第六話

「よう、グレアム。ずいぶんと手際が良いな」


 中将から大将である『総督』へと昇格したグレアムに対し、嫌味を込めて救世主がそう言えば、グレアムは満面の笑みでそれに返事を返す。


「お褒めに預かり、光栄至極に存じます。そろそろ世代交代の時期かと思いましてね」


 前総督は既に六十歳を過ぎていた。それに引き換えグレアムはまだ三十路を少し過ぎたくらいだった。元帥である救世主が二十代前半ということもあり『世代交代』を強調したグレアムに、救世主は良い顔をしなかった。


「相変わらず、嫌な奴だな」


 救世主のその言葉さえも、グレアムは一笑で返す。


「俺としては、ハドリーは近くに置いて置きたかったんだがな⋯⋯」

「元帥に気に入られていたとは、ハドリーは余程優秀だったのですね」

「そういう意味で、置いときたかったんじゃねえよ。あいつの存在自体が、かなり面白いものだったからな。ちょいと興味があった」

「なるほど、そうでしたか」


 ハドリーのことを知っていながら飄々と躱すグレアムに、救世主は不敵に笑う。その笑みに、グレアムはゾッと背筋を震わせた。一瞬殺気にも似た気配を感じたグレアムだったが、気軽に返された救世主の言葉に張り詰めた緊張が緩んだ。


「なんだ? ひょっとしてハドリーを不憫に思ってるのか?」

「ええ。そんなところです」

「まあ聞くところによると、あんたはハドリーがガキの頃から可愛がってたらしいしな」

「ええ、そうですね。カルヴァード家とは家族ぐるみの付き合いでしたから」

「過去形ってことは、今は違うのか?」


 言葉尻を揶揄する救世主に、グレアムは苦笑いを返すのみだった。

 同じ三大貴族に名を連ねる者同士、それなりに交流のあった二家だが、あることが切欠でカルヴァード家との縁を切ることになった。それはほんの数ヶ月前の出来事だが、特にグレアムが可愛がっていたハドリーのことは、酷く残念でならないと哀れみの感情を抱かずにはいられなかった。


「それで? ハドリーの後ろにいるのは誰なんだ? 俺を出汁にして総督になったんだ、話してもらおうか」

「ハドリーの兄、クリスです」


 軽い感じで聞いてくる救世主に、グレアムは特に渋る様子もなく、すんなりと質問に答えた。それは救世主にとっては拍子抜けだったのか一瞬、呆けたような表情をしてしまう。だが気を取り直して、話を続けた。


「なるほどな。まあ、兄貴なら仕方ねえか」


 ハドリーのことを憐れみながらも、兄の仕業ならば納得がいくと、救世主はほんの少し、ハドリーが救わたように思った。だが、グレアムは救世主のそんな表情を見て、益々苦い顔をした。


「元帥は何か勘違いをされているようだ」

「は? 感違い?」

「ハドリーを殺したのは、実の兄であるクリスですよ」


 吐き捨てるようにそう言うと、グレアムはグッと拳を握りしめた。

 殺した理由は聞き出せてはいないが、クリスを追い詰めた自覚のあるグレアムは苦い想いを呑み込む。

 クリスを立ち直らせようと、厳しい言葉をかけてしまったことが、逆効果になってしまったことを、グレアムはずっと悔いていた。だからといって、死んだ者はもう生き返りはしない。遣る瀬無い想いは、ただグレアムを苛むだけだった。


「殺したのか? 自分の弟を? 殺して、それで、死霊魔法で操ってるのか?」

「ええ、その通りです」


 ハドリーが死んだのは、一月ほど前だった。いつものように救世主に朝の挨拶をしに執務室へとやって来たハドリーには、酷い違和感があった。外部から魔法がかけられていることに気づいた救世主は、それが何の魔法かと探ってみる。そしてその結果に戦慄した。


 『死霊魔法』だったのだ。


 生前の言葉遣いや、性格は余り変わってはいなかったが、救世主への態度は明らかに違ったものになっていた。

 ハドリーは救世主の妄信者だった。救世主のことを神と崇め、いつも後ろを付いて回るほどの。そんなハドリーを、救世主はとても気に入っていた。上流貴族でありがなら、平民の救世主に敬意を払い、仕事も優秀なことこの上ないその存在は、とても貴重といえた。

 そんなハドリーが死霊魔法で操られている事実に、救世主は何故そんなことになっているのかと、真実を知りたいと常々思っていた。

 そして、ある動きがあった。この時期に、まるで図ったように総督の座に就いたグレアムが、ハドリーを退役に追い込み、カルガァード家の爵位まで降格させた。これには何かしらの事情があるのだろうと、救世主はそう思わずにはいられなかった。


「ひょっとして、何かの拍子に殺しちまって、罪悪感から死霊魔法を使ってるとかか?」


 救世主にはそういう経験がそれなりにある。強いというのは、時に弊害になることもあり、自分に当て嵌めて考えたならば、なんとなく理解出来てしまい、何とも言えない顔をした。


「そういうことではなく、恐らくは故意にそうしたのでしょう」


 『元帥じゃあるまいし』とそんな言葉をうっかり零しそうになり、グレアムは小さく頭を振った。

 実際のところ、グレアムはクリスがハドリーを殺したところを見たわけではない。カルヴァード家に潜り込ませている部下からの報告で知った事だった。それでも確信があった。そうするだけの理由がクリスにはあったのだ。だがその理由を救世主に話すわけにはいかず、当たり障りのない、尤もらしい『理由』をグレアムは挙げることにした。もちろんそれは、ハドリーを殺すに至った要因でもあるので嘘ではない。


「嫉妬、ですかね。昔から、何をやらせてもハドリーの方が上だった。軍に入った後も魔物を倒した数も多かったし、何より元帥のお傍に上がれた。それに引き換え兄のクリスは要領が悪く、魔法も剣もぱっとしなかった。それに二月ほど前、魔物に左足と右腕を持っていかれてしまい、今では車椅子の生活です。ハドリーはそんな兄に同情し、甲斐甲斐しく面倒を看ていたようですが、それもクリスからしたら気に障ったのかもしれません」


 弟と比べられながら生きて来た兄の気持ちなど、兄弟のいない救世主にはもちろん分からない。だが、兄が惨めな想いをしていたということだけは分かった。だからと言って、殺すだろうかと救世主は首を傾げた。


「しかも、ハドリーだけでなく、両親も同じ日に行方が分からなくなっています」

「両親ねえ⋯⋯それって、誰からの情報だ? というか、兄貴がハドリーを殺したっていう情報も誰からのものなんだよ」


 その質問には、少々答え辛い事情がある。それでも、話さなければ納得はしないだろうと、重々しく口を開いた。


「三大貴族など多大な権力を持ってしまうと、良からぬことを企むこともしばしばです。それを阻止するために、互いの権力を監視する義務があります。当然のことながら、カルガァード家にはこちら側の密偵を送りこんでいます。逆もまた然りです」

「ということは、ハドリーを殺したところは見てたってことか?」

「いえ、見てはいませんし、どこでどうやって殺めたのかも分かりません。ただ、殺した数日後に、ハドリーが死霊魔法で操られていたことに、密偵が気がついたのです。そのことをクリスに問い詰めたら、あっさりと認めました。詳しいことは、何も口にしませんでしたがね」

「はあ〜、なんだろうな。兄貴は狂っちまったのかね。いっそ何も考えられないほどの廃人になってりゃまだよかったのにな。死霊魔法なんて珍しいもんが使えたばっかりに、弟を殺して操るとか、奇行に出ちまったのかね? 憎い相手を側に置くって、正直意味が分からん」

「侮蔑に近いのかもしれませんね。まあ、死霊魔法自体が、そういう意味も含んでいますし」


 なるほどと納得する救世主に、グレアムは内心でホッと胸を撫でおろす。


「だがどうして、両親にも死霊魔法を行使しなかったんだ?」

「それは魔力の問題かと。クリスは一人を操るのが精一杯でしょうから」


 グレアムはハドリーの両親が『行方不明』だと説明したが、既に死んでいる可能性が高いと、敢えて救世主の質問に肯定という意味合いで答えた。


「そんなに低いんなら、一ヶ月も継続的に魔力の行使は出来ないはずだ。どうなってやがる?」

「何かしらの方法で、それを可能にしているのでしょうな」


 グレアムには当然その方法は分かっていたが、敢えて口には出さなかった。本来ならば、一度死霊魔法を解除したら一気に腐敗が始まってしまう。ハドリーに関して言えば、既に死んでから一月以上経過している。それでも腐敗せず、生前と同様の姿を保っているという事実は異常としか言いようがなかった。それを可能にしているのは"奇跡の実"だ。

 三大貴族という権力を使い、王宮から横流しさせて奇跡の実を手に入れ、魔力の補充を行っている。そのことを知る者は多くいたが、救世主の耳に入ることはないだろうと、グレアムはシラを切る。


「他にも死霊魔法を使える協力者がいるってことか?」

「その可能性は高いですね。死霊魔法を使えるものはごく僅かです。カルヴァードの親族で、使える者がいるのかもしれません」

「だとすると、益々分からんな。何故そうまでしてハドリーを死霊魔法で操るのか。もし親族の誰かが協力していたとして、そいつは別にハドリーを恨んでる訳でもないだろうに」

「親族だからこそ、クリスの葛藤を理解出来るのかもしれませんよ」


 天涯孤独の救世主にとっては、その感情は理解出来ない。だが他に理由があったとしても教えるつもりのないグレアムの様子に、救世主は昨日の怒りが蘇る。自分を出汁に、総督の椅子にしっかり座っているこの男に、反省の色もない。ましてや謝罪する気もないようだ。わざわざ部下であるグレアムの許へ来てやって、謝罪の機会を設けたというのにだ。

 救世主は沸々と沸き上がる怒りに、この男に釘を刺さなくてはと考えた。


「今度俺の名で何かしてみろ、その時はお前の一族全員を魔物の餌にしてやるからな」


 唐突な救世主の殺気の籠もった宣告に、グレアムは目を見開いた。いつも飄々としているグレアムも流石に肝を冷やし姿勢を正した。


「はい、重々承知しております」


 茶化すことも出来ず、余裕の欠片もない真剣な表情で立ち上がり、頭を下げたグレアムに、救世主は満足げに頷くとニヤリと嫌な笑みを浮かべた。


「へえ、そんな返事も出来るんだな。まあもちろん、今回も見逃してやるつもりもないんだがな」


 そう言って救世主もソファーから立ち上がる。と同時に、グレアムの右腕が吹き飛んだ。一瞬の出来事に、グレアムは何が起きたのか理解出来なかった。だが次いで吹き出した自身の血飛沫に腕を切られたのだと理解した。勢い良く吹き出す血潮に視界がグラリと歪む。痛みよりも酷く鈍い痺れた感覚が身体を襲う。


「明日、休んだりしたら、命はないと思え。じゃあな」


 それだけ言うと、救世主は部屋を後にする。外に控えていた衛兵に「手当てしてやれ」と一言言い残して。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「体調はどうですか、兄上」


 そう切り出してから、ハドリーは車椅子に座る兄、クリスの方へと歩み寄る。数年前、魔物との戦闘中に負傷し、左足と右腕を失くした兄に、ハドリーは同情の眼差しを向ける。それを快く思わないクリスは強い口調で言い放った。


「そんな目で見るな!」

「すみません」


 素直に謝るハドリーに睨みをきかせながら、クリスは報告を促す。


「それで、あの女のことは分かったのか?」

「はい。あの人形は違うようです。傀儡魔法にかかった者と余りにも違いすぎますし、実際魔法がかけられている形跡もないそうです」


 昨日、軍を後にする際、救世主へ確認を取ったので間違いないとハドリーは力強く告げた。クリスにとっては残念な結果だが、それが事実ならば受け止める他ない。


「そうか」

「ですがご安心ください。今育てている双子の方は着々と成長しています。あと数ヶ月もすれば、計画を実行に移せるはずです」


 意気揚々とそう告げるハドリーは無邪気な笑顔を兄に向ける。それを懐かしむようにクリスは上機嫌で頷いた。


「それと、気になる情報を手に入れました」

「なんだ?」

「グレアムが、元帥に腕を切られたそうです」

「⋯⋯」


 『元帥』という、クリスが尤も憎むべき名が出たことで、一気に機嫌が降下する。だが、グレアムが腕を切られたことに、何か問題があるのかと、クリスは訝しむ。救世主の機嫌を損ねでもしたのだろうと、さして気にするようなことだろうかとハドリーを見遣る。


「私の退役が関係しているようです。今回の総督への昇格並びに私の退役は、元帥の命令ではなく、グレアムが元帥の名を使い行ったというのが真実のようで。では何故、元帥の怒りを買うと分かっていながら行動を起こしたのか。とても気になります」

「⋯⋯」


 ハドリーの言葉に、クリスはグッと奥歯を噛み締めた。


「先月、グレアムがここに来た時、随分と言い争っていたようですが、それと何か関係が―」


 がしゃんっと大きな音を立ててハドリーの後ろの壁でティーカップが砕け散る。スッとハドリーの頬に一筋の青い線が出来た。痛みは感じないが、状況判断としてカップを投げつけられたことにハドリーが気づく。だが、それと同時に傷は跡形もなく消えてしまう。その間、ハドリーは瞬きひとつせず、笑ったままだった。


「お前には関係ない」

「そうですか。では、報告がもう一つあります。軍の薬学部で奇跡の実を用いての万能薬が開発されたそうです。既存の万能薬と全く同じ効能で、量産も出来、安価に作れるそうです」

「なにっ!」

「我が家の全財産を以てしても、既存の万能薬を手に入れることは不可能に近いです。ですが、薬学部の万能薬ならばすぐにでも手に入ることでしょう」


 ハドリーの言葉に、クリスは衝撃を受けていた。こんな身体になってしまい、絶望の果てに弟を手にかけた。今更、治ると言われても、後の祭りだ。そしてこうなってしまった事の発端を救世主のせいだと決めつけていた。地獄のような戦場で、散々要請をしたにも拘らず、救世主は最後まで姿を現さなかった。なぜあの時、救世主は自分の部隊を助けに来なかったのか。それを側近であるハドリーに問い正せば、他の部隊の応援に行っていたのだと返された。

 納得がいかない。そう思っても、もう何もかもが手遅れだった。失った足も腕も戻っては来ない。腫れ物に触れるような家族の態度もまた癇に障った。何もかもが許せない。そんな絶望の中『あの話』が舞い込んだ。そして『ハドリーを失った』。急ぎ家に帰れば、両親も居なくなっていた。まるで昨日のことのように思い出せる。

 だが、とクリスは口元を歪めて笑みを作った。あの時、全てから開放された。自由になったのだと、歓喜した。そして今、確かに今更ではあるが、腕と足を取り戻せる。救世主が現れてから変わってしまったハドリーは、殺して死霊魔法で操ることで、昔の、自分を慕っていた素直だった頃に戻った。口うるさく、出世と金のことしか頭にない馬鹿な両親ももういない。全てが自分の都合のいいように転がることに、クリスはただ面白がった。


「手に入れましょうか?」

「当然だ、今すぐにでもその万能薬を持ってこい!」

「直ぐには難しいですが、一刻も早く用意します」


 コクリとひとつクリスが頷くと、ハドリーは「では」と言って退室した。


「愉快だな。こんなに愉快な気分は久しぶりだ。運が向いて来た。このまま私の計画も上手く行くはずだ」


 それでも問題は残っていた。ハドリーが軍を退役させられたことはクリスにとって誤算だった。


「グレアムめ⋯⋯」


 出世のためにハドリーを利用したグレアムに対し、クリスは苦々しく言葉を絞り出す。だがこの計画が成功すれば、グレアムでさえ自分には逆らえなくなる。その日が間近に迫ろうとしている今、クリスは、笑わずにはいられなかった。肩を揺らし、ただ笑い続けるクリスは、野望に身を焦がし続けた。

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