第14話 澤木への依頼

 二人の戦中功労者の再会に立ち会って、彼らとの親交を深めた澤木が、その報告にやって来た。朝食を終えた亮介は亜紀に見送られて、施設を出て澤木と散策に出た。

 歩き始めると、都会の喧騒はなく深い緑に囲まれ、風に揺れる木々の擦れる音、野鳥の囀りが聞こえた。澤木にしてみれば此処は心の湯治場だった。

「なかなか長閑ところですね」

「これで温泉でも湧けば賑わったがそれが逆に幸いして誰も寄りつかんから人は気まぐれなもんだよ」

 価値観の違いと言ってしまえばそれまでだなあ、と亮介は笑った。

「なんもない所だがどうだね直ぐに帰らずに一寸此処で息抜きをして行かないか今度の事では大変だっただろう」

「木田のおばさんに直ぐ帰ると言って来たもんですから……」

 それよりは何でこんなもんに肩入れするんですか、と澤木は呆れていた。

「俺はあの三浦のじいさんにはそう関心がないが、こんな山奥まで逃避行させた亜紀に頼まれれば引き受けざるを得ないだろう」

 しかしまあ七十年の痕跡を数日で辿る、澤木の調査能力も大したもんだが、人間の根底を観ようとはしないのは、心理分析が得意でないからだ。その割には人はどう考えて動くかを的確に捉える能力に長けているのには感心した。人の見極めも、情報が有ってのことで、無垢な心には対応出来ない。そこが探偵職と一線を画すゆえんでもあった。

「その亜紀さんですがお店はあれ程に繁盛していたのをアッサリ辞めたのが惜しいですね」

「そりゃあ俺が頼んだだからだろう」

「言っちゃあ悪いですが仁科さんにそれだけ惹き付ける物が無いようですよ」

「ハッキリ言うなまあ調査員はそれでなければ物事を進められんからなあ。しかしなあ、何でそう思う根拠はあるのかそりゃあ俺は若くは無いが財力は有るからなあ」

「亜紀さんはそう云う人じゃないですよ」

「だから俺の資産を預けたんだ」  

 ほう、解ったような口を利く、と亮介は感心した。

「まあそこはあく迄も見事に枝葉を切り捨てて身辺調査に徹したあんたのお陰だがね。今度はその切り捨てた枝葉を調べて貰えんかね、あんたより早坂の方が詳しいが彼に直に会うわけには行かないからね彼から聞き出して貰えれば有り難いが……」

「俺があいつから聞き出すより結希さんのほうが上手く聞き出せますよ」

「駄目だ、亜紀は結希や俺の他の身内に過去など語るはずがない。ああいう店に男は夢を見に来るんだ。そんな女性の素性なんて知らぬが花で向こうもそれを十分に心得ている」

「そうですかねぇ、それより何で今更知りたがるのです」

「強いて言うなら今更だからだろうか」

「今更ね」

 澤木は亜紀に小さい子供が居たのを最近知ったと云う。おそらく店に来る連中は仁科さん以外は知らなかったそうだ。今も殆どの客は知らないだろう。だとすると本人からは訊けない。周囲から情報を集めて彼女の過去を埋めてゆくしかなかった。澤木は目に見えないものは観ようとはしない。だから身辺調査以上の事はやらなかった。今度のことも直接は動かない、と仁科は思いながら依頼した。それは早坂を巻き込め、と暗に言ってるようだ。それは澤木の沽券に関わる事でもあった。

 

仁科が一人で施設に戻ってくると、出迎えた亜紀に澤木を聞かれて、あの無人駅まで歩いて行ったと知り、まあ良い運動になるわねと答えていた。殆ど昼食の終わったホール中央で、遅い仁科の昼食を付き合った。

「澤木も店に来たのか」

「たまにね、来ても隅でチョビリチョビリ呑んでるから手間の掛からない人だけど」

「そうか、で、三浦さんは今朝は見えなかったけど」

「矢っ張り熊本の強行軍は相当体に堪えたらしくて、さっきやっと朝食とごっちゃになった昼食を済ませて部屋へ引き上げたの」

 美咲ちゃんはと見ると、やはり書棚で囲まれた隅っこの談話室で本を読んでいた。

「あそこはあの子の指定席か」

「此処には沢山有るから退屈しないみたい」

「よくもまあ店では解らなかったもんだね。丁度店に来た頃には生まれていたのか」

「そうずっとおばあちゃんに見て貰っていたから」

「家族はおばあちゃんだけか」

「そう、でも二年前に亡くなった」

「その頃だったなああのアパートを見付けたのは、じゃあ二年間はあの子は一人で留守番していたのか」

 おじ様が提供したマンションは、あの子の環境には良くないから、もっと有り難みが解り易いようにあのアパートにした。

 そうかとまた話を逸らされた。

「それより長い散歩ね、澤木さんったら熊本でお年寄り二人は戦場の話で盛り上がっていたらしいの。何でも仕方なくその場を離れたらそこへ砲弾が飛んできて危うく一命を取り留めたらしいの。後はそんな連続で終戦を迎えたって。おじ様もそんな話を散歩で聞かされたのでしょう」

「俺はまた別の用件で喋っていた」

「な〜んだまたお仕事の話ですかつまんないで〜す」

「そうだなあ、あの店に比べれば此処は気難しいお年寄りが相手だからなあ鬱陶しいだろなあ」

「そうでもないわよ美咲のお陰であたしには余りうるさく言わないからそれにお酒は呑まない人ばかりで静かなもんよ」

「じゃあ退屈じゃあないのか」

「ずっと美咲が目の届く所に居るから、まあたまに近所のおばあちゃんの家に呼ばれるらしいけど帰りは例の電動カートで送ってもらっておまけにお菓子まで貰って移動スーパーの祐子さんからお陰で子供のお菓子がよく売れて有り難いわと言われちゃった」

「あの人も話を纏めるのが上手いよ。直ぐに欲しいものを積んで来てくれるからね、この前もサラミソセージをばあさんが買って売り切れたのを余分に持ってきてくれてね、それを言うと仁科さん随分残念がってたからって、よく見てるよあの人は」

「サラミ、そう言えば店ではよく出してたわ。水割りに良く合うんでしょうそんな人がこんな何にもない所に居られるなんて思っても見なかった」

「それは君だってそうだろう。あの店に来るまでは何をしていたか知らないけれど少なくともこんな山奥の施設で働ける人じゃなかっただろう」

 うふふと意味ありげに彼女は笑った。 

「ご想像にお任せしまーす」

「処で亜紀さんはこの前のマザコン兵士の件では話を合わせて早坂を知ってる口ぶりだったけど此処は野暮ったいお店じゃあないから話を合わす必要はないから。早坂を何処まで知ってるのかい」

「バレた? 、本当はそんなに知らないけれど仁科さんと一緒の所を一度見かけたぐらい、面識ある人は必ずお店に連れて来るでしょう、だから関係ないかと思っちゃってた。この春に夜逃げしたときも結希ちゃんに探偵だって言われても気が付かなかったぐらい影の薄い人ですから、でもあれ以来スッカリ想い直して勉強したの」

「そりゃそうだろう息子の仕事をこなすには君に解らないように近づかないと、そこまで徹底すればあいつとしては上手く遣ってた方だなあ」

「そうだったのか。澤木さんの方はたまに来られてもお店ではお話が訊けて人柄は掴めましたけれど、早坂さんは春の逃避行以前は全く馴染みが無かった人で〜す」

「じゃあそれまで気付かなかったのならあいつも大した奴だったんだ、ちょっとは見直しそうだなあ」

「じゃあそれ以前からずっとあたしをマークしてたの?」

「まあそう言うこっちゃ。粘り勝ちだなあ」

「でもそんなドジ踏まない人でも此処は知られてないわよ」

 此の春からは身辺の用心をしたらしい。

「流石だなあ、此処じゃあ判るわけないわなあ、俺も結希から聞いたときはまだ此の国にこんな所があるなんて思いもよらなかったからね」

 所長が申し訳なさそうにやって来て亜紀に仕事の催促した。

 さああたしはこれから夕食の仕込みをやらなけゃあならないからごゆっくり、と亜紀は席を立った。     

  

  

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