第一章 ハッピーエンドから始まるラブコメ その4

 進路相談室とは名ばかりの部屋で、その実態は姉貴の完全な私物ルームである。何か用事がある度にまずは俺をこの部屋に呼び出すもんだから、俺が進級の危うい問題児だと周りに思われてるのは、正直勘弁して欲しい。

 そもそもあの姉貴が、クールでがさつだけど生徒想いの優しい先生だとかもてはやされて、双葉一の人気教師としてまかり通っているのが間違っている。優しい? 正気か。

 進路相談室に辿り着いた俺は、軽くノックしてドアを開いた。

「失礼しまーす」

 そうして目にした光景が、俺の予期したものと全く違ったことに思わずその場で固まる。

 まず、姉貴がいなかった。

 その代わりに、存在感控えめな女生徒が一人。部屋の左端のパイプ椅子にお行儀良く座ってスマホを弄っている。

「あ、どうも」

 俺に気付いた少女が顔を上げ、ぺこりとお辞儀した。

「ど、どうも……」

 つられて俺もぎこちなく返す。それから、とりあえず右脇に置いてあったパイプ椅子を開いて腰を下ろした。白い長机の両端に無言で座る一組の男女。その机の長さは、まるで互いの心の距離を表しているようにも見えて──めっちゃ落ち着かない。

 だ、誰なんだこの人は? ネクタイの色的に同級生みたいだけど……一度も同じクラスになったことのない人だからか、見覚えがない。恐らく彼女も姉貴の被害者であることだけは、間違いなさそうだが。

 ちらり、再びスマホを弄りだした彼女の方に視線を向ける。

 ボブカットで前髪を目にかかるかどうかくらいまで伸ばした少女。そんな彼女の容姿は……何だろう。率直に言って、素朴だった。ただ整っている方だとは思う。クラス内でかわいい子ランキングでもやったら、だいたい七番目くらいにはランクインしてそうな感じ。

「……どうかしましたか?」

 俺の視線に気付いた彼女が、スマホから顔を上げ、怪訝そうな表情でこっちを見やった。やべっ、「ただ見てただけ」とか言えるわけないよな。とりあえず何か話題を振らないと。

「いや、あんたも姉──田辺先生に呼ばれてきたのかなぁって」

「そうですね。恐らく理由は香坂さんと同じなのではないかと」

 彼女が抑揚のない淡々とした口調で話す。

「まぁここにいるってことはそういうことだよな。誰も好き好んでこんなとこに来ないだろうし。──ってあれ、香坂、さん? もしかして俺のこと、知ってたりする?」

「そりゃまぁ……。香坂さんの方は……どうやらその様子からしてわたしのことはご存じないようですが」

「その……すまん」

 不満を詰め込んだような鋭利な視線に思わず畏縮する。そんな俺の様子に彼女は小さく息をつくと、自己紹介をしてくれた。

ふういんいろと言います。以後お見知りおきを」

「お、おう。こっちこそ、よろしく」

 華風院って、凄い癖のある苗字だな。どこかの有名なお家柄なのか? お嬢様オーラ的なのはまるでないけど。

「……今、『派手な名前のわりに顔が地味つーか、文字通り名前負けしてんなぁ』と思いましたね。いいえ、大丈夫ですよ。そう思われるの、慣れてますから。別に気にしてませんし」

「いやそんなこと全く思ってねぇから。被害妄想激しすぎだろ!」

 それにその淡々としつつも早口な言い方、絶対気にしてるやつじゃん。華風院って、一見無害で大人しそうな文化系キャラに見えて、案外アクの強い人だったりするわけ?

「そういやさっきの口ぶりだと、華風院は俺達がここに呼ばれた理由を既に知ってるみたいだったけど? 田辺先生はどんな用事で俺達をここに呼んだんだ?」

「え? 何も知らずに来たんですか?」

 そりゃあ、来なきゃボコボコにされるからね。

「あのですね香坂さん。わたし達が田辺先生に呼ばれた理由は恐らく──」

 それは、華風院が俺に説明してくれようと口を開いた直後のことだった。

「おー二人ともちゃんと揃ってるな。ご苦労ご苦労」

 ガラッと勢いよくドアを開け、茶髪の女性が軽快な笑みを浮かべて姿を現したのは。

 双葉学院で生徒に最も人気のある先生、田辺沙耶香先生のご登場だった。

「今日二人に来てもらったのは他でもない。共に廃校撤回を掲げて戦い抜くためである!」

「…………は?」

 愕然とする俺の前で、姉貴が熱意の強さを表すようにぎゅっと拳を握りしめる。あの、話が全く見えないんですが。

「おいちょっとまて姉貴。頼むからその『やるぞお前らー』的熱血オーラは一旦しまい込んで、まずはどうしてそうなったかの経緯を説明してくれ。つーか廃校ってのはあれだろ、噂で流れてた……。あれって、やっぱマジだったのか?」

「ああ、誠に遺憾なことに大マジだ。職員会議で私は猛反対したが、定年間近のクソジジイ共はまるで聞く耳もたずときた。だから私は立ち上がることにしたのだ。志を共にする同志達と一緒に!」

「だから一人で盛り上がんなって。で、何で廃校の流れになったんだ。まずはそこをきちんと話してくれよ」

「ざっくり掻い摘まんで説明するとだな──我が双葉学院に毎年多大な支援をしてくださっていたとある企業が、事業の失敗によりそのまま倒産する運びとなった。それに伴い、寄付金収入が大幅に減って経営困難が想定されることとなった我が学院は、だましだまし続けて色々と立ちゆかなくなる前に、いっそのこと今年から新入生の募集を停止し、今の在校生全てが卒業した後に廃校しようとの方針になったというわけだ」

「マジかよ……」

「残念なことにな。元より双葉は、年々新入生が減少傾向にあって、いずれはそういった問題に衝突するのではと危惧されていたが──にしても早すぎる」

 姉貴がやり場のない苛立ちを握りしめて憤慨する。ガチでやばい話じゃんか。正直そんな大金が絡む話、学生を集めた反対運動なんかでどうにかなるものなの? つーか、さっきから驚いてるのは俺だけで、何で華風院は至って平然としてるんだ?

「あ、わたしは少し前に祖父からそれとなく聞かされていたので。廃校の件に関しては想定済みといいますか」

 不思議に思って眺めていると、華風院が小さく手を挙げて応えた。

「はぁ、なるほど……。──ん、祖父?」

「華風院と言えば、この双葉学院の理事長と同じ名だろ。そんなことも気付いてなかったのか、この愚弟は」

「へ、ってことは何か、華風院って理事長の孫ってこと?」

「そうですね。一応、ここの理事長の孫にあたりますね」

 マジモンのお嬢様だったのかよ。

「あのわからずやが目にいれても痛くない実孫がこちら側についたのだ。先は明るいぞ、なぁ海翔」

「おいそれ、思いっきし人質ポジションだけど、いいのか華風院は?」

「まぁ、暇でしたから」

 なにその「ノリで来ました」みたいな感じ。めっちゃ他人事じゃん。理事長の孫として、この学校に一生徒以上の思い入れがあるから姉貴の誘いに乗った──とかこう、つい手を貸してやりたくなるような、目頭が熱くなるエピソードとかあったりしないのかよ。

「んで、反対運動っても、具体的に何するつもりでいるんだよ?」

「は、何言ってんだ? それを考えるために今日こうして招集したんじゃないか」

 出った。姉貴の行き当たりばったりの暴走癖。この悪癖のおかげで、俺は何度地獄を見せられるハメになったことやら。しかも、持ち前の行動力や天性の直感で最終的には本当にどうにかしてしまうのだから、余計たちが悪かった。あんたのパワフルさや突拍子のなさについて行けるのは、あんたの旦那くらいだってこと、いい加減に気付いて欲しい。

「わかったよ。けど、ことがことだけに、ここであれこれ話し合ってすぐ決められることじゃないと思うんだよな。正直俺自身、廃校なんて大事、実感がなさすぎてどう受け止めていいのか戸惑ってるつーか。このまま話し合いをしたところでぐだぐだになる展開が見えているだろ。つーわけで今日は顔合わせと決意表明だけってことにして、一旦家に持ち帰り、明日までに各々が案を幾つか考えてくるってのはどうだ?」

「海翔──」

 真正面からがしっと跡がつきそうなくらい力強く姉貴に両肩を掴まれた。目前には実直で気迫あふれる眼差し。まずい、このゴリラ女にただ帰りたいだけな意図が読まれたか?

「流石は我が弟、ナイスな判断だ。そうだな、意見が纏められず中身のない会議ほど、反吐が出るものはないからな。わかる、わかるぞ。特に先々週の会議なんか理事長がくだらない点を延々と掘り返してきて──本題はそこじゃないだろう。ヅラはがすぞと──」

「おい、一応身内がいるんだから、外見をディスるのはやめてやれよ」

「いえ、お構いなく。というか、田辺先生の苛つく気持ち、わかりますから」

「わかっちゃうのかよ!」

 どうやら、チームワークの方は問題なさそうだ。

「よし。というわけで諸君、各自で廃校撤回に繋がる案を考え、明日またここに集合ということで。明日から頑張っていこー。おー」

 元気一杯に拳を突き上げた姉貴。これはちゃんと合わせとかないと、後で殺されるな。

「お、おー」

 正直不安しかない。

「おー」

 俺達とは違い、胸の前で軽く拳を握っただけの華風院。その覇気のない声は、やる気あるの、ないの、どっちなの?

 ──さて。

 これから頑張って、抜ける方法考えるか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る