[香 最終話 ありがとう]

 続けての投稿、お許し下さい。

 ありがとう。

 リョウ、本当に来てくれたのね。

 そして、領域を最後まで守ってくれて嬉しかった。


 病院のベッドから正面玄関が見えるの。これは小説。実際にリョウが来るはずはないと思いながらも、今日はずっと正面玄関の方をぼんやりと眺めていたの。目はあまりよく見えないけれど、人の形やその雰囲気は分かる。私が第五話を公開してから二時間位した頃、貴方はそこに現れた。

 実際の貴方を見たのは初めてだったけれど、それがリョウだって事はすぐに分かった。小説の中のリョウ、そのまんまのような人だったから。貴方はスマホを片手に周りを見渡し、玄関の周りを行ったり来たり、何往復も繰り返していた。


 三十分位、私は貴方を眺めていた。会いたいと思った。でも、やっぱり勇気が出なかった。看護師さんに頼めば、車椅子に乗せてもらって少しだけ外に出る事は出来る。でもやっぱりこんな姿を見せたくなかった。あと僅かしか生きられない弱々しい三十歳の男の姿を見せたくはなかった。


 今日の空は、私がこの小説を書き始めた時と同じような空だった。

 雲に必死にしがみついているようだった雨粒がポツリポツリと落ちてきた。リョウは傘を持っていなかった。リョウは空を見上げていた。顔に雨粒が当たるのを楽しんでいるかのように。

 建物の中に入りなよ、風邪ひくよ、私は心の中で叫んでいた。何かコメントを入れれば彼は気づいてくれるはず。でも‥‥‥


 私はナースコールを押した。ほんの少しでいいから車椅子で正面玄関まで連れてほしいと頼んだ。

 正面玄関の自動ドアが開いて、看護師に押された車椅子は外に出た。

 リョウがちらっとこちらに目を向けたように感じた。私は顔を伏せた。泣き出してしまいそうだったから。

 リョウは車椅子に乗っているのが「そよかぜ かおり」だと分かったんだと思う。何回もスマホを確認しながら同じ場所を行ったり来たりし始めた。しきりにシャツで顔を拭っている。顔を伝ってくるのは雨だけではないと感じとれた。目はよく見えなくても貴方の心はよく見えた。私はいくらこらえても、私の目から出てこようする物を抑える事は出来なかった。


「今日は冷えるわ。もう中に入らなくちゃね」

 看護師はそう言うと私の車椅子を反転させた。私は振り返って見えなくなるまで貴方をを見ていた。他の物はあまり見えなかったけれど、リョウの涙だけはキラキラと光って見えていた。


 私は病室に戻って、窓から外を見ました。もうそこにリョウの姿はありません。スマホを開き、ゆっくりとこれを書き始めました。見えない目を必死に開き、動かない指を必死に動かし、丁寧に丁寧に、少しずつ少しずつ書いています。


 オレは生まれた時から男だった。今から十年ほど前に病に倒れ、これは進行性の難病で余命は十年程でしょうと医師に告げられた。

 倒れる迄はごく普通の男性、というか走る事が大好きで、大学一年の時には箱根駅伝を走った経験もある。それが突然運動を禁止された。

 病は少しずつ進行し、日常生活さえままならなくなってきた時に、小説を書く楽しみを見つけたんだ。小説投稿サイトを利用した事もあったけれど、どの小説も中途半端だった。

 五年前に新しく「カクヨム」の投稿サイトが誕生した時に、オレは女性の名前でログインした。病に侵され、心迄病んでいる男性が書いている小説だと思わせたくなかったんだ。自分を隠したかった。自由に動けない。身体はどんどん衰えていく。強い男になる事が夢だったけど、もう誰かを守ってやる事も出来ない。それならば、か弱い女性になりきって小説を書いて、強い男に守ってもらいたいって考えた。


 今から三ヶ月程前、いよいよ病が深刻化して、小説を書く事も諦めようとしていた時にリョウが書き始めた小説に出会った。二人で書いていく事で、もしかしたらオレは何かを見出せるかもしれないし、リョウは強い男になっていけるかもしれないと思った。ただのひらめきだったし、短い間だったけれど楽しかった。ごめんな。いくら小説は自由だっていっても、若い女性になりすませた交換小説は罪だなって思ったよ。リョウがあまりにも純粋な奴だったから。オレはどこまでが小説でどこまでが本当の事なんだか分からなくなってきてしまった。

 小説の中で、涼が香に惹かれていった頃に、オレ自身も涼に惹かれていってしまった。病は悪化していくし、本当にもう書けないと思って、謝罪しておしまいにしようと思ったんだ。


 でも、そこで終わらなかった。リョウは「男でもいい」と言ってくれた。「本当に書きたかった事を書けなくなるまで書ききれ」と言ってくれた。

 オレは自分が書く小説を謝罪の言葉で終わらせずに済んだ。この最終話で自分自身の言葉で、感謝の気持ちを書いて終える事が出来る。オレをさらけ出す事が出来る。

 読者の方が支えてくれたから、オレは好きな小説を書き続ける事が出来た。本当にありがとう。


 そして、リョウ。

 お前のおかげでオレの人生の終焉しゅうえんは美しく彩られた。人生の終盤、リョウの投稿を見た時、モノトーンになってしまっていたオレの世界にほんの少し麦の穂のような色を感じ、そこから何かが始まった。本当に短い時間だったけれど、本当に濃い時間を過ごせた。悲しい色、虚しい色も加わったけれど、そんな色でさえ美しく感じる位、明るくて優しくて、ときめく色が輝いた。

 あの時、にリョウが流してくれた涙の色を見た時、オレは心の底から生きてきて良かったと思えた。きっとオレの為に流してくれた涙だね。オレはその涙を心の中に大切にしまって、宝物にして、永遠の眠りにつく事が出来るよ。


 リョウ、お前はこの小説を通して強い男になってきた。これからも頑張れよ。色々経験して、色々書いて、もっともっと強くて優しい男になれよ。嬉しかったよ。オレの投稿はこれでおしまいだ。やりきったぜ。あとはちゃんと完結させてな。

 

 リョウ、本当にありがとう。











  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る