禁煙デー


 ~ 五月三十一日(月) 禁煙デー ~

 ※隔靴掻痒かっかそうよう

  思い通りにならなくてイライラ




 きけ子は、秋乃の気持ちを尊重しただけ。

 秋乃は、きけ子との約束を果たそうと全力を出そうとしただけ。



 悲しいすれ違いは。

 優しさゆえに起きたこと。



「一生懸命なのに報われねえってこと、世の中にゃいくらでもあるけど。俺はそういうの、納得いかねえんだ」

「何のはなし!?」

「…………なんでもね」


 週末の間。

 しょんぼりしたり。

 いつも以上に陽気になったり。


 走り込みをしてみたり。

 暴食してみたり。


 ずっと情緒不安定だったこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 飴色のさらさらストレート髪が乗った頭を。

 ひっきりなしにバリバリ掻いて。


 どうやら今は。

 イライラモード。


「…………震度、1」

「え?」

「なんでもね」


 そんな勢いで頭掻いたら。

 はげちまうぞ?


 あいつみたいに。


「中間考査は、どの教科も軒並み平均点が低かった! 各自反省点を洗い出して真面目に取り組むように!」

「……なんか、イライラしてねえか、あいつ?」


 いつもぷんすか怒ってる先生だが。

 今日の語気は、ちょっと毛色が違う。


 嫌なことでもあったのかな?


 あっちもイライラ。

 こっちもイライラ。


 なんだか。

 俺までイライラして来た。


「……震度、2」

「さっきから、なに?」

「貧乏ゆすりとかやめろ」

「そ、そんなのしてないよ!? 変なこと言わないで……!」


 机に並べた震度計。

 シャーペンに続いて鉛筆まで倒れた。


 でも、そんな証拠を見せたところで。

 こいつは納得しねえだろう。



 ……先生の板書を必死に書き写して。

 イライラしてるせいで何度も書き間違えて。


 そのせいだろう。

 何度も消しゴム使ってるけど。


 やれやれ。

 早く機嫌治らねえかな。


 じゃないと。



 ころん



「…………震度、3」

「ねえ、なんなの!?」

「なんでもね」


 消しゴムまで倒れた。


 そのうち、最後の砦。

 震度7をあらわす、耐震ジェルで張り付けたガスライターも倒れそうだ。


 こういう時は、距離を置く。

 俺は長年お袋から受けた実践教育を思い出しつつ。


 パワハラとしか思えない程大量に書かれた板書を見つめて。

 一人、ため息をつくことしかできずにいた。



「……ちょっとした雑談だが、禁煙中の人は、随分とイライラするものらしい」


 そして、唐突に世間話を始めた先生に。

 クラスの皆は眉根を寄せる。


 高校生にタバコの話するなんて。

 何のつもりなんだ?


「教頭に禁煙デーくらいタバコを我慢するよう言ったら、その願いは聞き入れてくれたのだが……。ひどく当たられてな」


 ああ、なるほど。

 それでイライラが伝染したのか。


 人は、そばにいる人の影響を受けやすい生き物。

 それは、子供が連鎖的に泣き出す様子を見てれば先天的なもんだって事が自ずとわかる。


 でもさ、お前、教師だろうが。

 発信元は教頭かもしれんが。

 お前までイライラして授業に持ち込むな。


「具体的にはだな。小さな間違いを指摘したり……」

「先生! スペルが間違っています!」

「ん? おお、助かった。よく勉強しているな、舞浜。……他には、指摘した間違いについてネチネチと掘り下げたり……」

「先生! 先週もスペル間違いがありました! ちゃんとしてください!」


 秋乃の剣幕に目を丸くさせた先生と。

 あまりのタイミングの良さに、笑いをこらえるクラスの皆。


 また始まったって顔してるけどさ。

 みんな、聞いてくれ。


 こいつ、悪気も笑わせる気もねえんだ。


 ただ大真面目に。

 イライラしてるだけ。


「……他に、禁煙中の症状としては、他人の話し声が気になったり」

「先生! 板書に集中したいので静かにしてください!」

「服装とか、どうでもいいことで目くじらを立てたり……」

「先生! 今日のネクタイはセンスが悪いです!」

「やたら怒鳴り声をあげてみたり……」

「先生!!!」


 全ての症状を綺麗にトレースした秋乃。


 そんな秋乃をにらみながら。

 先生は、改めて。


 禁煙中の疑いがある。

 愛の鞭を振るうべき生徒の名を。


 重々しいトーンで呼んだ。


「…………保坂」

「ほんでこっちなんかい」


 お約束の笑いに包まれた教室で。

 ムッとしてるのは、俺と秋乃と先生だけ。


 巻き込むんじゃねえよ、お前のつまらんコントに。


「まさか、舞浜が禁煙中ということはあるまいな」

「バカなこと言うな。ただの偶然だ」

「念のため、持ち物検査を行う」

「ふざけんな!」


 イライラは。

 ほんとに伝染するもので。


 めちゃくちゃなことを言い出す先生に腹が立った俺は。


 机を両手で思いっきり叩きながら立ち上がった。


 いつも以上に荒ぶる俺に。

 クラスは一瞬で静まり返ったが。


「た、立哉君。これ落としたよ……」

「お、サンキュ」


 机から落ちたものを秋乃が手渡した瞬間。


 再び爆笑で満たされた。



 ……そうな。

 タバコにゃこれが必須だよな。



「保坂」

「くそう! 言い逃れできん!」

「後で生徒指導室に来い」

「ぜってえ行かねえぞ! とんだえん罪だ!」

「えん罪? だったら、ライターなど何に使うというのだ」

「みんなが笑ってるのが何よりの証拠だ! これはガスコンロ用だよ! 誰だって知ってる!」

「わしは知らん」


 この石頭め!

 だったらウソついてでも自分の潔白を証明してくれる!」


「ガスコンロの着火が上手いこといかねえんだよ! 今、証拠見せてやる!」


 ウソだがな。


「そんなものは証拠にならん」

「他にも、今日はアロマキャンドル持って来てて……」


 ウソだがな。


「誤魔化すな。タバコ用だろう?」

「そんなバカなことしねえ! そもそもタバコにどうやって火を点けるのかも知らん!」


 ウソだがな。


「語るに落ちたな。テレビで目にしたことくらいあるだろう」

「あるけど……、えっと……」


 やばい!

 ええい、もうどうとでもなれ!


 ウソつきまくってやる!!!


「ほれ、どうした。もう言い訳は終わりか?」

「こ、こ、これは俺のじゃねえ! さっき拾ったんだ!」

「苦しいな」

「ほんとだ! 俺はライターなんて使ったこともねえ!」

「ウソをつけ。使ったことくらいあるだろう?」

「一度もねえ!」

「タバコを吸うときにいつも使っているのだろう?」

「ちがう! 俺は電子タバコ派だからな!」

「…………ん?」

「ん?」

「んん!?」

「んんんんん?」


 さっきまで大笑いしてたクラスの連中が。

 水を打ったように静まり返る。


 うわ、やべえ!

 夢中になってとんでもねえこと言っちまった!!!



「ち、違うんだ! 信じてくれ、先生!」

「……もちろん、信じよう」

「先生……っ!!!」

「お前は、電子タバコ派なんだな」

「ちがああああああああああう!!!」



 そのあと。

 喫煙についてはシロだと信じてもらえたが。


 この騒動の罰として。

 禁煙中でイライラしている教頭から。


 三時間ほど、ネチネチと説教されることになった。




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