八月三十日
「忘れ物ないように詰めるんよ?」
ガサゴソと、私は朝から荷物の最終チェックをしていた。これから、私と海は飛行機に乗り、東京へと帰るのだ。長い一カ月という夏休みはあっという間に終わり、もう、この村とはサヨナラしなくてはいけない。
ありがとう、魔女の村。
旦那の祐一には、スマホで、飛行機で帰る時間と、思い出の写真を送信しておいた。どの写真も、素敵で、可愛い海が楽しそうに笑っているものばかりだ。
この写真を見て、祐一は今、どんな顔をしているのだろうか。
今、何をしているのだろう。
頑張っているんだ、きっと。
逢いたいなあ。
「そろそろ出るじゃろ?車出したが、乗りな」
「ありがとう、かあさん!」
「私とは空港までの旅じゃ」
帰りは飛行機にしたので、かあさんが空港まで送ってくれることになった。一時間そこらで空港には辿り着けるはずだ。
「海、ほら急いで乗って!」
「はあーーい。帰りたくなーーい」
海が寂しそうなクシュっとした顔で車に乗り込むと、運転席のかあさんが海に言った。
「また来られよ」
「うん、また来るね!おばあちゃん!」
海はおばあちゃんのことが大好きだ。本当に、帰るのが寂しいのだと思う。でも、大丈夫。また、すぐ会えるよ。
「出発するからよ、シートベルト締められよ」
「大丈夫、海も私もオッケイ」
「なら、発進じゃ」
そう言って、かあさんはゆっくりとアクセルを踏み、車を走らせた。
またね、おばあちゃん、とうさん。
私はこの村のどこかで見守る大切な人に、心の中で挨拶をして、村を出ていく。
はあ、寂しいな。かあさんとももうすぐお別れか。空港まであっという間に着くのだろう。
私は、とにかく寂しさでいっぱいだった。帰っても、また、海とふたりの忙しい生活に戻ってしまうのだし。
しかし、この村の中を抜けて、高速道路に入ると、困ったことに大渋滞が起こっていた。
「嘘、全然進まないじゃん」
「こりゃ、間に合わないかもしれんな……」
「えっ」
飛行機の搭乗締め切り時間まで、あと三十分。このままでは、飛行機代も無駄にして、今日家に着くことも出来ないかもしれない。いや、もう三十分じゃ、絶対に間に合わない。無理だ。
これはもう、飛行機に乗ることが出来ない。
車はうんともすんとも、進んではくれないのだから。
どうしよう。
そう考えていると、急に私のスマートフォンが鳴った。
――――ピロロリン
「あ、祐一からだ!どうしたのかな!?」
こんな時に電話なんて、祐一も何かあったのだろうか。嬉しさと心配を混ぜながら、私は画面を押して電話に出た。
「もしもし?」
すると、祐一は想像もしなかった、嬉しいことを言うじゃないか。
『今、東京空港にいるんだ。着いたら、飛行場の屋上にある、望遠デッキに来てよ』
私はそれを聞くなり、急いで電話を切って、車後ろに積まれていた、長い掃除用の箒を取り出して片手に持ち、進まず停車したままの車から降りた。
「海、リュック背負って箒の後ろに乗って、かあさんは私の荷物あとから郵送でよろしく!」
「え、ちょ、由美!どないした!由美!」
「わーーい。ママ、最後の日もすごい!」
かあさんは困った顔で私たちを眺めるが、もう止められない。海を後ろに乗せて、私は空へと舞い上がり始めている。
私には、誰に何を言われようと、飛んででも会いたい人がいるらしい。誰がどんな目で見ようとも。
それくらい、今すぐ会いたい大切な人がいるのだ。
「待っていて!今すぐに、逢いに行くから!」
「ゴーーゴーー!!」
私は空の高く高くに飛び上がり、この岡山から東京を目指すことにした。そうだ、私は空を飛べるじゃないか。これは、大切な人の為に、私が使える魔法なんだ。
どのくらいのスピードで進んだのかも、どのくらいの高さを駆け抜けたのかはわからない。この広い空の空気を切り裂くように、私はとにかく東へと向かった。
海は嬉しそうに私にしがみついて、楽しんでいた。無邪気な子供は、どこまでも無邪気だ。こんな状況などお構いなしに、楽しむことだけを考えている。
もちろん私も今楽しい。最高の笑顔だろう。こんなにワクワクしたのは、いつぶりだろうか。
いくつの山を越えただろうか、今までで一番の景色をいくつも越えていた。こんな素敵な空の旅はきっと初めてだ。
「あ、あれは東京空港。もうすぐだ!」
東京空港のそばまで来ると、空にいる私と海を不思議な目で指さす人が、沢山いた。目的地の近くまで来て、低空飛行を始めた私に色んな声が入ってきた。
『見て、お母さん!空に何かいる!』
『みろみろ、人が飛んでいるぞ!』
『やばくない!?あれ、魔法使いかな!?』
でも、今は知られたっていい。そんなことを気にするよりも、大切なことがあるから。
そして、気が付けばもう、夕暮れだ。私と海の背中を、オレンジに染まる太陽が後ろから押していた。
私はこの日の最後の光を背中に乗せて、逢いたい人のもとへ降り立つ。
「あ、あれ、パパだ!パパがいるよママ!」
東京空港の望遠デッキにストッっと降りると、祐一が私と海のところまで走ってきて、ギュッと抱きしめ、離さなかった。
「おかえり、そして、ただいま」
「帰ってきてくれたのね……」
花束を片手に、私たちを抱きしめる祐一が温かくて涙が出てくる。祐一は優しい笑顔で、私と海を見つめて言った。その見つめる目は、優しく潤んで輝いていた。
「待たせてごめん、これからはずっと一緒だよ」
その言葉が嬉しくて、嬉しくてしょうがなかった。私は彼に、逢いたくて仕方なかったのだから。彼のことを、ずっと待っていたのだから。
「ずっと一緒に生きようね」
私はこの夏、沢山の愛に包まれた。
この夏に起きた愛の物語を、私は忘れることはないだろう。
みんなの気持ちが温かく、私の心の中に大きな花となって咲いている。
私は愛の咲く、村で生まれて、愛に囲まれ生きているのだ。
そして、愛をくれた皆を、私はずっと愛している。
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