第十四話

 救世主との会話の後、セラフィーナは直ぐに奇跡の実を食べ、空間魔法を使い、自宅へと戻って来ていた。

 転移魔法とは違い、一瞬で行きたいところへ行ける訳ではない空間魔法は、目的の場所に辿り着くまでに少々の時間がかかる。その時間を惜しく思いながらも、導を目指し、セラフィーナは自宅へと向かった。


「お母様、お父様は薬学部の方ですか?」


 帰って直ぐ、母親が居るであろう庭へと向かうと、奇跡の実に水を与える姿が目に入り、走り寄る。


「まあ、セラ、慌ててどうしたの? 学園の方はいいの?」


 呑気に振り返り、笑顔を向ける母親セシリーに、セラフィーナは悲痛な叫び声を上げた。


「お母様、大穴が開きました。それも二つも!」

「えっ!」


 セラフィーナの言葉に、セシリーは驚き、口元に手をやった。叫び出さないように。


「お母様、もう……精霊界は、駄目かもしれません……」

「……大丈夫、大丈夫よ、セラ。まだ大丈夫よ。それに、もう、いつだって皆と合流出来るわ。何なら、今夜にだって」


 安心させるように、セラフィーナの手を握る。だが、セシリーの手は酷く冷えて震えていた。

 セラフィーナの母親であるセシリーは精霊族だ。そして、人間であるジョナスとの間に生まれたセラフィーナは精霊族と人間の『混血』である。


「あちらに残っていた聖獣たちは、今回の大穴の出現で、全員がこちらに跳ばされた可能性があります。そうなれば、もう、精霊界は……」

「セラ。まだそうと決まったわけではないわ」


 最悪の事態を想像し、セラフィーナの表情は絶望へと変わっていく。気丈に振舞うセシリーもまた、今にも膝から崩れ落ちそうになっていた。そんな中、セラフィーナの中で小さな希望が顔を覗かせた。


 『救世主』


 その名の通り、救い主。世界を救う者。


 もしかしたらと、心が叫ぶ。あの方ならばと心が叫ぶ。あの方ならば、死にゆく運命である精霊界を救ってくれるかもしれないと。精霊族に育てられた彼ならば、と。


「お父様には、伝えなくてもいいのですか? これが最期になるかもしれませんし……」


 父親も軍属だと思い至り、救世主へと連絡が取れるかもしれないと、セラフィーナの気が急いた。だがそれとは裏腹に、セシリーはセラフィーナを強く制した。


「待って、セラ! お父様には絶対に言わないで!」

「……」


 真剣な表情で、強く手を握って来るセシリーに、ぐっとセラフィーナは押し黙る。


「皆にこのことを伝えるわ。そしていつ合流するのかを話し合って、それからジョナスに話すかどうかを決めましょう」


 まだ重要なことを、ジョナスには話していない。それはセラフィーナも知っていた。だからこそ、罪悪感に苛まれる。それでも、話さずにいた方がいいのかもしれないと、セシリーの言葉に納得した。

 救世主もまた、しばらくは忙しいと言っていたことを思い出し、今すぐ接触を求めたとしても無理だろうと思い至る。何もかもが後手に回ることに焦燥感だけが募る。 だが今は、冷静にならなければと、セラフィーナは大きく息を吐き出した。


「解りました、お母様。今は冷静に、皆の意見を聞いてから動いた方が良いのでしょうから……」


 セシリーの瞳を見つめ、大きく頷いたセラフィーナは、学園に戻るために、また空間魔法を展開した。それを見送ったセシリーは、さく呟く。


「ごめんなさい……皆……」


 その瞳は涙に濡れていた。最期の時が近づく。それはもう、覆しようのない事実であり、どうすることも出来ないのだと悟る。

 セラフィーナには全ての『計画』を話してあった。人柱の話も勿論知っている。だが、夫であるジョナスと息子であるキースには話してはいない。それは、こちらに渡って来た精霊族との話し合いで決めたことだった。

 精霊族の血を絶やさないための決断。それがどれほど残酷なものなのか、セシリーにはよく分かっていた。だからこそ、セシリーは怖かった。精霊界で両親と、沢山の同胞を失い、飛ばされた先の人間界でも弟を失った。そしてまた、家族を失うことに恐怖を覚える。


「まだ覚悟が出来ていないの⋯⋯」


 涙を流しながら、セシリーは呟く。そして、この後のことを考えると胸が張り裂ける想いだった。


 『忘却魔法』


 それを使って、家族との絆を断ち切らねばならない。自分の存在自体を、全ての世界から切り離すその魔法は、今まで知り合った全ての者からセシリーの記憶を消し去るものだった。自分が愛した人達の記憶から、自分の存在が消えてしまう。それがとても恐ろしかった。ジョナスと愛を交わしたことも、二人の子供達をどれほど愛していたかという事実も、全て忘れ去られてしまう。そしてそれを、セラフィーナにも強要しなくてはいけない事実に打ちひしがれる。セラフィーナの人生が、生きた証が全て失われてしまうのだ。自分のことよりも、もっとずっと耐え難いと、セシリーは身体を震わせた。


「もう少しだけ⋯⋯もう少しだけ、一緒にいさせて⋯⋯」


 両手で顔を覆い、泣き崩れるセシリーは、とめどなく溢れる涙を止められずにいた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 大穴が開いてから、既に三日が経過していた。同じ日に二つの大穴が開いたが、その後は大穴が開くこともなく事態は収束へと向かっていた。それでも放たれた魔物の数は多く、各地へと広がり、今も尚、被害は拡大し続けていた。そんな中、ある施策が取られることとなり、セラフィーナの通う学園でもその余波を受けていた。


「フランセス様、どうかご無事で」

「生きて戻って来てくださいませ」

「うう……フランセス様……」


 全校生徒が集まった講堂で、学園長の話が粛々と成される中、小さな呟き達が漏れ聞こえる。


「大穴が開いた影響で、士官学校の生徒の他、我が学園からは三名の生徒が前線へと赴くことが決まりました。彼らはこの日の為、日々厳しい訓練に励み、自身を鍛えてきた勇敢なる生徒たちです。彼らの帰還を信じ、我々は待つことしか出来ませんが、この三名の活躍を皆さんで応援して行きましょう」


 学園長の後ろに並んだ三人の生徒たちは軍服を身に纏い、腕を後ろで組み、真っ直ぐと前を見据えていた。堂々とした態度で生徒たちの前に立ち、その表情は自信に満ち溢れている。戦場に向かうことを憂いている様子は、全くといいほどみられなかった。


「緊急事態ゆえ、彼らはこれから直ぐ、戦地へと赴くことになっています。皆さん一人一人からの激励の言葉を聞く時間はありませんが、どうか彼らを笑顔で送り出してあげましょう」


 その言葉を受け、激励の言葉が講堂を埋め尽くす。それと同時に、女生徒からは涙に濡れた声が零れ落ちた。壇上にいる三人が腰を折り、その場から去るまで、その声は鳴り止まなかった。

 

 講堂を出て、用意してあった馬へと向かうと、各々手綱を握り、出立の準備に取り掛かる。そんな中、一人が小さく呟くように愚痴を零す。


「なんだって学園から出立しなければならないんだ」

「確かにな。士官学校の連中は、ちゃんと軍属として軍本部から出立したと聞いた。今回のこの出立で、誰か得をする奴がいるのか?」


 同じ学年の男子生徒二人の余りの緊張感の無さに、フランセスは溜息を零す。


「大方、最期の別れをと思っての配慮だろう」


 フランセスの言葉に、男子生徒二人は首を傾げた。


「最期の別れ? なんだそれは?」


 本当に分からないといった表情で聞き返されたことに、思わずといった感じでフランセスは笑みを浮かべる。


「まさか、五体満足で帰って来れるとでも思っているのか? もし生きて帰って来られたとしても、もう学園には通うことは出来ないだろう。卒業までに病院から出られるとは到底思えんしな」


 フランセスの言っている意味が理解できないのか、二人はキョトンとした表情をする。


「私達は、前線に送られると聞いている。前線とは、魔物のど真ん中だ。後衛ではない。前衛として前線に送られることになっている」

「おいおい、俺たちはまだ学生なんだぞ。前衛な筈がないだろう」

「既に騎士の半数以上が前線を離脱している。そんな状況での学生の参戦だ。私達は間違いなく、囮や陽動として使われる。今回、士官学校でない学園から戦闘能力のある生徒を多数集めているのもその理由からだ。これは軍部での決定事項で、既に昨日から始まっている」

「そんな話は聞いていない!」

「ああ、そうだろうな。お前達のような遊び半分で軍部に所属している者には、気づきようもないか。こういった緊急事態の場合、武官の家の跡取り以外で戦える者を囮に使うのが常だ。そんなことも知らないで、随分と大きな口を叩いていたものだな。ちなみに昨日出陣した学生たちは全員命を散らしたそうだよ」


 フランセスが口の端を吊り上げて笑う。その嘲笑に、二人は絶句するしかなかった。学生の身分でありながら、軍に所属していることを鼻にかけていた二人は、フランセスからしてみればただの遊びとしか思えなかったのだ。いざという時に前線に立ち、殉職することの覚悟もない二人に、少々憐れみを感じたのも確かだった。


「当然のことながら、拒否権はない。ここで逃げ出したとしても、家に帰ることは出来ない。逃げ帰れば反逆罪として家が取り潰されるだけでなく、処刑は免れないだろう。だが、どちらがいいのだろうな。魔物に喰い殺されるのと、処刑されるのとでは」


 静かに目を閉じたフランセスは今朝、家を出た時のことを思い出していた。父親は既に前線へと赴き、魔物と対峙している。兄達も負傷しながらもまだ前線にいるとの報告を受けていた。そして退役して暫く経つ祖父に見送られる際、「国の為に死んで来い」と言われ、愕然としたのだ。それがこの家の『普通』であり、『常識』なのだと思い知らされたフランセスは、それでも気丈に最期の挨拶をして家を出た。そんな武官の家で育ち、国の為と言い聞かされてきたフランセスは、家を取り潰されることに何ら罪悪感も感じない。それでも逃げ出すつもりもない。洗脳に近い教育の賜物かもしれないと、結局のところ自分も武人なのだろうと思い至る。覚悟は出来ている。そう必死に思い込んでフランセスが目を開けると、二人の男子生徒たちは未だ手綱を握りしめたまま呆然と立ち尽くしていた。


「そろそろ行こう」


 フランセスが二人に声をかける。騎馬し、再度目線だけで促せば、無言のまま二人も騎乗した。ゆっくりと歩き始めた馬が小さく鼻を鳴らす。たった三人の出立を見送る者は、一人もいなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 当初の予定よりも随分と魔物の被害が出ていることに、救世主は頭を悩ませていた。


「足止めさえも出来ねえのかよ」

「大穴から降ってきた魔物は、とても強いですから」


 救世主の呟きに、眉根を寄せて言葉を返したエグバートは、あたり一面を覆い尽くす『残骸』に目を伏せた。

 早々に軍隊を編成し出動させ、部隊を割り振って魔物の足止めを実行したが、上手く機能しないどころか、全滅という報告まで上がっている。そんな状況に救世主は思わず愚痴を零してしまっていた。

 大穴が開いて数百の魔物が降ってきたとの報告を受けた時には、ここまで事態が悪くなるとは予想していなかった。西の国境で対峙した魔物の数が報告とは異なり、随分と少ないことに疑問を感じたが、それが最悪の結果をもたらしたことに救世主の苛立ちが募る。

 あの日から既に四日経ち、随分と魔物を屠って来たが、なかなか収束出来ない。後手に回るこの現状は救世主には酷く堪えた。


「確かに普段の魔物に比べれば幾分か強いだろうが、全滅するほどじゃねえだろう」


 救世主の物言いにエグバートは項垂れる。救世主からすれば大したことのない魔物でも、普通の人間からしてみれば、戦いを挑むなど無謀としか言いようがない程の強さなのだ。だが救世主にはそれが理解出来ないのだろうと、エグバートは諦めた。


「遺体は出来れば回収した方が良いのでしょうが、どれが誰のものか、判別はつかないでしょう。魔物の瘴気に当てられて、真っ黒に変色していますし」


 喰い散らかされた遺体は、腕や足の一部、頭部も丸々残っているものもあれば、鼻から下しか残っていないものもある。これを全て回収して浄化するとなれば、かなりの時間と労力がいる。


「……ああ、そうだな。だが……」


 言い淀んだ救世主にエグバートが首を傾げた。先程の物言いから、回収する必要はないと即答されると思ったからだ。黙り込んだ救世主に、エグバートは小さな声で提案した。


「この森に散らばった魔物達と一緒に、遺体も浄化してしまった方が良いと思います」


 その言葉に、救世主は苦々しい表情を隠さず、確認を取った。


「本当に良いのか? 家族が帰りを待ってんだろ?」

「ですが、この遺体を家族に見せるというのも……」

「それでも、死んだってことが判った方が、心の整理もつくだろう?」

「戻って来ないということは、即ちそういうことだと、家族はそう理解するでしょう」


 救世主からすれば、一部でもいいから遺体を持ち帰り、家族の許へと届けてやりたいという気持ちがある。自分はその遺体さえも残されなかったのだからと、ここに放置されたままの遺体を見やり重い溜息を零した。


「損傷の激しい遺体ばかりです。逆に自分の家族だと断定出来ずに、帰りを待ち続ける者も出るかもしれません。とはいえやはり、帰って来ないと頭では理解するとは思いますが」

「そうか……」


 やるせない想いを抱きながらも、救世主は納得した。そのことにエグバートはホッと胸を撫で下ろす。そこら中に散らばる遺体を回収するとなれば、その労力は大変なものになる。しかもそれはこの西の森だけではないのだ。


「仕方ありませんよ。元帥の浄化魔法は魔物も遺体もみんな消えてなくなってしまいますが、これ以上被害を拡大させない為には、この方法が一番良いと思います」

「ああ……」


 エグバートも浄化魔法を使えるが、そこまで強力なものではなく、せいぜいこの遺体の数個分を浄化出来る程度だ。逆に救世主の浄化魔法はどんなに加減をしても、瘴気を発するものは否応なく跡形もなく消し去ってしまう。そのせいもあり、国全体に浄化魔法が掛けられない。魔物に襲わて、軽症で済んだ者や命が助かった者も瘴気がほんの少しでも体内に入った者は全て浄化されてしまうからだ。

 一度国内に入り込んだ魔物を退治することは、救世主にとって酷く面倒なものだった。足元に散らばる遺体を見遣り、ほんの少しの躊躇の後、救世主は空へ手のひらを向ける。西の森全体を覆うように空へ展開された魔法陣が赤く光り出す。その光が森に降り注ぎ、視界が赤く染まる様を、エグバートはただただ、見つめていた。

 散らばった遺体達は、まるでその光に喰われていくように白い光の粒となって消えていく。全てを浄化するその魔法に畏怖を感じながらも、美しいとしか言いようのない光景にエグバートは感嘆する。それがどんなに場違いなものなのか解っていながらも、感動せずにはいられなかった。

 だが、救世主の表情を見て直ぐにその気持ちを改めた。痛みを堪えるようなその表情は、エグバートの心を酷く揺さぶった。いつもはあんなにも冷酷なのに、こんな時にこんな表情をする救世主に、強く心を持って行かれた。羨望に近い感情に引っ張られながら、この人の側近くに仕えていられることを誇りに思う。そんな想いと共にエグバートは目を閉じた。

 長い時間では決してなく、直ぐに事は終わる。感傷に浸る間もなく、救世主は言葉を投げる。


「次はどこだ?」

「東の砦です。二つの村が魔物に飲み込まれ、第三部隊が全滅しました。その後砦に学生達の部隊を投入しましたので、恐らく、今交戦中の筈です。間に合うかどうかは分かりませんが」


 その返事に救世主が眉を顰めた。


「学生?」

「はい、これ以上正規の部隊に被害が出ては困るので、一般の学園より、武官の子息女達を集め、囮として魔物を結界内に誘導する役目を負ってもらっています」

「ああ、そんな軍の規定があったな」


 その規定がどういったものかを理解している筈の救世主は、特に考えずに発言したのだろうことはエグバートにも直ぐに解った。それでも非情な物言いに、先程まで悲痛な表情を浮かべていた救世主を非難したくなる。だが今は一刻を争うと、言葉を呑み込み、救世主を促した。


「行きましょう」


 無言で了承し、救世主は直ぐに転移魔法で東の砦へと向かう。

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