第五話

 午後の授業にギリギリ間に合ったセラフィーナは、次の休み時間に少し離れた席に座るフランセスのもとへと向かう。取り巻きの一人と話をしていたフランセスがそれに気づき、セラフィーナへと苦笑を零した。


「セラフィーナ、今日は元帥は来なかったようだ。この魔石はとりあえず返しておこう」


 セラフィーナが声を掛ける前に、申し訳なさそうに制服のポケットから魔石を取り出す。差し出された魔石を受け取りながら、セラフィーナは抑揚のない声で昼休みに救世主に出会ったことを告げた。


「救世主様への謝罪は済みました。謝罪を受け入れていただきましたましたので、ご報告にあがりました」


 その言葉に、フランセスが目を瞠る。


「そうか、それは良かった。よく元帥を見つけられたな」


 今度はセラフィーナが目を瞠った。あのときは気が動転していて気付かなかったが、今思えばわざわざ救世主の方から足を運んでくれたのだと思い至ったからだ。


「恐らく今日は伴侶候補者達を探して、学園内をあちこち回っていただろうから、見つけ易かったのだろうな」


 セラフィーナが返答に困って黙っていても、表情には全く出ないので困っていること自体が伝わらない。そんなこともあり、フランセスは続けて話を始める。普段からとても無口なセラフィーナに対し、返答がなかったとしてもフランセスは特に気にする様子も見せなかった。それを有難く思う反面、自分の想いが伝わらないというジレンマも少なからず、セラフィーナは抱えていた。

 だが、救世主がわざわざ自分のところへ来たという事実を口にすることは、酷く躊躇われた。それは未だフランセスと救世主が恋仲だと思っているからなのだが。ではなぜ、伴侶候補者などがいるのだろうとセラフィーナは考え込んだ。


「フランセス様、伴侶候補の情報を救世主様にお教えしてよろしかったのですか? 救世主様を他の方に取られてしまいますわよ」

「またその話か。何度も言うが、私には婚約者がいる。そういう者は対象外だと言っただろう」


 取り巻きの一人が楽しそうにそう口にすると、フランセスは困ったような表情を浮かべた。


「ですが、フランセス様自身はどうなのですか? 救世主様のこと、好きなのではないのですか?」

「まさか! 確かに尊敬はするが、そういう対象でみたことはない」


 きっぱりと言い切るフランセスに、取り巻き達は残念そうな顔をする。恋の話で盛り上がれると思ったのだろう、不発で終わったことに不満気な顔をする。


「まあ、救世主様は庶民の出ですからね。フランセス様とは到底釣り合いませんわよね」

「口を慎め! 誰が聞いているか分からんぞ。今の発言は、私でも庇いきれん」

 

 はっと口に手をやり辺りを見回すが、特にこちらに顔を向けている者はいなかったことに、取り巻き達はほっと胸を撫でおろした。


「申し訳ありません」

「まあ、誰にも聞かれていないだろうし、問題はないだろう」

「ええ。大丈夫そうですわ。それよりも、フランセス様。婚約者のケネス様とはどうなのですか?」


 雰囲気を変えるように別の取り巻きがそう切り出すと、フランセスは苦笑を浮かべる。だがそこに嫌悪感は無く、困ったように質問に答えた。


「どうと言われてもな⋯⋯」

「そんなつれないことを仰らないで、いろいろと教えてくださいませ」

「そうですわ! ぜひお聞きしたいです!」


 フランセスと取り巻き達の楽し気な会話が続く中、セラフィーナは考えに沈む。

 フランセスと救世主の間には恋愛感情が存在しないことがわかった。そのことを踏まえ、セラフィーナはただ単に救世主が婚約者候補に会いに学園に来ているのだろうと思い直した。では何故、救世主がわざわざ自分の所へ来たのかと疑問に思う。

 ハドリーが謝罪するように求めたことを知って、その謝罪を受けるために来た、そう考えた場合、救世主程の人物がその為にわざわざ出向くというのもおかしな話だと、セラフィーナは考え直す。

 フランセスとは恋愛関係にはないが、それなりに親しい関係ではあるのだろうと、初めて救世主と会ったときのことを思い出す。気軽とまではいかないながらも、二人で話をしている姿はセラフィーナには親し気に見えていた。だとすれば、この学園に最初に来た際に、フランセスの取り巻きの一人に自分のような得体のしれない者がいることを知り、訝しんだ可能性があると思い始める。

 フランセスの取り巻きから排除するためにわざわざ近づいて来た、そう考えると、とてもしっくりくるとセラフィーナは納得した。

 問題は、近づかれたことで、傀儡魔法を自分自身にかけていることを知られてしまうことだった。元々傀儡魔法を使える者は稀で、それだけで国に監禁され利用され兼ねない。軍の最高司令官である救世主ならば、余計に警戒が必要だ。彼の一言で自分と家族の行く末が決まってしまう。そんな恐怖に怯えながら、セラフィーナはただじっとフランセスを見つめ続けることしか出来なかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 軍部へ帰ってきて直ぐに、執務室へ続く廊下で、救世主はハドリーに呼び止められた。伴侶探しの進捗を聞くためだろうと思っていた救世主はハドリーの第一声に目を瞠る。


「今日を持ちまして、退役することになりました。短い間でしたが、お世話になりました」


 深々と腰を折り、そう言ったハドリーは、特に何の感情も見せずに淡々と言葉を続ける。


「諸々の引き継ぎはこの後行います」

「⋯⋯随分と急だな」


 救世主はただ思ったことを口にしただけだったのだが、ここでハドリーは酷く苦い顔をした。


「元帥が指示されたのではないのですか?」

「指示って何のだ?」


 まさか退役の指示をしたのが自分だと思われているのか、と救世主は不機嫌に聞き返した。


「いえ、何でもありません」


 思い違いだとは思っていないハドリーは、それでも直ぐに引き下がる。それよりも大事なことがあるからだ。


「ところで、伴侶探しの方はどうでしたか?」


 話を逸らされたことはわかっていたが、何故ここまで伴侶探しに拘るのか、救世主はそちらの方が気にかかった。


「⋯⋯まあ、候補者は全員駄目だったな」

「そうですか。では、人形からの謝罪はありましたか?」


 予想通りだったのか、特に深く追求することもなく、全く違う質問をされて、救世主は片眉を上げる。

 人形と揶揄された人物のこともまた、随分とハドリーの関心を引いているらしい。


「ああ。丁寧に謝られたよ」

「それは良かったです。呪いの方は大丈夫でしたか? 長く一緒にいると同じように呪われてしまうと聞きましたが」

「誰から聞いたんだよ、そんな話」

「え? さあ、誰でしたでしょうか。皆がそう噂していたのでよく覚えていませんが」


 上手くはぐらかそうとしているが、見え見えの嘘に救世主は嫌悪感が込み上げる。


「皆って誰だよ。軍部でそんな噂が飛び交ってるのか?」


 軍部で軍人でもない人物の噂が蔓延っているのだとしたら、毎日暇で仕方がないのだろう。ならば日々の訓練内容を見直さなければならないと、救世主は意気込んだ。


「ええ、まあ。というか、私自身が人形のことを気にかけているせいで、余計に耳に入るのかもしれませんね」

「は? なんだお前、あの女に惚れてんのか?」

「ええ、まあ」


 冗談のつもりで言えば、とても真剣な表情でそう返され、救世主は益々不審感が募る。


「笑えない冗談だな。今のお前に、そんな感情なんざある筈もないだろうに」


 わざと嘲笑を浮かべるも、ハドリーは気にした様子もなく、続きを聞きたがった。


「それで、人形は呪われているのでしょうか?」

「さあな、自分で聞けばいいだろう」

「人形とは接点がないもので⋯⋯」


 何故、王立学園について来たがるのかと不思議だった救世主は合点がいく。彼女のことを調べたかったからだと確信すれば、その理由は何かと逡巡した。


「もし呪いでなかったとしたら、誰かに操られているとか、そういうことなのでしょうか?」


 その問いかけに、救世主は聞き間違いかと耳を疑った。


「まさかお前の口からそんな言葉が出るとはな」


 自分の今の状況を理解していない筈はないだろうハドリーの言葉は、とにかく救世主の神経を逆撫でした。だがその一方で、『操られている』という疑問には少なからず賛同出来た。

 思い至る魔法は二つある。だが二つともセラフィーナには当てはまらないと直ぐに結論づける。何よりも、外部からの魔力干渉を受けていないことは、今日話した時点で確認済みだった。


「人形の見目は相当なものです。操られているとしたら、そういうのが目的なのですかね?」


『そういうの』を性的な何かだと想像し、救世主は戦慄した。だがもし操られていたならば、そう考えるのが妥当なのだろう。それでも逸脱したその考えには嫌悪感しかない。


「操られてはいないし、呪いでもない」


 不機嫌にそう言うと威圧的にハドリーを見下ろした。だが動じることなく尚も聞き返す。


「では、何なのでしょう」


 その問いかけにわざとらしく溜息を吐くが、これがハドリーの意志から来る質問ではないことに気づき、酷く脱力した。ムキになっている自分が滑稽に思えて、救世主は敢えて適当に返事をした。


「さあな。案外あれが、あの女の普通なんじゃないのか?」

「さすがにそれは⋯⋯」


 言い返したくとも、これ以上は答えを得られないだろうと、ハドリーは言葉を呑み込んだ。操られていないという事実だけでも聞けたことに満足するべきだろうと引き下がった。


「お引き留めしてすみませんでした。では、私は引き継ぎをしなければならないので、これで失礼致します」


 唐突に話を切り、立ち去ろうとするハドリーに、救世主は慌てて声をかけた。


「短い間だったが、まあそれなりに楽しかった」


 救世主の言葉に、薄い笑みを浮かべたハドリーは深く腰を折った。顔を上げた時にはその笑みは消えていたが、背を向けて歩き出したその後ろ姿は、どことなく寂しそうに見えた。


「いや、違うな。あれはもう、ハドリーじゃないんだ」


 寂しそうに見えたのは、きっと気のせいだろうと、救世主は執務室へと歩き出す。



  執務室の扉を開けると、部下の一人、エグバートが書類をまとめているところだった。


「ハドリーの退役はどうやって決まったんだ?」


 唐突な質問にも関わらず、エグバートはさらりと返事を返す。


「軍法会議です。元帥は軍法会議への出席は元々拒否されていましたので、今回の会議にも召ばれなかったのだと思います」

「誰が先導した?」

「グレアム総督です」

「は? グレアム総督? グレアムは中将だろう?」

「前総督も一緒に裁かれましたので、その後任にグレアム中将が大将である総督に昇進しました」


 淡々と告げるエグバートに、救世主は溜息を零すことで返事をする。

 執務机に向かい、仕分けされた書類をエグバートから無言で受け取ると、そのまま静かに午後の執務を始めた。

 そして救世主は気づく。その書類の中に、今回のハドリーの件が書かれた報告書があることに。

 ハドリーの口振りからして大体の予想はついていたが、さも元帥の命令のように書かれている内容に、救世主は苛立った。自分が出汁に使われたと知り、救世主の怒りはそれなりに大きなものとなる。そんな救世主の心情に気付かずに、エグバートが書類を仕分ける手を止め、救世主へと顔を向けた。


「ハドリーは、何故⋯⋯」


 エグバートの小さな呟きに救世主は書類から顔を上げた。


「忘れろ。もうあいつはいないんだ」


 その言葉の意味を正しく理解したエグバートは、ぐっと拳を握りしめた。

 幼馴染の変わり果ててしまった姿に、ただただ悲しみを募らせた。



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「大将=総督」という間違った使い方をしていますが、これは故意にそうしています。

どうぞご容赦こださい。

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