とすれば三つの芒で三角形を表します。

 それはつまり、六芒星を構成する陰陽で示される二つの三角形の一つだとわかります。


 セフィロトの木において、六芒星を構成する△が最も重要な隠されたセフィラであるダァトを内包しています。

 つまりは、△が示すものは、ダァトだとわかります。ダァトの韻はデルタと似ており、デルタの意味は三角形です。そして、ギリシャ語のΔ(デルタ)は、英語でのDの元となった文字です。


 キリスト教の三位一体は、三角形で表されています。西方教会の「三位一体の盾」は、その中心が、DEUS。Dです。

 DはΔ(デルタ)であり三角形です。


 これが、△の重要な意味であり、秦氏という重要人物にその△があり、彼が△を名乗ることにある種の関連性を見て取ることが出来るのです。



 六芒星を直接示す文字は、他にまだ存在しており、卒塔婆の卒です。

 卒の文字はどことなく六芒星に似ています。

 この文字が段階を上げる意味の言葉に使われることに関連性を感じずにいられません。

 卒塔婆の語源は、東南アジアのストゥーパで、これは寺院を示しており、ストゥーパと卒塔婆のその形は、△〇□で同じ並びです。

 


 卒塔婆の正確な並びは以下です。


 上から、▽△の並びは六芒星になっているのが分かります。そして、一番上の〇は、覚醒とするなら、その形は、セフィロトの木を表しているものと確信します。


 卒塔婆とは、あの世への繋がり。供養を意味するものであり、それは、やはり、異界への門です。


 文字の多くに暗号が含まれているのが理解できます。漢字は、多くのシュメールの人若しくは、へブル人の影響を受けていたことが分かります。


 もしくは、同じ神話を持っていたということです。


 これら漢字が伝わると日本神話に順応していきます。そして、一致するものへと漢字が当てられていったのです。


 カタカナとひらがなは、漢字から変化したものではありません。

 あまりにも、中国の漢字と日本の漢字が違います。

 この理由は、カタカナのもつ、言霊を漢字に加えて書き換えたからです。そして、大陸の漢字と、列島の漢字に大きな差異が生まれたのです。

 そのもう一つの結果が訓読みと音読みの発生でした。


 例えば、狛の「コマ」は回転と、鉤と鍵を示す言葉であり、これは訓読み。螺旋の事です。

 この「コマ」に生贄と覚醒を示す漢字の「狛」を当てたのです。


 コとは、鉤を表し、マも鉤です。コは、回転と渦であり、マは鍵と勾玉です。



 あまりに一致する世界の共通項は、何か一つのものであったのが世界に散らばったのか、それとも、世界同時に同じものがあったのか、興味が尽きません。

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