痛みを伴ううねり②
センシさんと謎の中年が相対する、昼下がりの大衆食堂。周りの客や従業員らしき人の多くは悲鳴を上げて我先にこの場から逃げようとする。わずかなやんちゃものたちがこのいざこざを興味深そうに見守る。ぼくは時流に乗って離れるべきか、留まるべきか、わからないでいた。
ふいに。真横に転がっていた椅子大きな切れ込みが入った。なんだと考えるより先に、ぼくの周りの机やら椅子やら壁やらに達人が鋭利な刃物で切ったような鮮やかな切れ込みが連続して入っていく。
「……魔法士ではないようですが、これくらいはできますか」
中年の男がうんざりした様子で重い溜息をつく。見ると、センシさんの構える片手半剣の位置が変わっている。多分、この切れ込みはぼくを狙った中年男の攻撃だ。それをセンシさんがかばってくれたのか。
「兄ちゃん、早くここから出ていきな。マドーシを呼んでくれ。声をかけたら、とにかく遠くへ逃げろ」
「……仲間までいると。名前はマドーシ。そして今この現状で呼ぶってことは自分と同等もしくはそれ以上に頼りになる能力を持っている」
「……っ」
センシさんは顔をしかめた。口が軽いっていうのは本当だったらしい。不必要な伏線回収だ。気持ちを落ち着けるためにおどけてみる。
中年男は顔をしかめて頭をかいた。本当に辟易としている様子だった。
次の瞬間、またしてもなんの前触れもなく野次馬の一人が倒れ伏した。あまりに脈絡が無かったから、空気読めてない奴が酒の回りすぎで倒れたのかと思ったけど、どうも違う。側にいた他の野次馬も続々と倒れ出す。悲鳴も上がらない。
ぼくは当然動揺したし、センシさんもそうしたようだ。突然倒れた野次馬に気を取られて、意識を一瞬中年男から外したらしい。前触れもなくセンシさんの全身至る所から鮮血が吹き上がる。野太い悲鳴が店内に響く。
まずい、と思った時には遅かった。身を翻そうとしたぼくの目の前にいつの間にか男がいて、その大きな手をぼくに向けていて——
咄嗟にその腕を逸らした。
「うわっ……!」
どこか余裕な態度を取っていた男が少し間抜けな驚きを声にする。顔色は明らかに焦りを含んでいる。
そんな彼の様子をよく観察する間も無く、ぼくは何かに襟を掴まれる。ヒキガエルの断末魔のような情けない声を漏らしながら宙を舞う。店の壁に激突しそうになったとき、壁がハサミで切った紙のようにぱっくりと横に割れて激突を免れる。
浮遊する速度は徐々に落ちていく。そして訳のわからないまま、ぼくの体は止まった。
「町の外に馬がいるから。ちいさい荷物だけ持ってここを離れなさい」
再開の挨拶もなしに乱暴にぼくを投げおろしたのはやはりマドーシさんだった。
「マジかよ……」
その姿を見て男が今までにない焦りの表情を見せる。言葉も乱暴になっている。知っているのだろうか?
「こいつが前言ってた『腕利き』の魔族。あんたじゃ相手できないからさっさと行きな」
おろおろして動きないでいるぼくに苛ついたように吐き捨てる。でもそう言われてもぼくは機敏に動けないでいた。
あの中年の男が腕利きなら、その実力はマドーシさん曰く『ちょっと手こずる』くらいの相手らしい。センシさんがああなった今、マドーシさん一人で手に余る相手と戦えば……
「あの、センシさんはもう——」
ぼくが窮状を訴えようとしたとき、鋼鉄より硬いもの同士がぶつかり合う鈍い音がした。音がした方には、全く傷が見えないセンシさんの振り下ろした片手半剣を肘で受け止めながら苦悶の表情を浮かべる腕利きがいた。
「早く!」
裏返るほど声を張り上げたマドーシさんの気迫に押されてぼくは後ろ髪引かれながら走り出す。走る。出来るだけ後ろから聞こえる喧騒から遠い場所へ。町の外へ行けってマドーシさんは言っていた。町の外ってどっちだ?
ぼくはどっちへ行ったらいい? なんで今こんなことしてるんだ?
全くわからないまま、役立たずのぼくは少しだけ涙が出そうな目元を袖で覆って出口を探した。
***
三秒後に町の外といえばぼくたちがこの町に入ってきた入り口に違いないことに気づいたぼくは一路そこへ走る。穏やかだった宿場町はにわかに騒ぎたち、住人は家の中にこもるか噂話をしている。それに紛れながら町の入り口にある馬屋の辺りに向かった。荷物はすぐに見つかった。
「あ、お兄さん……」
騒がしい馬屋周辺に場違いな少女が佇んでいた。ぼくを見つけると少し頬を綻ばせて、だけどすぐに伏し目がちになった。
「……とりあえずここを出よっか。荷物は持ってるね」
「は……? マドーシさんとセンシさんは?」
荒唐無稽なことを言い出した奴を見るような目でぼくを見るユーシャちゃん。さっきの緊張感のない反応といい、もしかして今マドーシさんとセンシさんが何をしているかわかっていないのだろうか? マドーシさんは仔細を説明する間もなかったってことか。ぼくが説明するべきか?
いや。今そのことを説明して混乱されたり最悪加勢に行かれたりなんかしたら。
「……ああ、ちょっと知り合いに会ったらしいよ。ちょっと用事ができたんだって。しばらくここに留まるから、先に中央まで行っときなってさ。ここからすぐだし」
「はあ……そうなんですか」
「……とりあえず行こっか」
弾まない会話を早々に打ち切って、ぼくは少女から目を逸らして馬屋に向ける。馬車はここには停めていない。ここまで連れてきてくれた二頭の鹿毛の内の一頭に、そこらから盗んだ鞍を取り付けて跨った。盗みをする時はまるで自分の物のように盗品を扱うのがコツだ。
ユーシャちゃんを拾い上げて馬を駆る。とりあえず進路を中央の街に向けているけれど、心の中では迷っている。宿場町に残してきた二人は南の街にいた腕利きの魔族と戦ってる。恐らく、ぼくたちを追いかけてきたんだろう。狙いはもちろん勇者だ。
あの三人のやってる次元の争いにぼくが入っていけそうもないし、ユーシャちゃんを放っておく訳にもいかない。けどなんとなく今の自分に納得し切れない自分がいる。逃げてるみたいでダサいと思う。
でも今腕の中にいる鼓動はきっと、そんなくだらなさすぎる強がりで止めてしまっていいものじゃないんだろう。だから今ぼくがしていることは正しいことのはずだ。
……いつからぼくは正しいことをする人間になったんだ?
くだらない感傷をかぶりを振って吹き飛ばす。色々考えるのは今じゃなくてもできる。
馬が車より優れている点はこんな風に少し考え事をしていても何かにぶつかることもなく勝手に進んでいくことだろう。宿場町周辺から離れ人や馬が踏み慣らした街道を走っていく。若木の林が道を囲む道。
このまま中央まで行くとして、夜はどうしよう。慌てて出て行ったから天幕も食事の用意もない。食材確保のために早めに旅をやめた方がいいのかな。
なんて、少し呑気に考えていた。
「っ」
右半身を強烈な衝撃が走る。気がつけばぼくの視点は宙を舞いながら回転する。やけにゆっくりに感じる滞空中、ぼくはまたかよ……と思った。
多分実際には二秒後ぐらいに左腕を下敷きにして地面に転げ落ちた。生まれたての生き物みたくゆっくり体を起こそうとすると、左腕の惨状を痛みが訴えかけてくる。そしてそれに気づいた後、こっちもだぞと右半身もごうごうと訴えてくる。確実に異変が起きてるのはわかる、それでも体を動かしたくないほどの痛みだ。
「お兄さん!」
骨身に沁みるような大声。一緒に転げ落ちたはずのユーシャちゃんは大きな怪我はなさそうだ。多分無意識のうちに庇ってしまったんだろう。道理で左腕がマジで痛いはずだ。二人分の体重を受け止めちゃったのか……
「……だいじょうぶ?」
こっちの台詞じゃ、と思ったであろうユーシャちゃんは不気味に青ざめた顔で首をぶんぶんと縦に振った。
「よかった……ぼくはマジでだいじょうぶじゃない。いいから、さっさと逃げな——」
「そういう訳にはいかない」
聞き慣れない低い男の声。声のした方に目を向ける。長身の男が凍てつくような目でぼくを見下ろしている。その顔に正直覚えはなかったけど、特徴的な出で立ちで思い出した。
「君に聞きたいことがある。この間の仕打ちは一旦今ので手打ちにしておくから、質問に答えて欲しい」
ツメエリはご丁寧にもぼくの側にかがんで目線を合わせながら、
「勇者と呼ばれてる人族を知らないか。用がある」
と口にした。
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