第3話

「ち……治癒魔法? この人が!?」


 治癒魔法師など、この国に数人しかいないのに。

 従兄と同じように疑いの眼差しを向けてくるミミーに、カトレアはにっこり微笑む。


「ええ。大船に乗った気持ちでいてください!」


「……お兄ちゃま、ちょっと」


 ミミーはリードの袖を引き、顔を寄せて耳打ちする。


「あの人、怪しいわ。帰ってもらってよ」


「僕も怪しいと思うよ。だが、やらせてみるだけなら損はないじゃないか」


 二人はひそひそ話のつもりだが、会話は婚約者にもメイドにも筒抜けの音量だ。


「では、施術の前に確認させて頂きますね」


 従兄妹の不信感など物ともせずに、カトレアはニコニコと進行する。


「お体のどの辺の具合が悪いのですか?」


「……その日によって変わるわ。頭が痛かったり、お腹が痛かったり。今日は胸がムカムカして……」


 ボソボソと答えるミミーに、サマンサは「それはビスケットの食べ過ぎでは?」と心のなかでツッコむ。


「お医者様には診てもらっていないのですか?」


「医者はミミーの病気は治せないって言うんだ!」


 今度はリードが返す。

 カトレアは「ふむ」と呟いてから、


「それなら、とりあえず一般的な治癒魔法を試してみましょう」


 ミミーの頭上に掌を翳した。


「オーディナリーキュア!」


 呪文を唱えると、掌から柔らかい光が溢れミミーに降り注ぎ……そして消えた。


「どうですか?」


 ミミーは自分の体を触って確認し、


「何も変わらないわ」


「おいおい、しっかりしてくれよ!」


 すかさず呆れた抗議の声を上げるリードに、カトレアは再び「ふむ……」と考える。


「では、出力を上げてみましょう」


 今度は指を組んで印を切りながら、呪文を唱える。


「天に在りて地に在りて、すべての源である聖霊よ。我が声に応え……」


 詠うような響きに合わせ足元に魔法陣が浮かび上がり、先程とは比べ物にならない量の光が噴き出し、部屋中を輝きで満たす。


「グレイテストキュア!」


 発動の言葉に呼応し、光が弾ける。

 その場にいた術者を除く三人は、眩しさに目を閉じた。瞼越しの明るさが通常に戻ると、リードは恐る恐る目を開けた。魔法の余韻なのか、天井から火の粉のような光の粒がはらはらと舞っては宙に消えていく。

 しばし幻想的な光景に浸っていたいところだが……彼にはそれより大切なことがあった。


「ミミー、具合は!?」


 従妹に確認すると、彼女はキョトンとして、


「……何も」


「はあぁぁ!?」


 リードは露骨に肩を落とした。


「どうなってるんだい? カトレア! 君の魔法は見た目だけの虚仮威こけおどしじゃないか! これだったら花火師の方がいい仕事するよ。国家認定ってのは嘘だったのかい!?」


「そんな。確かに術は発動したはずで……」


 怒鳴りながら詰め寄ってくる婚約者に、カトレアがオロオロと眉尻を下げた……その時。


「ああ!」


 ……あらぬ方向から声がした。


 カトレアとリードとミミーが一斉に振り向いた視線の先には、広げた両手を見つめて驚きに震えるメイドの姿が。


「手が……あかぎれが治ってる!」


 開いたり閉じたり、表返したり裏返したりして確認する。こんなに肌が滑らかに整っているなんて、いつぶりだろう!

 自分の手をうっとりと眺めていたサマンサは、ハッと気づいてドレッサーに駆け寄った。そして、鏡の前で恐る恐る前髪を上げ……。


「……っ」


 その場に膝から崩れ落ちた。


「貴女! 大丈夫ですの!?」


 急いで肩を支えるカトレアに、サマンサはすがりついた。


「……ない」


「え?」


「傷が……なくなってる……!」


 分けた前髪の間から見える秀でた額はまっさらで、吹き出物一つない。長年彼女を苦しめてきた古傷は、もうどこにもないのだ。


「ありがとうございます!」


 サマンサは恩人の両手を握って泣きながら感謝する。


「本当にありがとうございます、カトレア様! なんと素晴らしいお力。貴女は女神様ですか?」


「いえ、しがない伯爵令嬢です」


 意外とにべもない答えだ。


「あ、でも一応能力値は聖女クラスと言われてますわ」


「聖女様! ああ、やっぱり尊きお方なのですね。感謝致します。この御恩は忘れません!」


 すがりつくメイドをよしよしあやして、伯爵令嬢は苦笑する。


「そんなにお気になさらずに。わたくしの力なんてまだまだですわ。だって……」


 顔だけをベッドに向けて、


「ミミー様の体調は、まだ優れないままなのですもの」


 沈鬱なため息をつく。


「お医者様にも治せないというご病気、なんとしても治して差し上げたいのですが」


「それは……」


 心底気の毒そうなカトレアの表情に、サマンサは言い淀む。

 ……医者は確かに、ミミーの病気は治せないと言った。


 と。


「あの、カトレア様……」


 アンダーソン家のメイドが意を決して雇い主縁者の秘密を告発しようと口を開く……寸前。


「……それでは、少々荒療治をするしかないわね」


 伯爵令嬢は唇に不敵な笑みを閃かせると、サマンサに向き直った。


「貴女、名前は?」


「サマンサです」


「では、サマンサ。ちょっとお手伝いしてくださるかしら?」


「は……はい。カトレア様の為ならば」


 訳も分からず頷くメイドに微笑んで、カトレアは立ち上がった。


「リード様、ミミー様のお体は根深く危険な呪いの毒素に蝕まれているようです。もっと強力な効能を凝縮した……魔法薬を試してみたいのですが?」


「え!? そんな……」


「ああ! やってくれ!」


 顔を引きつらせて拒否しようとするミミーに被せてリードが肯定した。


「それで、材料がその……ちょっぴり高額なのですが」


「構わない! ミミーが治るのなら!」


 リードはキリッとした表情で宣言する。その勇ましさは、婚約者にケーキ一つを奢るのも惜しんだ彼と同一人物だとは思えない。


「畏まりました。……では」


 カトレアが左手を突き出すと、何もない空間から小さな布袋が三つ現れた。収納魔法だ。


「サマンサ、薬の用意を手伝ってくれる? 赤い袋の葉っぱはお茶として淹れて。青い袋の穀類はお粥に、緑の袋の豆は柔らかく煮て」


「仰せのままに、カトレア様」


 厨房へ向かったサマンサは、すぐにティーポットを持って帰ってくる。


「これは、頭の毒素を抜くお茶です」


 ポットを受け取ったカトレアはティーカップにお茶を注いだ。紫色をしたどろりとした液体は、カップに禍々しい波紋を広げている。


「月光雫茸と海桜をブレンドした最高級の魔法茶です。栄養があって普通に飲んでも健康にいいのですが、毒素の溜まった方には特に効果がありますのよ」


 カップを渡され、ミミーはごくりと唾を飲む。


「……お兄ちゃま。あたし、これ飲みたくない」


 いつもなら、嫌だといえば従兄は必ず「いいよ」と言ってくれるのだが……。


「飲まなきゃダメだよ、ミミー」


 今日のリードは優しく諭してきた!


「メイドの傷が治ったのを見ただろう? カトレアの力は本物だ。そのカトレアが通常の魔法では治せないというのだから、ミミーは大変な病気なんだ! 僕は君の為なら全財産をなげうったって構わない!」


「お兄ちゃま……」


 従兄の熱い心には感動するが、はっきりいってありがた迷惑だ。

 しかし、わくわく顔で見つめるリードの前で拒否することはできない。普通に飲んでも体にいいというのだから、問題ないだろう。

 ミミーは意を決してカップに口をつけ……、


「うげぇおぉぉえぇぇぇぇっ!」


 ……おおよそお嬢様らしくない声が出た。


「おえ! まず! なにこれ、毒!?」


「良薬は口に苦しです」


「苦いってもんじゃないわよ! 人の口にするもんじゃないわ! お兄ちゃま、このお茶捨てちゃって!」


「わかっ……」


 金切り声で叫ぶミミーにティーカップを押し付けられ、リードは受け取ろうとするが……、


「そのお茶、同重量の金と同額で取引されております」


 カトレアの言葉に、血相を変えて押し戻した。


「ミミー、我儘を言ってはダメだよ。全部飲まなきゃもったいな……ゲフン。病気が治らないよ」


「お兄ちゃまぁ……っ」


 まさかリードが寝返ってくるとは!

 彼に気づかれぬよう、ミミーがカトレアをキッ睨むと、従兄の婚約者はにっこり微笑み返した。


「お熱いうちにどうぞ。冷めると更にエグく……コホン。味の個性が強くなりますので」

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