第9話 憧れとの邂逅

 僕はかつてないほど緊張している。


 目の前の席には、世界最強と称され、世界を守る『奈落の守り人』にして、かつては開国の象徴に過ぎなかったただの外国人部隊である特殊部隊をヤマト王国最強の地位に確立させた英雄の中の英雄、生ける伝説『剣神』カイン・ノドがしかめっ面で腕を組み座っている。

 カインの自宅のリビングには異様な静けさが漂っていた。


「伯父さん、紅茶入れたから冷めないうちに飲んでね」


 ミカエラがカインの前に紅茶の入ったカップを置いたが、カインはじっと僕を睨みつけて黙ったままだ。

 僕は冷や汗が止まらず、椅子に座ったまま震えが止まらない。

 はるか雲の上にいる憧れの存在が目の前にいるのだが、恐ろしすぎる。


「……で、テメエがミカエラの同期生だということはわかった。だが、カーリーの乳に顔をうずめてやがったのは、どういう了見だ、あん? 返答次第じゃ、テメエのタマ取るぞ!」

「ひぃ! タ、タマって、そ、そんな……」


 カインがドンとテーブルを叩くと真っ二つに割れ、カップの砕ける音が部屋中に響いた。

 そして、カインが立ち上がった時、これまでの人生の記憶が蘇った。


「お、落ち着いて、伯父さん!」


 ミカエラが僕を守るようにカインの前に立ったが、カインの怒りは収まる気配はなかった。

 ああ、天国っていいところなのだろうか?


「……はぁ、大人げないぞ。ボクはマンジ少年を慰めてやっただけなのだ。いやらしいことはしてないぞ、


 カーリーはソファーに寝っ転がりながら、やれやれというようにため息をついた。

 カインはプルプルと震え、ぐるりと背後にいるカーリーの方を振り向いた。


「お、オヤジじゃない! 家ではパパと呼べと言っているだろうが!」

「えー? ……やだ。だって、下品なオヤジをパパなんて呼びたくないぞ」

「げ、下品だと!? お、俺のどこがだ!?」

「まずはボクのおっぱいを乳って言ったし、いつも酔っ払ってどこかの女の人といやらしいことしてるし、あとは足も臭いし、それに……」


 カインは娘のカーリーに欠点を次々と指摘され、ぐぬぬと拳を握りしめている。


「マンジくん、今のうちに逃げて」


 ミカエラは僕の耳元でこそっとつぶやいた。

 耳にミカエラの息がかかり、僕の心臓が跳ね上がった。


「で、でも……」

「大丈夫だから、早く!」

「う、うん! ええと……」

「また後で学校で会いましょう!」


 僕はミカエラにまた会おうと言われ、今までで最高の笑顔になったと思う。

 一目惚れしたこの美少女の眼中に無いわけじゃないんだ。

 その僕を見て、カインはカーリーとの言い合いを止めて、ギロリと僕を睨んだ。


「おい、クソガキ! 何スケベ面してニヤついてやがる! この俺の愛すべき姪っ子にまで手を出そうってのか! おい、まだ俺の話は終わってねえぞ! 待ちやが……」


 カインがやってくる前に、僕はミカエラに玄関から外に逃がしてもらった。

 そのまま急いで曲がり角まで走り、ホッと一息ついた。


「フフフ、災難だったな、少年よ」

「え、えっと、あなたは?」


 僕が落ち着いた時、白髪交じりの背の低い男が笑いながら話しかけてきた。

 15歳の中でも背の低い方である僕と同じぐらいの背丈だが、カインと同じ特殊部隊のマントを羽織っている。


「おっと、失礼。私はリ・ムウ、という」

「え!? 特殊部隊『臥龍』リー副長ですか!?」

「フ、そんな大仰な二つ名で呼ばれるとは気恥ずかしいものだな」


 リーは照れくさそうに頭をかいた。


「いえ! そんな事はありません! リー副長は王国最強の特殊部隊の頭脳で、あの世界最強カイン隊長の懐刀、僕の目標です!」

「う、うーん。頭脳と言うより、特殊部隊唯一の常識人と言うか、あの隊長のわがままに振り回されているだけというか……」


 リーは言いにくそうに口ごもっている。


「でも! 特殊部隊は僕たちの憧れです!」

「そんなに目を輝かしてもな。……だが、隊長には幻滅したのでは無いかな?」

「た、確かに想像していた方とは全く違いましたが……」


 僕は言いよどんで苦笑いをしていた。

 勘違いで怒り狂い娘に振り回される姿は、『英雄王』ですら一目置く世界最強の『剣神』とは思えなかった。


「まあ、隊長は仕事はできるのだが、プライベートでは全くのダメ人間でな。だが、隊長のことはどうでもいい。話はミカエラお嬢のことだ」


 僕はミカエラの名前を出されて居住まいを正した。


「ハハハ! そう緊張するな。私は隊長のように邪推したわけではない。ただ、お嬢のことはいつも気にかけていてな」

「そうなのですか? ミカエラさんほど優秀だったら安心なのではありませんか?」

「優秀なのは当然だ。『奈落の守り人』の一族だということを別としても、強くなろうと誰よりも努力しているのだからな。だが、自分を追い込みすぎてしまうから心配なのだ。この国に来てからの三年間、孤高を貫いてしまっていてな。友人というものがいた試しがない」

「そこまで強くなろうとすることに何か理由があるのですか?」

「それは、私の口から言うべきことではない」


 リーにはきっぱりと断られてしまった。

 でも、僕はその理由には深い意味があるのでは無いのだろうかと思った。

 あの時の涙の意味も同じような気がした。


「すまないな。勝手を言うようだが、お嬢とは仲良くしてやってくれないか?」

「は、はい! で、でも、僕みたいに弱い男じゃ……」

「心配するな。初めから強い者などいない。もちろん、お嬢を含めて、だ。だが、君も士官学園に入れたということは、才能がないというわけではない。自信を持て。やってやるという強い思いが、硬い岩をも貫く原動力となる」

「あ、ありがとうございます!」

「フフフ、良い顔つきになったな。では、さらばだ」


 僕は憧れの男の去っていく後ろ姿に深々と頭を下げた。

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