第13話 死と向かい合う二人の老人

 亮介は亜紀と散歩に出た。美咲はあれから所長の荒木に懐いて、一緒に遊んで貰っていた。丁度亮介は好都合と亜紀を散歩に誘った。

「朝から何か訳ありね」

「あの三浦の爺さんが探していた例のマザコン兵士が見つかったんだ」

「無事に戦地から帰れたのね、じゃあお母さんは大喜びでしょう」

 それがなあ、と亮介は顔を曇らせた。

 澤木が撮ったものを結希が送ってきた。昨日ずっと見たんだが、と着信した結希からのメッセージ画像のスマホを亜紀に見せた。暫く亜紀は黙って見た。これを三浦がどう見るかだか。澤木の質問に答える形で収録されていた。亮介の見立ては、誘導尋問じみて、流石は探偵ぽかった。

「ぽかったって探偵でなく興信所でしょう、どう違うんですか」

「そこだが息子の雇った早坂より腕は立つ」

「じゃあ早坂さんは普通じゃあないの?」

「いや動きは鈍いがあいつはあれでいて思慮深いんだ。ひょっとしたらお前の事も知り尽くしているかもしれんなあ」

 まさかそれはない、と亜紀は真面に取り合わなかった。

「俺は知らんが澤木と早坂の違いは早坂は亮治が関心を示さない言い換えれば依頼されない所まで調べるんだ。澤木は枝葉を切って幹しか調べない。もっとも俺も亜紀ちゃんが店を任される以前は知らないし知る必要も無いからなあ」

 と笑った。

「へえ〜そうなんだでも早坂さんは一度もお店には来たことも無いけど澤木さんはおじさまほどでは無いけれどちょこちょこ顔を出すのにそれで探偵が務まるのかしら」

「そう思わす処があいつの奥の深いところだ。知らんもんには一番の安全パイだと思わすから情報が得やすい顔見知りでも不用心にポロッと口を滑らしてしまったから『早坂さんなら別にいいかってでも内緒だよ』って言われているそうだ」

「それじゃあ内緒にならないわよね」

「ほ〜う亜紀ちゃんにも気になるか」

「いいえあたしはそう云うものは一切関わり有りませんから」

「罪と言っても色々あるよう、夫婦げんかのような些細な物まで」

「でもそれを一生引き摺ればその人にとっては些細な事じゃありませんよう」

 亜紀は所長の相手が誰もが一目置く人なら、一生引き摺ると思った。

「思い当たる人でも居たのか」

「残念ですが居ましたでもあたしじゃ有りませんよ」

「そんな愚痴が言えて心の鬱憤をサラリと聞き流してくれる亜紀ちゃんに喋りたくて来てくれる店なのに、それでかなり繁盛していたのに良く辞めたなあ」

「おじ様の一生一度の頼みですもの」

「そうか俺に君を幸せにする素質は無いがそれにしても他にもっと大きな感情が動いた人が居るんじゃなかったのかなあ」

「変な事言わないで、どうしてあたしが逃避行までしなければならない人なんて居やしないわよ」

「一人じゃ無い君には誰かから守る物がある、それで動機は十分だろう」

 話題が自分に向き始めた頃から、亜紀は施設に向かって歩き出して、丁度施設の前に差し掛かっていた。玄関からこちらに向かって駆ける美咲が見えた。亜紀も駆け出して美咲を抱き上げた。傍で一緒に遊んでいた荒木も、窓からあなたが見えると、真っ先に飛び出したから勘の鋭い子だと言った。

「でもこの子は気まぐれなんですよ幾ら呼んで見向きもしないときも有るから」

「ツンデレなんですね美咲ちゃんぐらいの歳には良くありますよ」

 意外と所長は子供の気持ちをよく掴んでいるのに亜紀は感心した。

「仁科さん、三浦さんには用件を伝えましたからお部屋でお待ちですよ」

 亜紀がちょっと怪訝な顔をしたから、頼まれものが見つかった、とだけ所長に頼んだらしい。向こうは朝食を終えて丁度寛いでいる、と所長に言われ訪問を伝えて、亜紀と一緒に部屋に行った。

 三浦は待ちわびたように中へ入るように勧めた。

「マザコン兵士は宮田って言うんですか」

「想い出しましたそんな名前でしたまあどうぞ」

 三浦と仁科は備え付けの椅子に、亜紀はスチールパイプ椅子に座った。仁科は澤木の調査結果を伝えて、彼か撮った宮田のビデオメッセージを見せた。

 二人は脇道からそれず、要点だけを伝える澤木のインタビュースタイルのビデオを今一度、三浦と共に見終えた。 

「さて澤木が撮った此のビデオメッセージどう思います」

 亮介の質問には反応せず遠いところへ視線を移した。 

 ーー此の男は物心付いてから、母親に操られて大人になった。だが俺のお陰で普通の男に戻って、人生を全うしていた。その切っ掛けを作ってくれた俺に会わないことはないだろう。しかし歳を取り過ぎて、あの頃と同じように今は、老衰と云う死線を彷徨っている。もっと充実した歳になら、酒を酌み交わして親交を温め直せたかも知れないが、お互い明日へも知れぬ命が、そうあの時と同じように迫っていた。

 ビデオメッセージを見た三浦はそう呟いた。

「あの時代は戦争が命を選別するんだ。その結果俺は精神力で生き残った」

「誰が選別するんですか」

「ラバウル、あそこはパイロットの墓場なんだ。落としても落としても新手が二倍三倍と増えてなんぼ腕がよかっても連日の出撃で疲労困憊して神に見放された連中がやられていった」

「神が選別するんですか」

 まさかと三浦は口角を和らげた。

「死に神に憑かれた奴らだけだ。俺には両親が居た下にはまだ三人の妹が居た俺の航空手当で養っているようなもんだから死ねないのさ、まあ宮田は一人っ子のマザコンで死んだ親父の年金と祖父が作った資産で暮らせる身分だとビデオで判ったから月とスッポンだろうな。それがなあ、今じゃあ俺と似て面会者も殆どやって来ない老人ホームでの生活だから、こっちは良いが、派手に暮らせた向こうは辛いだろうなあ。子供のために尽くした人生がその子供に見捨てられるんだ。そして振り返れば終焉が迫っているなんて」

 そこで三浦老人は、俺のやったことが間違ってないかあいつに問いたい。人生を大きく変えられた事にたいしてどう思っているか、そのまま母親の引いたレールの上を走っている方が楽だったのかも知れない、と自問した。

「いや、人生に間違いはない。有るとすればサマセット・モームの謂う『人生に意味などなかった』と云う物かも知れないですよ」

「どう云う意味 ?」

 亜紀は亮介の言葉に呆気にとられる。

「意味などないそのままだ。生きていりゃあいいさってでも言ってこう。凡庸な人生が一番良いんだ。だが昭和はそれが面白くもあり哀しくもあったそんな時代を二人は生き抜いた」

 それが伝われば彼は喜んで会うでしょう、と今度は三浦に言った。

「どうすれば良いんだ」

 亮介はスマホを取り出した。

「これで思ってることを三浦さんはただ語れば良い後は私が編集してあなたが気に入れば向こうへ送ります。それを向こうの施設の人が宮田さんに見せますから直接テレビ電話にすれば良いんですが慣れてないでしょう」

 明日へも知れぬ中で命を繋いでいる。だから気の向くままに生きたいから、気心が知れない者とは関わりたくない。おそらく宮田さんもそうだろう。その融和を図る為に先ずは映像による再会を勧めた。

 午前中掛けて収録して、更に十分に編集した画像を、澤木経由でホームへ送信した。  

 功が奏して三浦は澤木と同行して、熊本に居る特養の介護施設で宮田に会った。施設からは熊本城がよく見えたが、震災で見る影もなかった。だが此の施設は無事だった。此処でも互いの強運を讃えた。

 仲介した澤木の前で二人は年甲斐もなく咽せて握手をしていた。七十年の歳月が一気に縮められたのは、お互いに死線を乗り越えた者同士の固い絆なのか。共に死に神を撥ね付けた強運で、運命を切り開いた連帯感から来ているのかも知れなかった。

 此処で二人が交わした戦陣録から謂えるのは、常に死と隣り合わせの中で、命が拾えたのは奇跡に近いと判った。それは二人が此の再会で、七十年前の死と向かい合った共通の苦しみを感じ取ったからだ。そして今は家族から疎外されて、介護施設で共に身を寄せる境遇に成り果てた。それが今日の国の基礎を支えた自負までも踏み潰される中で、また再び命と向かい始めていた。それは七十年前の戦場とこの施設とは、環境が違っても明日へも知れない命との闘いに変わりはなかった。  

 澤木はこれが仁科の謂う、サマセット・モームの『人間の絆』なのかと暫し耽っていた。

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