最終話 拝啓、"春"へ④





生まれて初めて買う花が、死者を弔う花だなんて幼い頃の僕は想像できただろうか。


先輩の母から貰ったメモを見て見知らぬ誰かの墓を曲がる。霊園のなか、僕は歩いていた。



今日はいい天気だ。もう激しい寂寞を想起させる冬空は姿を隠し、青色の空が澄み渡っている。


もう春がすぐそこまで来ている。


涼しい風の吹く霊園を確かな足取りで歩く。そして僕は一つの墓石の前で立ち止まった。


『春澤之墓』


霊園の隅、ひっそりとした場所に彼女は眠っていた。


僕は彼女の前にしゃがみ込み、花をそっと置く。掃除は行き届いているようで汚れている形跡はない。春澤家の人がマメに掃除しているのだろう。


「…………」


そっと、彫られた『春澤』の部分を撫でた。

そうか、ここに彼女は眠っているのか。



「……来るの、遅くなってごめん。」


彼女にかける言葉を色々と考えていたのだけど、僕の口から真っ先に出てきたのは彼女への謝罪だった。


それから僕は目を瞑り、心のなかで彼女に話しかけた。







来たら一生忘れられなくなると思って来れなかった。


それと、やっぱり無理矢理キスをしたのを後ろめたく思っていたんだと思う。


僕が汚したせいで、先輩は死んだのだと心の奥底でずっと考えていた。考えて考えて、結局僕は逃げてたみたいだ。


でも、あんたのことを忘れなくて良いって言ってくれる人ができて、僕もやっと勇気が出たんだ。


前に話した後輩の子。少しだけあんたに似ているかもしれない。仕草とかたまに重なるんだよ。


多分あの子がいなきゃ、僕は先輩の後を追ってた。今生きてるのはあの子のおかげだ。



そういえば、手紙読んだよ。ここまで来る電車の中で読んだ。先輩も結構普通の女の子なんだってびっくりした。


本当に驚いた。


あんたは口下手すぎる。いつも無表情でずかずかと人の心に入り込んでくるから僕はいつも戸惑ってた。だからあんたも迷ったり悩んだりしていたのは想像できない。


初対面のとき緊張してたのだって初耳だ。ハラハラしてたようには全然見えなかった。


…いや、初対面じゃないのか。


母さんとあんたに交友関係があったのは知らなかった。母さんも先輩も何も言ってくれないから。


そういえばいつも母さんの隣のベッドはカーテンが引かれてたっけ、あそこに先輩がいたなんて思いもしなかった。


母さんとの会話を聞かれてたのは少しだけ恥ずかしいけど、母さんの良き友人になってくれてありがとう。母さんもきっとあなたに会えて嬉しかったと思うよ。



あんたが勉強を始めたきっかけが母さんの影響って話は何故かすんなりと納得できた。


なんでだろうな、多分教え方が似ていたんだと思う。あんたも母さんも僕ができたら褒めてくれたから。


もしかしたら僕は先輩に母さんの影を重ねていたのかもしれない。もっとも母さんはあんたほど面倒くさい女じゃなかったけれどな。


それと、先輩は僕に勉強を教えることを自己満足って書いてたけど僕はそれでも感謝してる。


少しも恨んでなんかいない。


あんたは僕にたくさんのことを教えてくれた。先輩は少しだけ見栄を張っていたみたいだけど、教えてくれたことにはかわりない。あの時間は僕にとっても楽しかった。


だから…ありがとう。



あんたが死んでもう半年が経つんだな。本当に時間って経つのが早い。僕も受験生になったんだぜ?


あんたが死んでしばらくは、電車に乗るのが苦しかった。先輩の顔がちらついて足が震えてしまうから。


本当に弱いな、僕たちは。


臆病で、逃げてばかりで、誤魔化してばかり。面と向かっては言えなくて、気づけばあんたはもういない。


これなら、僕の愛しい後輩の方がまだ強いよ。



「あれ…」


僕の頰を一筋の雫が伝った。







ここまで来る電車のなかで泣いた。


乗客に見られてしまうのも構わずに泣き続けた。それなのにまだ僕は泣いてしまっている。


止めどなく流れる涙を、持て余している。



「好きだった。」


生前の彼女には一度も言えなかった。なんで言わなかったんだろうって、今でも後悔している。


春澤先輩、僕の初恋の人。

強くて、美しくて、凛々しくて、不器用で、臆病で、弱くて、それでいてとびきり優しい人。


もう会うことができない人。



「本当にあなたが好きだったんです、先輩。」



言いたいことがたくさんあって、本当は聞きたいこともたくさんあるけどもうそれはできないから。


あなたにはもう会えないから。



「…また来ます。」


あなたが望んだ場所ではないけれど、それでもまた話をします。他愛のない話をしにきます。つまらない話しかできないかもしれないけれど、あなたに会いに来ます。



僕は立ち上がり、歩き出した。


しかし、途中で立ち止まり、また墓の前に戻る。



「これは、あなたに送ります。」



そう言って、歪な"シーグラス"を墓前に置いた。 




シーグラス。僕が彼女に送った一番最初のプレゼント。ガラス瓶などの破片が波に揉まれ、角が削られ、擦り減り、曇りガラスのような風合いを呈するガラス状の小片。




先輩との思い出は"シーグラス"だ。


時という波に揉まれ、徐々に記憶は薄れていく。きっとこの墓に来る頻度も少なくなって行くのだろう。


それでも美化されていく。


記憶は美化されていく。長い年月を経て、長い道のりを通って、何度も季節を変えて、綺麗になっていく。


青や翠の色をした宝物になっていく。


忘れられない宝物になる。





僕は空を見上げた。今、春がきた。


僕の、僕たちの青い春だ。





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シーグラス~先輩を忘れられない僕が不思議な後輩と恋をする話。~ 透真もぐら @Mogra316

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