第2話 正義の騎士
ミカエラは美しく着飾り、社交界デビューを果たした。
歩けないラファエラに同じことができる筈もなく、今までと変わらず、自分の城に閉じこもるだけ。その代わりのように、両親はラファエラにドレスや靴、装飾品を買い与えたが、着ていく場所などない。ラファエラは屋敷の外に出たことが、ない。過保護な両親が許さなかった。あるいは、ラファエラが望めば両親も許したかもしれなかったが、彼女自身が望まなかった。
ラファエラは、彼女のお城の中の女王さまであり続けた。召使いであるミカエラに着替えを手伝えさせ、髪を結わせ、装飾品をつけさせ、靴を履かせる。
「ミカエラ……アナタ、最近どうしたのぉ?」
ミカエラの素振りや手付きがこれまでとは違うことに、ラファエラは目敏く気が付いた。ラファエラに何かを気付かれることは、今までなら恐怖を意味した。けれど、今はそんな感情はもう感じない。必要もない。
「ずいぶん、ご機嫌そうなのね」
以前までラファエラの世話を明らかに嫌がっていたことを、暗に彼女は指摘していた。今は、本物の侍女のように細やかに気を配っている。
ミカエラは鏡台の鏡越しに、ラファエラへ視線を向けた。
「今までごめんなさい、ラファエラ。お父さまもお母さまもラファエラばかり可愛がってると思って、わたし、ラファエラのこと……憎かった。不平等だと思ってた。でもやっと分かったの。わたしは間違ってた。わたしは、ラファエラのためにできることをしなくちゃいけない。そうじゃないと、それこそ不平等だって」
「……なあに、急にいい子になったのね?」
ミカエラは恥ずかしそうに微笑んだ。
本心からラファエラに気持ちを伝えられたことが、誇らしかった。それもこれも、自分の世界を変えることができたから……いや、変えて貰えたからだ。
「わたしね、恋人ができたの」
僅かにだけ見開かれたラファエラの眸。
彼女のお城が、崩落を始めたのだ。
ミカエラは、社交自体はあまり好きになれなかった。とびきりきれいだと思ったドレスも、大勢の中では平凡に見えてくる。それに、ラファエラの方がもっときれいなドレスを着ている。幼い頃からラファエラの世話に明け暮れて友人もいない。同じ年頃の少女はたくさんいるが、話しかける勇気もない。それに恐らく、ミカエラは成り上がりの家の娘と蔑まれていた。
両親が挨拶に回っている間、気分が悪いと言ってミカエラは壁際の椅子に座っていた。
「お加減が悪いのですか、レディ?」
最初、自分に向けての言葉だと思わなかった。青年が跪いて心配そうにミカエラを見上げて初めて、気が付いた。
ミカエラよりもいくらか年上の青年だった。見るからに品のよい紳士だ。甘い顔立ちに、茶色に近い金髪、青い眸。
「いえ、あの、その……」
「もしお加減が悪いのではなく、お嫌でなければ――僕と、踊って頂けませんか?」
ミカエラはぽかんとした。聞き間違いかと思った。しかし青年は跪いたまま、真摯な表情で手を差し伸べている。
「わたし、と……?」
「ええ。あなたを一目見た途端、僕がずっと捜していたのはあなただと思ったのです」
こんなに熱い視線を送られたことなど、一度もない。ミカエラは目を逸らした。
「ご、ご冗談を仰らないで下さい。あなたは貴族……でしょう? でもわたしは、」
「あなたが誰であろうと、僕の気持ちは変わりません。どうか、僕と踊ってください」
彼はミカエラの手を握り、指先に唇を寄せた。祈るように。
自分が何と答えたのか、よく覚えていない。
ミカエラは彼と踊った。注目を浴びた。ジャスティンさまと踊っているのは誰なの? ほら、成り上がりのトーマス家の。でもきれいな子ね。あの子、あんなに美人だった? ダンスも上手だわ。お似合いの二人ね。ミカエラを蔑んでいた少女たちも、今やミカエラを羨んでいた。
みんながわたしを見ている。お父さまもお母さまも。目の前のこの男性も。ラファエラではなく、わたしを!
こんなに楽しいのは生まれて初めてだった。
崩れゆくお城の中でたったひとり玉座に腰掛けるようにして、ラファエラはミカエラの話を聞いていた。
「彼の名前はジャスティン・ライリー。子爵家の、長男なの」
「……貴族なら、ワタシたちとは身分違いだわぁ。結婚も難しいじゃなぁい。可哀想なミカエラ、遊ばれているんじゃないのぉ?」
「いいえ。彼は
そう、と素っ気なく頷いたあと、ラファエラは黙った。
「ラファエラ、怒っているわよね。わたしだけ幸せになること……。本当にごめんなさい。赦してちょうだい。わたし、あなたのためにできることなら何でも――」
「おめでとう」
表情を欠落させていたラファエラが、不意に微笑んだ。いつもの冷たい笑みではなく、あたたかく、やわらかい微笑み。
「おめでとう、ミカエラ。謝るのはワタシの方だわぁ。ずっとミカエラが羨ましくて、意地悪ばかりしたもの……」
「……いいの。いいのよ、ラファエラ。そんなことは……」
ミカエラはラファエラを抱き締めた。
「ありがとう、ラファエラ……」
ラファエラもミカエラの背中に手を回し、爪を立てるように強く抱き返した……。
「ミカエラ、君と結婚はできない」
恋人に告げられた唐突な言葉に、ミカエラは頭が真っ白になった。
馬車の中だった。逢う約束はなかったけれど、ジャスティンはミカエラを訪ねてきて、出かけようと言った。彼の硬い面持ちが気にはなったが、ミカエラは恋人と出かけられることが嬉しかったし、両親も喜んで送り出してくれた。
「……どういうこと……? どうして、ジャスティン? やっぱりわたしが貴族の家の生まれじゃないから?」
「違うよ。家なんて関係ない」
「それじゃあどうして!」
「どうしてと言いたいのは僕の方だ、ミカエラ! 僕は本当に君を愛していた。それなのに……」
「お願いジャスティン、落ち着いて。わたしはあなたに何もしていないわ」
彼は懐から何かを取り出した。
「これを見ても、そう言えるのか?」
手紙だった。ジャスティンに宛てられた手紙。見覚えのある字――それがラファエラの字であると気付いた瞬間、腹の底を掴まれたような不快感と言い知れない恐れで、ミカエラの体が強張った。
押し付けられた手紙を読む。ジャスティンさま。どうか姉を幸せにしてください。姉は可哀想なひとなのです。歩くことができず、外に出たこともない私などよりも、ずっとずっと可哀想な人なのです。私は姉の幸せを心から祈っています――。
ミカエラがどのように可哀想なのかも具体的に書かれていた。ラファエラがミカエラにしてきた仕打ちを、ミカエラがラファエラにしたように。
「これ、は……」
「僕の言いたいことが分かるかい?」
ミカエラはうろたえた。手紙の内容以上に、自分を愛していた筈の相手がそれを全く疑いもせず、自分へ敵意に満ちた視線を向けているという現実に。
そんな自分をどう解釈したのか、ジャスティンは失望したように溜息をつく。その態度は、彼からの愛情によって支えられ、磨かれていたミカエラの自尊心をひび割れさせるのに充分だった。
「君は今まで、一度としてこの妹君の話などしなかったね」
「それは――」
「まるで存在しないもののように扱ってきたんじゃないのか」
彼の――常に優しく穏和だったジャスティンからの、責めるような口調を前に、ミカエラは凍りつくことしかできなかった。
「君の両親さえ、彼女のことを話していなかった。君と君の一族は、このラファエラ嬢の存在を隠していた……いや、恥だと思っていたんじゃないか。か弱い体を持っているからといって」
「そんな、そんなことは……」
「だからラファエラ嬢は僕にこうして手紙を送ってきたんだ。君の名前を使って、助けを求めるために」
ミカエラは何度も否定をしようとした。だが、大好きな恋人だったジャスティンからの軽蔑しきった態度と、ラファエラへ長年憎しみを抱いていたという事実が喉をつかえさせる。惨めだった子どもの頃のように、何も言えず、ただ眦だけにじわりと熱いものが込み上げてきた。
そんなミカエラに、相手は同情や労わりを示すことなどもなく、それどころか悪党へ憐れみを送るかのような口調で、
「僕の母もね、体の弱い人だったんだ」
もはやジャスティンは、ミカエラを眼中に捉えていないようだった。
「だから僕は、弱い存在は護るべきだと教えられて育ってきた。でも、君はそんな当たり前のことも分からないなんて。それこそ最低の、恥ずべき人間だ」
――どうしてお前だけ。お前なんて。お前が奪ったせいであの子は。
「僕は弱い存在を護るよ。人として――男として」
だから僕は、ラファエラ嬢と婚約する。
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