第十話

 救世主の急な登城に、この国の宰相であるバクダーは大いに慌てふためいていた。


「これは救世主様。本日はどのようなご用件でしょうか」


 城門の衛兵からの報告を聞き、一目散に救世主が通された応接間へと駆けつけたバクダーは、大汗をかきながら深く救世主へと腰を折った。


「ああ、ちょっと確かめたいことがあってな」


 ソファーの背もたれに気怠そうにもたれ掛かり、神妙な面持ちをしている救世主に、何か緊急事態が発生したのかと、バクダーは益々緊張した。


「確かめたいこととは、何でしょうか?」


 緊張の余り、掠れた声を出すバクダーに、救世主は短く要求を告げた。


「第三王子を連れてこい」


 救世主の命令に、ヒュッとバクダーの喉が鳴る。特に救世主と第三王子の間に接点はなかった筈だと逡巡した。そして一つ、救世主に関しての報告が昨日の夕方に宰相の許へと上がって来ていた。その内容は三大貴族の一つオールストン家の摘男グレアムが、救世主の怒りを買い、腕を切り落とされたというものだ。

 悪い予感に苛まれながらも、扉の向こうに控えている衛兵へと命令を出す。穏便に事が済むように祈りながら、バクダーは救世主の相手をすべく、話し出した。


「今呼びに行っておりますので、今しばらくお待ちください」


 額の汗を拭い、侍従の一人が紅茶を淹れる姿を注意深く観察し、粗相のないよう圧力をかける。ここで救世主の機嫌を損ねれば命に係ると、バクダーは緊張のためか、顔色がみるみる悪くなってしまう。


「本日は、第三王子にどのようなお話があるのでしょうか」


 躊躇いながらも気が急いて仕方のないバクダーは、思い切って切り出した。


「奇跡の実について、聞きたいことがある」


 簡潔に述べられた言葉に、先程給仕をしていた侍従が直ぐに部屋から退出する。お茶請けには高級な菓子を用意していたが、そこに奇跡の実も加えようと急いで厨房へと向かう姿に、バクダーは祈るような気持ちで第三王子と奇跡の実の到着を待った。

 時間にしておよそ五分、地獄のような待ち時間を過ごし、バクダーは倒れそうになりながら、第三王子を部屋へ招き入れた。バクダーよりも緊張した面持ちの第三王子は上手く歩くことが出来ないのか、酷く足をもつれさせ、フラフラと頼りない。それをバクダーが支える形で救世主の座るソファーの正面へと連れて行く。

 気持ち的には死刑囚のようだろうとも思いつつ、まだ十二歳の第三王子を救世主の前に据え、深々と頭を下げさせた。


「お待たせ致しました」


 恐怖のせいか奥歯をカチカチ鳴らし、一言も発することの出来ない第三王子に代わり、バクダーが一緒に頭を下げながら言う。


「座れ」


 低く告げられた言葉に、過剰な程身体を震わせた第三王子は、へたり込むようにソファーへと腰を落とした。


「聞きたいことがあって呼んだ。身体の方はどうだ? 見たところ顔色が酷く悪いが、病の方は良くなってねえのか?」


 顔色が悪いのは今目の前にいる救世主のせいなのだが、正直に答える訳にもいかず、第三王子は現状を口にした。


 「身体の……方は、良く、なりました」


 恐怖に呑まれた第三王子は、やっとのことで返事を返す。だがその返答に満足が出来なかった救世主は、あからさまに不機嫌になる。


 「お前も王族なら、会話の仕方くらいしっかり覚えろ」


 苛立ったように救世主がそう言うと、第三王子は竦み上がる。


「も、申し訳……ありません……」


 今にも泣き出しそうな第三王子に、堪らずバクダーが間に入る。救世主の前で泣いてしまうなどという醜態を晒せば、即、死につながると、バクダーは形振り構っていられなかった。


「体調はもう既に、万全と言っていい程回復しておられます。今では剣術や魔法の勉強も行い、正に健常そのものです」


 言い切って、額の汗を手で拭う。救世主の目を見ることが出来ず、バクダーはうつむき加減で言葉を待った。


「そうか。奇跡の実は、今でもまだ食ってるのか?」

「はい。毎朝一つずつ、食しておられます」


 奇跡の実の話題が出たところで、侍従がその実を盛った皿を持って救世主の側近くへ歩み寄る。深々と頭をさげ、震える手でその皿をテーブルへと置いた。

 セラフィーナが食べていた実と全く変わらない、縦縞の色とりどりの模様に顔を顰めた。救世主の表情に、その場にいた全員が息を呑む。


「今ここで、これを食ってみろ」


 奇跡の実を指差し、第三王子に命令をする。奇跡の実に何かあるのかと訝しみながらも、第三王子は一つ実を摘むと口に含んだ。ゆっくりと咀嚼し、呑み込む。恐る恐る伺うように救世主へと目を向ければ、第三王子を凝視している救世主の目とかち合った。ヒュッと喉が鳴り、上手く息が出来なくなった第三王子に、バクダーが安心させるように背を擦る。その様子を観察し、救世主は腕を組む。


「宰相、お前も食べろ」


 そう言われ、救世主の意図が分からないながらも、バクダーは奇跡の実を口に入れた。咀嚼し終わり、ジッと観察してくる救世主に首を傾げつつも疑問を述べる。


「あの、これは一体……」


 救世主は二人を観察し、益々疑問が深まったことに頭を抱えた。

 セラフィーナの感情の変化は奇跡の実を食べたせいではないかと勘ぐったが、二人に変化はない。食べる量に関係があるのかと考えたが、第三王子は毎日食べているのだからセラフィーナとは然程違いはないのではないかと結論づけた。

 バクダーの疑問に答えるつもりもない救世主は、自分の聞きたいことだけを口にする。


「奇跡の実は、じきに手に入らなくなる。今でも毎日食べてんのに、これからどうするつもりなんだ?」


 プラチフォード家が国を出ることは既に決定事項で、王家の許可も下りている。だが救世主がなぜ第三王子を心配するような発言をするのかが分からず、バクダーも第三王子も困惑した。


「手に入らなくなる訳ではございません。定期的にこちらへ献上するよう、手筈は整っております」

「彼らは国を出るって言ってるのに、何故そこまでする必要がある?」


 怒気を含んだ救世主の強い口調に、バクダーが震え上がる。先程まで第三王子を心配していた筈なのにと、バクダーは益々困惑する。


「い、いえ、プラチフォード家からの、要望でも、ある、のです」


 つっかえながらも何とか言い訳をし、バクダーはもっと詳しく説明をしなければと、焦りながら言葉を継いだ。


「今回、彼らが国を出るのには明確な目的があるからです。奇跡の実が他国でも育つのか、また奇跡の実は、実を摘んでからも半永久的に腐ることがない、それがプラチフォード家がいなくてもそう在り続けることが出来るのか、その検証をするために国を出るのです。そしてその検証の見返りに、腐ってしまったり、効能が切れた場合には、すぐに奇跡の実を追加献上するという条件が出されています」


 早口でそう告げて、救世主の顔色を伺う。バクダーの必死な様子に、第三王子は今にも卒倒しそうになっている。


「そうか」


 短く言葉を紡ぎ、どこか残念そうな表情を浮かべた救世主に、バクダーは詰めていた息を吐き出した。


「効能が切れた場合は追加献上すると言っていたが、プラチフォード卿がいなけりゃ効能が出ないんだろ? 一時的に帰国するってことか?」

「はい。ですが、帰国とは異なります。プラチフォード卿は空間魔法が使えるとのことで、一度こちらに彼自身が奇跡の実を多めに届け、それより何日後に効能が失われるのかを確認するそうです。もし一日で効能がなくなるようならば、毎朝届けてくれると」


 そういった確約があったからこそ国を出ることを許したのか、あるいは空間魔法を使える時点で諦めたのかはわからない。魔力を強制的に使えないようにしたならば、回復薬や万能薬を作ることが出来なくなるし、それこそ効能が失われるかもしれない。信用を落とすよりかは、約束事を決めて好きにさせたほうが益があると結論付けたのだろう。そう考えて救世主は漸く彼らがすんなり国を出られることに納得した。だが肝心の、奇跡の実を食べた直後のセラフィーナの『変化』については謎のままだった。


「実は奇跡の実は、病を治すことは出来ないそうです。本来は魔力と体力の回復しか出来ず、怪我も止血が出来る程度だそうです。第三王子も、実際は病ではなく、体力を回復させて運動量を増やし、免疫力を上げて丈夫な身体を手に入れました。奇跡の実を使った回復薬は、それよりも遥かに効能が上がり、傷も瞬時に塞がる、熱もすぐに下がるといった優れたものです。ただ、魔力と体力の回復は、奇跡の実には敵いません。奇跡の実と回復薬を量産出来れば、それだけ救われる命があると、プラチフォード卿は考えているようです。それは我が国に留まらず、他国にも奇跡の実を多く配れればと、そう考えてのことのようです」


 バクダーが落ち着きを取り戻し、静かにそう告げると、救世主がある言葉に過剰に反応を示した。


「魔力の回復……」

 

 ふとセラフィーナの魔力量について考える。セラフィーナからは殆ど魔力を感じていなかった。実際魔力量が少ない者は多い。だから余り気にしていなかったのだが、一つ引っかることがあった。

 救世主の育ての親もまた、魔力を殆ど感じなかったのだが、彼は救世主に魔法を教えた張本人だった。魔力は感じられないのに魔法を使うことが出来る。逆を返せば、魔力を感じ取らせない何かがあるということだ。それは彼が人間でなく精霊族だからなのか、と逡巡する。

 では同じように魔力を感じ取らせないセラフィーナはどちらなのか。本当にただ魔力が少ないだけなのか、あるいは。

 もしくは、精霊族の誰かがセラフィーナに魔法を行使していたとしたら、魔力は感じ取れないのではないだろうか。その考えに至り、確かめる方法が見つからないことに、救世主はぎゅっと眉根を寄せた。


「邪魔したな」


 黙り込んだかと思ったら、いきなり立ち上がり、そう口にした救世主に、バクダーも慌てて立ち上がり深く腰を折る。そして侍従から袋を受け取ると、救世主へと差し出した。


「こちらをどうぞ。奇跡の実でございます。何か参考になれば幸いです」


 救世主の目的が奇跡の実だと判断したバクダーは、密かに侍従に用意をさせていた。救世主としては別に欲しくもない奇跡の実を渡され、一瞬躊躇する。それでも好意だと思い受け取ると、バクダーはやりきったような清々しい顔を救世主へと向けた。


「これからも救世主様のご活躍を、期待しております」


 深々と腰を折るバクダーに習い、慌ててその横に並んだ第三王子も同じように腰を折った。

 無言のままその場を転移魔法で立ち去った救世主を、二人が見送る。腰を折ったままだったバクダーと第三王子はその場に崩れるようにへたり込んだ。当然のことながら、そこにいた侍従も同じように崩折れた。何とか気絶せずに最後まで耐えたことをお互いに褒め称え、床に座り込んだまま、三人は笑い合ったのだった。

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