一のメ <中>

 扇橋おうぎばし駅駅舎中央広場エントランス

「あいつね」

 一葉かずはは広場の片隅にいる浮浪者を指した。

「国鉄の駅舎内に浮浪者?」

「法律にうるさい輩の通報があれば、派手に追い出して見せる。そしてとなっていつの間にか戻ってる」

「別色のシャツ上着でも着て?」

 その浮浪者は茶色いシャツを着ていた。

「先月は灰色を着てたわね」


 ✘


「ああ。確かに見たぞ。すぐに旦那アキモクに伝えたさ」

 蜜蜂はっちは五〇代半ばに見える男性で、顔は無精ひげに覆われていた。だが、その眼つきや口調からは脂ぎった生気を感じさせている。

「旅行者はここ扇橋駅で降りた…」

「そいつの特徴は?」

「伝えたって言ったろ。何で俺から買おうとする?」

「蜂は直販禁止でしたっけ?」

 と、野々口が紙幣数枚代金を差し出す。

「そうは言ってない。接客に慣れてなくてな」

 男は代金を握りしめ、そそくさと懐にしまった。

「背丈は175。精悍な顔つきで、30代前半の若い男だ。細身で崑川こんかわのスーツがよく似合ってた」

崑川倭国産のスーツ?」

「ああ。黒の上下だった。地図版を眺めてた時に近寄ってみたが、確かに崑川こんかわだった。そんなもの着てたから、奴が華国の人間おとなりさんと周りは気づかなかったんだろうな。俺以外は、だが」

華国かこく倭国わこく産のスーツって?」

 一葉が野々口に聞いた。

「買えるわけない。裏ルートだとしても崑川こんかわなんて高級品は流れない」

「じゃあ、考えられるのは?以前にも来てお土産で買ったとか?」

「それはねえな」

 と蜜蜂ハッチの男。

「同感」

 と野々口。

「何でよ?」

「一般の観光客が、倭国製の品を華国に持ち帰ることはできないよ。日用品から駄菓子に至るまでね」

「倭国印の高級品ブランドなんてこっそり持ちこんだら、例え模造品バッタもんだろうと没収と警告だけじゃ済まねえぜ」

「じゃあ、どうやったらこっち倭国の服着て、こっち倭国に来るなんてできんのよ?」

「どこでスーツを手に入れ、どこでそのスーツに着替えたか?問題はこの二つですね」

「着替える場所なら想像がつく」

 と蜜蜂ハッチ

「国交鉄道のホームはここから一番遠くにあるんだが、そこへの連絡通路の途中にトイレがある。下車直後は、入国確認のための最終管所があるから、俺の目に入る前に着替えができる場所はそこしかない」

「となると、こっち倭国側に協力者がいるんじゃない。そこに着替えを用意してもらえば」

「協力者はいい線だが、あそこは鉄道員も兼用なんだ。国鉄駅だけに頻繁に清掃もされるからな。着替え一式を隠しとくのは無理だと思うぜ」

「まるで、実際に見たことあるような言い草ね」

「駅舎巡りが趣味でな。万一見つかっても、寝床を探してたって言わば充分通用する」

「そりゃさすがね。じゃあ、服はどこで手に入れたっていうの?その管所の管理官がこっそり渡したとか?」

「あそこじゃ書類確認だけで、手荷物検査はないんだ。書類をすり替えるぐらいはできても、こっそり着替えを仕込むのは無理だろう」

「でも検査がないなら、下車する前に入手しててもバレませんね」

「でも、車両に仕込むなんてトイレよりも無理でしょ。それに国交鉄道って首都圏内に入るまでは途中下車はできないでしょ?」

「いや、できるな」

「本当?」

「本当ですか?」

 さらに紙幣一枚渡す野々口。

「国境目前の場所には最終出国検査と入国検査を行うための国境駅が存在する」

「両国どちらにも?」

「ああ。互いで互いの入国出国直前後の検査を行う」

「知らなかったわね」

「事実上は観光目的の往来が可能なもんだから、それ向けに一応作られただけの機関さ。国で最も暇な閑職人材の墓場と囁かれてるらしい」

労働意欲やる気が湧かなそうなとこね。国境間なんて元戦場の焼け野原ばかりでしょ?」

「未だに不発弾が埋まってるって噂もある」

 笑いながら話す蜜蜂ハッチ

「そんな職場なら、反感者協力者も入りやすいかもしれない」

「検査に紛れて服を渡したっていうの?」

国鉄の駅舎内倭国の懐よりかは遥かに楽だとは思えるよ」

「情報じゃなく推測だが、それ以外はあり得ないと思うぜ。状況証拠でいいならもう一個ある」

「聞きたいな」

 さらに紙幣三枚。

「実はここの鉄道員に友達ダチがいてな。と言っても俺のは知らない。単に年が近いから話が合うってだけだ。俺がここ駅舎に長居できてるのもそいつのおかげでな。今朝、世間話がてらに旅行者のことを聞き出してみたんだ」

「その友達って管理官なの?」

「いや、ヒラの鉄道員さ。墓場国境駅から提出された書類に目を通してたらしくてな。あいつにとっても、華国からの客人は好奇心を刺激されたんだろう。なんとはなしに内容を聞いてみたら…」

「何て?」

 紙幣二枚追加。

「入国者は、そいつダチや俺と同年代のおっさんで、何年も却下されていた入国申請がようやく通った大の倭国通らしい」

「おやおや」

「どういうことかしらね」

 二人が引っかかったのは、もちろん入国者の年齢だ。

「墓場かここの誰かが、内容を偽ったか。もしくは、俺が見たのは無関係な別人かだな」

「その2択なら、後者はないわ。あたしが保証する」

 蜜蜂ハッチの見間違いを、一葉は即座に否定した。

「嬉しいね」

「やっぱりこれは偶然ではないね」

「ええ。誰かによるお膳立てよ」

「その誰かも、もう目星は付いてんだろ?」

「まぁね。僻地とはいえ、国家機関に介入できる人はそういないわ」

「予想以上のものが買えたね」

「ええ。アキモクの敷居ハードルがかなり高くなったわね。ありがとね蜜蜂ハッチさん」

「また何かあった時は」

「おお。羽振りのいい奴はいつだって歓迎だ」

 別れを済ませ、二人が外へ向かおうとした時だった。

「ああ~!ちょっと待った!」

 近くの通行人も振り返るほどの声で、蜜蜂ハッチは二人を呼び止めた。

「ど、どうしたのよ。目立ち過ぎよ」

 慌てて戻る一葉。

「どうしました?」

「すまん。今突然思い出したことがあった。これは旦那アキモクにも報告してねぇ。何で今の今まで忘れてたのか不思議でならねえんだが…」

「何の事?」

「その、旅行者なんだがな」

「はい…」

「…マフラーしてたんだ」

『マフラー??』

 一葉と野々口が声を揃えて返していた。

「ああ。赤い派手なやつだ。黒のスーツ姿だったから余計目立ってたよ。でも、そんな目立つものを何で俺は忘れてたんだか…」

 見落としを恥じるよりも、本当に不可解で仕方ないという様子だった。

「マフラー。時期的には少し早い気がするわね」

「好みか個性かのどちらか。いずれにしろ、直買いの甲斐はあったね」

 今度こそ、蜜蜂ハッチの話は終わりのようだ。

「マフラーの情報量です。これを…」

 野々口は、紙幣とは違う紙片を蜜蜂ハッチに渡した。

「え。おいこれ。裏票りひょうじゃないか!」

 それは、彼らの世界裏社会に流通する疑似紙幣であり、使金を限度額1千萬まで受け取ることのできる代物だ。

「受け取ってください。おそらくそれぐらい重要な情報だった気がするので」

「羽振り良すぎじゃねえか?」

「よく言われます。では」

「せっかくだから赤いシャツでも買えば?」

「目立つだろが」

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