第十一話

 日が傾き、夕焼けが建物を赤く染め上げる時刻に、軍部のとある会議室にはほんの少しの軍人が集まっていた。

 主には衛生部隊の士官だ。そこに救世主という場違いな人物が現れたことに、会議室に集まった全員が動揺した。

 そんな中、今回の主催側である薬学部の一人が、集まった面々に顔を向け挨拶をした。


「本日はお忙しい中、お集まりいただきまして、ありがとうございます」


 言い終わり、深々と頭を下げる中年の男性は、今にも折れてしまいそうな程、痩せ細っていた。

 今回の説明会の資料を配る他の薬学部の職員もまた、やつれているという表現がしっくりくるほど憔悴仕切っている。


 説明会が始まるまでにはまだ少し時間があると、救世主はセラフィーナの父親であろう人物を見つけ、直ぐに歩み寄った。

 セラフィーナの父親というだけあって、その見目の良さは他を圧倒していた。切れ長の目に薄い金色の髪はセラフィーナとはまた違った造りものと見紛うほどの美しさがあった。


 そして気付く。

 セラフィーナの父親、ジョナスには、魔力があることを。

 

 はっきりと感じられるその魔力は、彼が『人間』であることの証に他ならない。だとしたらセラフィーナはただ単に魔力の弱い人間なのではないかと救世主は結論付けた。そうなると傀儡魔法を精霊族にかけられている可能性が一気に濃くなる。だからこそ、『精霊族の呪い』などという噂が出できたのではないかと、逡巡した。

 ジョナスはいきなりこちらに向かって来た救世主の行動に驚きつつも、挨拶をしながら腰を折る。

 手を差し出し、握手を求める救世主に、恭しく手を握り返すと、また深々とお辞儀をした。顔を上げたジョナスの顔色が酷く悪いことに気づき、救世主はじっと観察するように睨め付ける。

 大柄な救世主の鋭い眼差しに背筋を震わせたジョナスは、握られたままの手を放して欲しいのだが、それを言葉に出来ないでいた。


「研究に没頭し過ぎて余り家に帰ってないと、あんたの娘から聞いていたが、ちゃんと飯は食ってんのか?」


 他の職員同様に、ジョナスのやせ細った身体は今にも折れてしまいそうだった。

 着ている服も上質な物なのに、体型に合っていないのが分かるほどに余裕がる。それが余計に痩せてしまったのだと印象づけた。


「え? あ、はい……その……それなりには……」


 突然の質問に、戸惑いながら返事をするも、酷く歯切れの悪いものになってしまった。そのことに救世主は、眉間に皺を寄せる。


「随分と心配してたが、身体の方は大丈夫なのかよ」


 ここでハッとジョナスの目が見開かれた。救世主の言葉の中に『娘』という単語があったことに気づき、心配しているのが自分の娘だと漸く理解した。

 なぜ救世主と娘が知り合いなのか、ましてや自分の話をしているのかと色々気になってしまう。それでも、聞かれた内容の返事をしなければと、混乱しながらも何とか言葉を口にした。


「はい、身体の方は全く問題なく、至って健康体です」


 きっぱりと言い切ったジョナスを上から下まで舐めるように見遣ると、救世主の眉間の皺が一層深くなる。

 握っていた手を放し、腕を組むと威圧的に言い放った。


「そんなんで回復薬や万能薬って言われても、説得力がねえんだよ」


 顔色も悪く、目の下にははっきりと隈も出来ている。回復薬を作っていると言われても、そうそう納得は出来ない。他の薬学部の職員に目を向ければ、益々信憑性が薄くなっていく。


「え? そうですか?」


 よくわからないと、同僚に顔を向けるジョナスに、救世主がわざとらしく溜息をついた。


「回復薬は持って来てるんだろう? 今ここで飲んで見せてくれよ」

「え? 今ですか? あるといえばありますが、それらは軍部の方たちへのお土産なのですが」

「多めに持って来てないのか?」


 その救世主の発言の少し前には、薬学部の職員が回復薬の数を確認し終えていて、五本の余りがあるとジョナスに身振り手振りで訴えていた。薬学部の職員は今回四人来ている。十分に足りる量だった。


「丁度説明会も始まる時間ですし、元帥のご提案の通りに、お集まりの皆様には先に回復薬の効能を直に見て頂くことに致します」


 そう言って手渡された回復薬の瓶を受け取ると、ジョナスは用意されていた席へと向かう。

 救世主がジョナスの真正面の席へと腰掛けるのを待って、説明会が始められた。

 ジョナスは他の職員が行った、先程と同じ挨拶から始める。


「本日はお忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます。では最初に、私達薬学部一同が、回復薬を服用させていただきます」


 そう言って目配せをしたジョナスは、他の職員達が回復薬を飲んでいる間に自らのズボンのベルトに手をかける。手早くベルトを緩めると、直ぐに回復薬を口へと運んだ。

 そのジョナスの怪しい行動を見逃さなかった救世主は、一瞬、何を?と椅子から腰を浮かせかけた。だが直ぐにその理由が分かり、驚愕に目を見開く。

 回復薬を飲んだ職員達はみるみる血色が良くなり、コケていた頬もふっくらとしてきた。髪の毛にも張りが出てツヤツヤとしている。

 

 そしてジョナスは全くの別人となっていた。

 

 目の下の隈はすっかり消え失せ、頬はふっくらどころかパンパンに膨れ、肌もモチモチと柔らかそうな感触を視覚で伝えてくるほどだった。頬が肉で押し上げられたせいで、切れ長の目は糸目に変化している。腹部に至ってはふくよかを少し通り越した感じにせり出していた。全体的に丸くなったジョナスは美青年から、癒やし系のぽっちゃりさんに変身を遂げていた。


「如何でしょうか? 回復薬の効能を直に見ていただきましたが、衛生部隊の方々にとっては見慣れた光景かと思います」


 その言葉に全員が首を横に振っている。予想外の反応にジョナスが一気に汗だくになった。ふくよかな人の特徴を見事に見せつけたジョナスに、この場に集まった面々の顔が綻んだ。先程までの秀麗さとは違い、人好きするその容貌に皆癒やされてしまっていた。


「では、今回新たに開発した万能薬についての説明をさせていただきます」


 ポケットからハンカチを取り出し汗を拭きつつ資料を捲る。


「お手元の資料の二枚目、万能薬の効能についての説明です」


 既存の万能薬の効能と全く変わらない薬の開発に成功した旨が書かれた資料に、衛生部隊の面々の目が輝いていた。が、薬学部の方はそうではなかった。今回、衛生部隊の強い要望を受け、説明会を行ったが、これを軍に投入することに懸念を抱いているというのが本音だった。


「万能薬については、軍への投入は考えておりません。というよりも、貴族の方には手に入れられないようにするつもりです」


 恐らくは、ジョナスの言葉を予想していたのだろう、険しい顔をしながらも、反論する者はいなかった。


「我々薬学部が奇跡の実を用いて回復薬を作り発表した際も、一部の貴族がそれを独占しようとして問題が起きました。今回はその時以上の問題が起こることは確実でしょうから、予め予防策を講じております」


 予防策について詳しいことを話せば、対抗策を取る者が出てくるだろうと、敢えて説明はしないと断言したジョナスに、衛生部隊は先程と同じく何も返さなかった。


「万能薬は、教会と病院で我々薬学部が立ち会い、手足を失った方や重い疾患と闘っている方に使って頂きます」


 これから、いつどこに万能薬を持ち込むのかという予定表が資料に書かれている、とジョナスは資料に目を向けた。衛生部隊と救世主もまた資料を見やり、予定表の予備日という項目に首を傾げる。その予備日は随分と先の日付が記されていたからだ。あと半年でジョナスはこの国を出る筈なのにと、救世主はどういうことかと逡巡した。だがその答えは得られぬまま説明が続く。


「例えばそこに貴族の方が見えたとしても、万能薬を渡すことは致しません。勿論、持ち帰ることも出来ません。万能薬は必ずその場で飲んでもらいますし、もし盗まれたとしても、ただの水になってしまいますから効果はありません」


 その言葉に、救世主はセラフィーナの言葉を思い出す。回復薬を他国へ持ち出すと水になってしまうと確かそう言っていた。それと似た現象を作り出すことが出来るということは、何故水になってしまうのかが判明したことになる。その説明を求めたとして、その回答が得られるだろうかと考える。それこそ対抗策を取られそうだと、答えることは避けるだろう。そう予想して、質問したい気持ちをぐっと堪えた。その代わりに最も危惧するべき事を質問する。


「もし、あんた達の誰かが誘拐なり拉致されたとしら、どうなる?」

「問題ありません。我々薬学部の者は、全員その対処をしています。人質に取られたとしても直ぐに脱出する方法があります。勿論、その方法は教えられませんが」

「家族が誘拐された場合はどうだ?」

「それも対処済みです。どう対処したかは話せませんが」


 笑顔でそう告げたジョナスには確固たる自信が窺えた。それでも絶対は有り得ないと救世主は険しい表情を崩さない。

 実際、このジョナスの発言の半分はハッタリだった。ある程度の予防策はしているものの、完璧とはいかないことは重々に承知していた。それでも自信を見せればそれだけでも牽制になると、ジョナスは力強く言い切ることにしたのだ。


「対処は万全ですが、万が一ということも考えられます。それに伴い、薬学部の個々人にしっかりと教育をすることで、危機意識を高めていこうと思っています」


 納得は出来ないものの、呑み込むしかないと諦め、何事もなければいいと救世主は深い溜息を零す。と、ここで初めて衛生部隊の一人が質問を投げかけた。その言葉には怒りが滲んでいた。


「何故、万能薬を作ったんですか? 軍に投入する予定のないものを。薬学部は軍属です。軍の為に活動するのが責務です。これでは職権濫用だと言われても文句は言えないのではないですか?」


 厳しい表情を見せる衛生部隊の面々に、ジョナスは大きく頷いた。


「確かにおっしゃるとおりですが、今回の万能薬に関しましては、軍部の許可を取って行いました」


 それに反応したのは、救世主だった。


「許可って誰のだよ? 俺は聞いてないが?」


 軍の頂点に立つ救世主には、その話は通っていない。そう言われて困惑したのは薬学部の面々だった。


「それは、こちらでは何とも言えませんが、現に許可証は頂いておりますし、そもそもこの万能薬は私個人の研究で、自宅で作っていたものです。それを強引に軍部で作るよう指示をされ、『作らされた』というのが現状です」

「それなのに、軍に投入しないという決定は出来るものなのか?」


 衛生部隊の一人が質問をする。それに満面の笑みでジョナスが答えた。


「軍の最高司令官である元帥が、許可を出していないと、今仰られました。それが全てです」


 ジョナスには確信があった。救世主が大事な軍の会議に出席していないことや、人に無関心だという噂は、自分の悪い噂以上に耳にしっかりと入って来ていた。それ故、今回の万能薬についても何も聞かされていないのだろうと。

 前回の回復薬の時は酷かった。軍部に半ば強制的に連れて来られ、薬学部に入らされたジョナスは奇跡の実を用いての回復薬の作成を命じられた。そんな中、奇跡の実と回復薬を独占しようと画策する一部の貴族達の存在に気付いた。そのことを軍の上層部へ申し出たが何の解決にも至らず、ジョナスは苦い思いをした。それでも出来うる限りの対策を取ることが出来た。

 他国へ渡った場合、その効能を失うように仕向けたのはジョナス本人だった。そしてそれを伏せることでこの国を出る口実も手に入れた。

 そんな権力の横行に、救世主が関わっていないことは直ぐに判った。救世主にとっては回復薬など、何の価値もないのだろう。怪我もしなければ魔力の枯渇もない。ましてや人に興味がない分、回復薬に触れる機会さえないのだから。今日ここに救世主がいること自体、おかしなことなのだが、ジョナスからしてみれば、今更出て来られても、というのが本音である。

 それでもいい機会なので、しっかりとその権力を奮ってもらおうと、矛先を救世主へと向けた。


「元帥の許可を取っていない以上、こちらもこれ以上は動けません。それに、軍部の中でも万能薬を使うことに反対する者も多いと聞きます。先程の教会と病院での配布案もまた、白紙に戻ると考えていいでしょう」


 その言葉に驚いたのは薬学部の面々だ。今までその方向で話を進めていただけに、急な白紙発言に憤る。彼らは純粋に困っている人を助けたいと願っていた。


「それでは我々の努力はどうなるのです!」

「これは私個人の研究だと先に言った筈です。それを軍に無理やり強奪されたのですよ」


 その言葉に、声を上げた職員はぐっと押黙る。その様子に、救世主は兼ねてからの質問を投げかけた。


「そもそも、どうやって軍はあんた個人の研究を知り得たんだ?」

「裏切りにあった、というべきですかね」


 余り話したくはなさそうに溜息を吐いたジョナスは、それでもにこやかな笑顔を見せた。


「薬学部の同僚の父親が、随分と田舎に住んでいましてね。その方は何年か前に魔物に腕を噛み千切られたそうで、万能薬のような薬を作れないかと私に相談して来ました。そのとき既に私の研究は完成していまして、作り方は教えないし、決して口外はしないと書類を作成し、約束をしてから薬を分け与えることにしたんです。もちろん、私も一緒にその方の許へと同行しました。その方にも口外しないよう一筆書いてもらいましたし、その村を出てもらうことも条件に含みました。ですが、人の口に戸は立てられない。その約束は果たされず、薬を投与した翌日には軍部に知られる自体となりました」

「翌日とは随分早いな」


 救世主は口の軽さに思わず関心してしまう。


「ええ、本当に。正確には、その薬の存在を知った日には軍部に話していたそうですよ。ただその効能を確かめてから改めて軍部に報告するようにと言われていたみたいです。元帥のところには、その話すら来ていなかったのでしょうね」


 皮肉げにそう言ったジョナスに、救世主は厳しい表情をした。それはジョナスに怒りの感情が含まれていたからだ。軍の最高司令官としての役割を果たしていなかったことへの怒りよりも、救世主を飾りものと考えている軍の在り方に怒りを覚えていたのだが、当然のことながら、それは救世主には伝わらない。


「それでも軍部で万能薬を作ったのは、人助けの為なのでしょう?」


 悲鳴を上げるように薬学部の一人が叫ぶ。それに緩く首を振り、ジョナスは笑顔を向けた。


「いいえ。何度も言いますが、強制的に作らされたのです。それに、目的は言えませんが、人助けではないのは確かです」


 では何なのか。それを話すつもりのないジョナスはにこやかに釘を刺す。


「思い込みというのは、本当に恐ろしいものです。自分が正しいことをしていると疑わない。その先にある陰謀や混乱も考えず、ただひたすらに進むだけ。それを迷惑に思う存在もいるのだと知って頂きたいものです」


 そう締め括ったジョナスに、薬学部と衛生部隊の全員が、苦虫を噛み潰したような表情になる。


「まあ、人間なんてそんなもんだろう? 研究者は自分の好きなことに没頭し、正当性を叫ぶ。衛生部隊はより多くの者を助けたと、名声を得ようとする。自分のことばかり考えているのは、あんただって同じだろう?」

「ええ、その通りでございます」


 ジョナスは大きく頷いた。自分もまた目的の為に突き進んでいるにすぎないのだからと、同類と言われて頷かないわけにはいかなかった。


「だがまあ、万能薬の市井での配布はやってもらうつもりでいる。あんたの娘と約束したんでな」

「……約束……ですか? 娘と?」


 ここに来て直ぐ、娘が心配しているといった話を救世主がしたことを思い出す。一体どこで知り合い、そんな約束をするほどの間柄になったのかと、ジョナスは訝しむ。だがそれに言及する前に薬学部の職員から喜びの声が上がった。


「ありがとうございます! これで沢山の人が救われます!」


 一方、衛生部隊からは仕方がないといったような表情を見せる者が多くいた。これで説明会は終わりだと、そんな雰囲気の中、諦めきれないのか衛生部隊の一人が声を上げた。


「万能薬を人助け以外に、何に使うと言うんだ!」


 突然の大声ではあるが、ジョナスは特に動じることもなく、質問した人物に顔を向ける。


「目的は話せないと言った筈です」

「何故だ? やましいことでもあるのか?」

「いえ、全く」

「ならば聞かせろ!」


 一つ大きな溜息を吐き出し、ジョナスは呆れたように肩を竦めた。


「……死んだ大地を蘇らせる為ですよ」


 その言葉に、この場にいる全員が首を傾げた。この国に『死んだ大地』があっただろうかと。近隣諸国でも聞いたことがないと、誰もがそう思っていた。

 だが、救世主だけはその言葉に強く反応した。聞き覚えのあるその言葉に、酷く焦燥感が湧き上がる。だからだろう、聞き間違えではないのかと、問い正さずにはいられなかった。


「枯れた大地じゃなく、死んだ大地って言ったのか?」

「⋯⋯はい、そうです」


 救世主の脳裏に、幼い頃の記憶が浮かぶ。育ての親がよく話していたお伽話に、その言葉が何度も出てきていた。『いつか平和が戻ったら、死んでしまった大地を復活させたい』何度も聞いたその言葉が、育ての親の願いのようで、救世主は子供ながらにここではないどこかに、死んでしまった大地があるのだろうと漠然と思っていた。


 そしてゆっくりと頭の中で色々なことが繋がっていく。


 育ての親が精霊族だったこと。彼が話していたお伽話は現実の出来事だったこと。精霊族がこちらの世界に渡って来た理由。伽話は、ここではない世界、精霊界のことだいうこと。

 死んでしまった大地を蘇らせる、その言葉がジョナスの口から出たということは、彼もまた精霊族と深い関わりがある筈で、家族全員が空間魔法を使えるのも精霊族が大きく影響しているのだろうことが容易に想像出来た。その証拠が奇跡の実だ。この世界には存在しない、精霊界の物なのであろう奇跡の実を育てるのに成功している時点で、彼らは精霊族と繋がっているのだと確信する。それは以前、セラフィーナが友人に精霊族がいると言っていたことも相まって、益々信憑性を帯びてくる。だがここで、もうひとつの疑念が浮かんだ。それはあの噂だった。


 『精霊族の呪い』


 もしかしたら、ジョナスは精霊族にセラフィーナを人質として取られ、薬を作らされているのではないかと考えた。奇跡の実を食べた後のセラフィーナの感情の抜け落ち方を思い出し、それこそが呪いなのではないかと考えた。

 奇跡の実を食べなければ死んでしまうような呪いをかけられ、また、セラフィーナにだけ奇跡の実を食べた際に感情が抜け落ちるというような、そんな呪いをかけられたのかもしれないと想像力を膨らませた。

 普通、傀儡魔法を知っていたとしても、自分自身にかけるという発想には、なかなか至らない。救世主もまたその発想には至らずに、思考は迷走するばかりだった。それでも心のどこかでは呪いなど馬鹿馬鹿しいと、思っているのもまた事実だった。そして、セラフィーナ自身が呪いではないと言っていたことを思い出し、考えるのをやめた。


「取り敢えず、今回の万能薬については、元帥にお任せしたいと思います。教会と病院での配布日時は概ね決まっておりますので、先導していただければ充分実現出来るものと思います。では時間となりましたので、説明会を終了させていただきます」


 深々と腰を折り、ジョナスは衛生部隊へと笑顔を向ける。次いで救世主へと顔を向けると、お礼を言いながら腰を折った。そんなジョナスに、救世主は何とも言えない表情をする。

 セラフィーナとの会話の中では、薬学部の職員たちとジョナスは、一丸となって懸命に薬の研究をしている、そんな印象を受けていた。だが、実際は強制的に働かされ、個人の研究でさえ奪われてしまい、酷く恨みがあるように見えた。

 薬学部に時間を取られていなければ、もっと早くに目的が達成出来たかもしれない。そう思えば恨みたくもなるだろうと救世主は同情した。それでも今、この時まで事を起こさずにいてくれたことに純粋に感謝する。恐らくは、ジョナスが目的を達成した暁には多くの精霊族が犠牲になる筈だからだ。

 

 育ての親である老人は言っていた。死んだ大地を蘇らせるには多くの人柱が必要だと。だがそれ以外にもその大地を救う手立てはあるのだ。それを今伝えるべきかどうか逡巡する。そして同時に、教えていいものかどうかと疑問に思う。

 正直なところ、ジョナスの印象は救世主にとって余り良くはない。セラフィーナの話や今のジョナスの容貌から先に好感を持ってしまったせいか、説明会でのジョナスの恨み節に当初の印象が大きく変わってしまっていた。それは信頼出来る人物かどうかの見極めにも大きく影響した。何故なら、万能薬が完成している今、精霊界を救うべく準備を進めている筈で、国を出るという話も、実は精霊界へ渡る為の嘘なのではないかと救世主は勘繰っていたからだ。

 セラフィーナを助けるために、必死だというのは理解出来る。それでも、国家を相手取った大がかかりな嘘に、救世主はただ失望した。


「では元帥、教会と病院での配布の件はお願い致します」


 救世主の近くまで来て、深く腰を折ったジョナスはそう言った。


「ああ、わかった」

「お手数をお掛けします。約一年かけての配布になりますが、薬がなくなり次第終了となります」


 ここで救世主が疑問に思った予備日の話が出たことに、眉を顰めながら確認を取る。


「一年って言ったって、あんたは半年後にはこの国を出るんだろう? その後の日程はどうするつもりなんだ?」

「薬が残っていたら、の話にはなりますが、私が空間魔法でこちらの国に出向く予定です」


 その回答に、精霊界に行く訳ではないのかと、少しばかり安心した。だが一番の疑問は、ジョナスと精霊族の関係だ。ジョナスが助けることが出来なかった精霊族の少年が関係しているのか、奇跡の実が関係しているのか、呪いをかけられているのか、もっと別の何かなのか、またはその全てなのか、疑問は尽きない。ただこの場でその確認をすることは出来ないと、救世主は答えを得られないことに歯痒さを感じた。


「そうか。詳しいことが決まったら連絡する」


 既に衛生部隊は部屋を後にし、薬学部の職員も今まさにここを立ち去ろうとしていた。その姿を確認しながら、ジョナスが小声で救世主へと問いかけた。


「失礼ですが、娘とはどのようなご関係ですか?」


 ジョナスが訝しむように聞いてきたことに、救世主は少しばかり不機嫌になる。特に何かした訳でもないのに、急に後ろめたいような気分になり、それを誤魔化すように威圧的に口を開く。


 「どうって……別に。少し話をした程度だ」

「そうですか。娘が失礼な事をしていないか気になりまして」


 それらしい理由をつけてはいるが、探るような目をするジョナスに、救世主は居心地の悪さを感じてしまう。


「それでは、私もこれで失礼いたします」


 また深々と腰を折ってから退室していくジョナスを見送り、救世主はホッと息を吐く。妙に緊張していたことに気付き、思わず首を傾げた。


「何だよ、これ」


 体験したことのない不思議な感覚に、思わず言葉が溢れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る