黎明を告げる鋼、風に舞う雫 後編

三毛猫マヤ

黎明を告げる鋼、風に舞う雫 後編

「よう、またあったな」

 男が片手を挙げてあいさつしてくる。

 白々しい。私がいつもここにいることを知っているくせに。

貴方あなたもしつこい人ですね、何度来ても私の答えは変わりません」


 男と顔を合わせるのは七日連続だった。

 会う度に「こんなところを離れて俺と一緒に来い」と言ってくる。

 大きなお世話だ。


 私は背に立つ墓標のマスターに創られた自動人形オートマータだ。

 マスターは生前、私を開発する研究にかまけて、妻に逃げられ、周辺住民からは奇人変人扱いを受けていた。

 それでも情熱を絶やすことなく、長年の研究の末に私を創りあげた。


 マスターは私に言った。

 君の歌は美しいと。

 人が歌う理由は様々だ。

 友との親交を深める為、相手に恋を伝える為、お金を稼ぐ為など、他者の為に歌う。

 でも、私は違う。

 私は歌を歌うために創られた。

 誰のためでもなく、純粋に自分が存在するために歌い続ける。


 ある時、私はマスターの死が近いことを予感した。

 肌の弛み《たる》、声の張り、足腰の衰え……兆候ちょうこうはいくらでも読み取れた。

 いよいよ亡くなる日が来た時、私は自然、歌を歌っていた。

 マスターは私の歌声に包まれて笑いながら、った。


 それから三年、私は歌い続けている。マスターからある程度、自身のメンテナンス方法は聞いていた。

 私は歌う。マスターのことを想いながら、いつまでも……。


 そんな想いなど知らないくせに、男は私のもとにやってくる。

 私の居場所を、存在意義を奪おうとしてくる。


 今までも似たような人は居た。

 でも大抵は呆れたり、愛想をつかしたり、わかったようなふりをして私のもとを去っていった。

 別にそれで構わない。

 私はそれを求めていないのだから。


「おい、嬢ちゃん、いつまでもこんなところで歌なんか歌ってないで俺と街に来い」

 また、同じ問答が始まる。

「いやです、私はここにいると決めたんです。 これからいつまでも、ずっと……」

「自分が死ぬまでか」

「もちろんです。彼は私のマスターで、そのマスターに創られた、私はここに居るべきなのです」

「そうか」

 男は目を閉じて、大きくひとつ頷いた。

 そして私に背を向けると去っていった。

 終わった……のかな。いつもなら「また来るぜ!」と言って立ち去るのに、今日は少し違った。

 しかし一ヶ月か、まあ長く続いたほうかな。

 目を閉じてため息をついた。

 そうして再び歌おうと口を開きかけた時。

 ズドンッ!!と、大きな音がした。


 先程立ち去ったはずの男が、無骨なハンマーを手に佇んでいた。

 その姿に悪寒を感じ、叫ぶように問う。

「な、何をするつもりですっ!?」

 男が後頭部をかきながら言った。

「いや、本当はこんなことしたくないんだけどよ。お嬢ちゃんがどうしても聞き入れてくれないからさぁ……」

 やれやれと、大きなハンマーを地面に刺したまま、両手を広げて大仰なポーズをとる。

 その声音にはうれしそうな響きが宿っていて、今更ながらにコイツはヤバイ奴だと認識した。

「……だから、聞き入れてもらうために、ぶっ壊します」

 ぐにぃっと歪めた口の端から犬歯を覗かせた邪悪な笑みが私を射抜く。


 そうか、私はこの男に今から壊されるのか。

 汗などかかないし、涙なんて出ない。そもそもそんな機能は私にはないだろう。

 それでも見ず知らずの男の強硬によりマスターより与えられた生命が無へと帰すことの哀しみと悔しさはこの胸にある。


 ごめんなさい、私はここまでみたいです。心の中でマスターにびた。


 足音が一歩一歩、近づいてくる。

 男が眼前に迫る。

 正面から見据える男の瞳に光はなく、わずかにのぞく鋭い八重歯が、獰猛どうもうな肉食獣のようにギラリと光って見えた。

 私はじりじりと後退して、直ぐに背後にある墓標に退路をさえぎられると、諦めて目を閉じた。

 男と正面から対峙した時点で逃げられないと、悟っていた。

 ハンマーを振り上げる、低く鈍い音が空を薙いだ。

 瞬間ーーーーーーーーーーーーーーーーーー岩と鋼の塊が全力で激突するような凶悪な破壊音が鼓膜をつんざいた。


 私は思わず耳を塞いでしゃがみ込んだ。

 …………?

 私……生きてる?

 目を開き、両手を見て、足元に視線を落とす。

 体は変わらずにそこにある。

 では、今の音は?


 男の荒い息づかいが聞こえ、見上げた。

 男は肩で深く息を吐き出し、びっしりと服に張り付いた汗が男の激しい運動量を物語っていた。

 汗により、ゴツゴツとした岩肌を思わせる男の筋肉が服の上から浮かび上がる。

 その姿に圧倒されつつ、後ろを振り返った。

 墓標の十字架が半分より上が吹き飛ばされ、消えていた。

 飛ばされた十字架は数メートル先の老木の根元に不格好なオブジェのように突き刺さっていた。


 呆然とその光景を見詰める。

 限界まで見開かれた瞳からジリジリと電子音が聞こえる。

 ふいに視界がぐにゃりと歪み、前に倒れそうになるのを両手で支えようとしたが、その気力もすぐに失せて、体や衣服が土に汚れるのも構わずに、額を地面に付けて目を閉じた。


 触れた額よりひんやりとした土の温度が伝わり、朝露で湿った泥が握り込んだ爪の間に入り込む不快な感触を生み、草と泥のにおいが一層強くなる。

 このまま、地面に穴が落ちて、どこまでも沈んで行きたかった。


 私はただ、マスターの死に寄り添いたかっただけなのに……。

 それすらも許してくれないのか。


 胸の奥の奥、最奥の扉を、男が土足で上がり込み、無骨な鈍器でぶち壊したのだ。


 扉より、何か黒く、どろどろとしたものが、ゆっくりと流れ出してくる。

 粘性を伴ったそれは、わずかな光を反射してあでやかに糸をひく。

 そうして体内を循環する液体に含まれることで液体は赤より黒に変色し、私の体内の黒く塗り潰してゆく。

 黒の液体から、静かにふつふつと沸き上がる熱が私を内部より浸食していく。

 その臨界点に達したとき……私は、私は…………。

「-----ーーーーーー------!!」

 声なき声を……まるでこの世界すべての存在に叩きつけるように絶唱したーーーーーーーー

 怒り、哀しみ、淋しさ、恨み、絶望……それ以外にも、言葉にならない感情を叫びにのせた。

 …………………………………………

 ……………………………………

 ………………………………

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……





 どれくらい続いたのか。

 何もかもが曖昧あいまいになり、再び意識が戻ってくると、いつの間にか男が近くに佇んでいた。

 まゆをわずかに歪め、先ほどまでの邪悪さは一片もなかった。


 ふらつきながらなんとか立ち上がる。

 手のひらを握り込み、鋭い痛みと共に熱が生まれ、ぼんやりとした意識が少しずつ回復していった。

 歯を食いしばると腕が小刻みに震える。

 俯いて男に訊ねた。


「なぜ、こんなことをしたんですか」

 思いのほか、声は震えなかった。

「お前を解放する為だ」

「解放?」

「お前を繋ぎ止めているくだらない鎖から解き放つには、こうするしかなかった」

「マスターは鎖なんかじゃない!私の親であり、私のすべて。存在意義そのものだった」

「それが鎖だと言っている。お前はその為に何年ここで歌を歌い続けている」

「私がそうしたいから、そうしているのです!私が何をしようが私の勝手でしょう!」

「お前のマスターはお前に歌を歌わせる為だけに創ったと思うか?」

「そんなことわかりませんよ。でも、マスターは私の歌を好きだと、美しいといってくれたんです。それだけで充分ですよ。そもそも、あなたはなんなんですか? 急に現れたと思ったら、私の邪魔ばかりしてきて」

 男は目を閉じると、胸ポケットから、一枚の手紙を取り出して渡してくる。


 引ったくるように受け取り、開いた。

 ミミズがぐねぐねと這いつくばった汚ならしい文字。

 それは忘れもしない……マスターの文字だった。

 どくん、どくん……胸が急速に早鐘を打ち付ける。

「あ……は、あ………はあ…………」

 息がうまく出来ない。

 視界がぼやけていく。

 目を閉じて、深く呼吸を意識する。

 落ち着き始めた頃、私は紙片の上をゆっくりと辿った……。





          *


 真っ二つに破壊された墓標に、私が手向けたキンセンカと白詰め草が並んでいる。

 本当はピンクのアスターを用意したかったが、マスターが亡くなって間もなく、咲かなくなっていた。


 マスター、私はあなたが居なくなって、心が空っぽになりました。いえ、そう私が思い込んでいたんだ。

 でも、それは違いました。

 私はあなたのお陰で沢山の草花の名前を知り、触れることが出来ました。

 だらしがないマスターの為に掃除や食事の用意が出来るようになりました。

 食後の散歩は、今となってはかけがえのない日々でした。

 そしてコルリという小さくも美しい響きを宿した鳴き声に弾む心を知りました。そして、マスターの私への強い思いが、私に歌を授けてくれました……。


 それでも、淋しい気持ちはこの胸にあります。

 マスターを恋しく思う気持ちは死別した時より変わりありません。

 でも、ひとつ、気になることがあります。

 それは、私の歌に何の意味があり、どこへ私を導いてゆくのかということ。

 その中で、私の生に何の意味があるのか、その答えを探して行きたいです。

 もしかしたら、それは一生かけて探しても見付からないかも知れません。

 それでも……私は…………。






          *


 森の入り口、風なびく草原の大岩に男が腰掛けていた。

 私が近づくと振り返る。

「あの……ありがと、う……ございます」

 胸に手を当てて、未だ拭いきれない損失感にさいなまれつつ、なんとかお礼を言った。

 男はぶっきらぼうに小さく頷く。

 手紙を返そうとすると、男は「いらね」と拒否する。

「でも、あなたの手紙ですよ」

 男はそれには応えず、再び視線を戻した。

 不思議に思いつつ、男の視線を追った。

 あるのは草のじゅうたんと青い空。

 時折風が草原を駆け抜ける。

 草の臭いを久しぶりに嗅いで、気持ちが少しすっきりとした。

「その手紙はお前のものだ」

 そんなことはない、宛名は私のものではないし…。

「お前のことばかり、書いてあったろ。お前のことを心配し、お前の為にどうすればいいのか、お前がどれほど可愛くて、美しい歌を歌うのか……まったく、久しぶりに先生から手紙が来たと思ったら、まるで親バカになってやがるんだからよ。そうそう、こんなことも書いてあったな……」

「あの、も、もう、いいです……」

 頬が熱くなるのを感じて男の言葉を制した。

 男が振り返り、ニカッと笑った。

「だから、その手紙はお前のものだ」

 不意打ちの笑顔に驚きつつも、なんとか返答した。

「は、はい……」

 手紙を胸に抱く。胸がどきどきして、頬がポッと、灯をともしたように熱く感じた。


「そう言えば、手紙と一緒にこれを渡すように預かってたんだ」

 男が岩から飛び降りると腰に下げた袋の中から何かを取り出して差し出してくる。

 私は水をすくうようにして手のひらを差し出すと、小さなヘアゴムをふたつ、乗せてくれた。

 ヘアゴムは綺麗な群青色で、ラメ入りの為か太陽に反射するとキラリと光った。

 長くなり始めた髪を両サイドにまとめると、真新しいゴムのキュッとした感覚が少し嬉しかった。

「よし、行くか」

 象の皮膚のようにザラザラとした手のひらが私の前に差し出される。

 それは、研究の虫だったマスターのひょろりとした青白い手のひらとは似ても似つかない。

 それなのに、私はなぜか既視感デジャヴを覚えていた。

 手のひらは自然、男の手のひらへ伸びていた。

 その手のひらに触れた瞬間……。


 左手首に付けていたピンクのシュシュが外れ、草原に落ちる。

 シュシュは緑のキャンバスに、花のようにサラサラとたゆたっている。

 マスターから初めて貰った装飾品だった。

 マスターが私の手首にシュシュを付けてくれた時の言葉がよみがえる。


「これはこの地方で伝わる願いのシュシュというんだそうだ」

「願いのシュシュ?」

「ああ、願いが叶ったときに糸が切れて落ちるんだとさ。まあ、本当かどうかはわからないけどな」

「願い。私はマスターと一緒にいることが願いです」

「そうか、ありがとうな。でも、僕もいつまでもお前と一緒にいることは出来ない」

「それは……わかっています」

 わかっているから、そんなに気軽に口にしないで欲しい。

 時折そのことを想像するだけで、暗闇の中にひとり取り残された感覚になる。

 俯いた私の頭をマスターがぽんぽんと撫でた。

「いつか、君はこの地を捨てて旅に出るときが来る。その時に淋しくないように、僕がこのシュシュに願いを込めておくよ。願いが叶ったとき、このシュシュが外れる筈だ……」


 草原の中、サラサラと風が舞い踊る。

 その中で、マスターの声を聴いた……気がした。


「ルシア、いままでありがとう。これからは、自分の生きたいように行きなさい」


 俯いて、目を閉じる。


 マスターは大ウソつきだ。

 こんな言葉を聴いて、淋しくならないわけがないしゃないか。

 うれしさ以上に、淋しさが募るばかりだった。

 それに自分の生きたいように行きなさいなんて、無責任が過ぎる。


 今までマスターの庇護のもと暮らして来て、それ以外の生き方なんて教わってこなかった。

 それが急にひとりぼっちになって、どうしたらいいかわからなくて、だからずっと歌い続けた。

 私には歌しかないから、マスターが喜んで逝ったから、それが唯一の正解と信じて……。


 だえど、それもこの男の登場によって文字通り打ち砕かれた。

 本当に、私の周りにいる男たちは自分勝手が過ぎないか?

 私は、マスターへの怒りと再び男に対しての苛立ちを覚え始めて、男の手を力一杯握り返した。

 男が「おおっ?!」と驚いた声を上げる。

 それがおかしくて、私はにらむ視線を緩めながら、言った。


「あ、あなたのせいで、私の居場所はなくなったんですから……ち、ちゃんと、せき、責任を取って下さいね」

 言っていて、だんだん恥ずかしくなってきて、最後は尻すぼみになって、視線も外していた。


 だって、これじゃあまるで……こくは…………す、ねた子供みたいじゃないか。

「ああ……わかった」

 男がゆっくりと一度、深く頷いてぐっと握り返してくる。

 そうしておや?と、目を見張る。


 私は不思議に思い、しかしすぐにその原因に気付いた。

 私の頬を暖かな何かがこぼれ落ちる。

 指先ですくったそれは、太陽の光を浴びてきらり。




 風の中に、弾けて、飛んだ……。











----------完----------

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