痛みを伴ううねり①

 寝苦しくて目を開けた。暑さだけじゃない寝苦しさだ。体を起こそうとして異変に気付いた。お腹の上に、少女が乗っかっていた。


「……こんな時間に起こしてすみません」


「……うん」


 回らない頭が熱を上げて動き出す。外は暗い、真夜中だ。何でこんな時間に?


「謝りたいことがあって来ました。早く言った方が良いと思って」


「はあ……や、ぼくの方こそ」


 ぼくの方こそ? 一体ぼくは何を謝罪するつもりだったんだ? 口をついて出た言葉に驚いた。


「ごめんなさい。今日の訓練、せっかく協力してもらったのに、あんなこと言って……」


「…………気にしないで。ぼくも、こう……ちょっと軽い気持ちでやっちゃってたから」


「いや、そんなことないです。悪いのは私です。お兄さんは悪くないです。だってお兄さんは——」


 

 本当は大したことないだけだったのに。



「……え」


「ちょっと生まれつき才能があるだけで、大した努力も心も磨かずに生きてきたんですよね……だからこんな小娘にも劣るだけで、勝手に期待した私が悪かったんです」

 

 少女は沈痛な面持ちで語る。


「道理で大きな顔してるのに、なんか薄っぺらいと思ったんだ……本当は頼り甲斐なんてないただの凡人、いや落ちこぼれなんですよね」


「ちょっと待っ——」


「でも心配です……こんなに情けないお兄さんが未だに強がりを続けるなんて。本当は何にもできない腰抜けなんですよね? 旅なんて続けるの、辛くないですか? ずっとセンシさんやマドーシさんと一緒ってわけにもいかないですし……どうされるつもりですか?」


 少女は本当に不思議そうに小首をかしげる。その後、はっと目を開いて気まずそうに、


「正直、ずっと何にもしない人にずっとついて来られるのもちょっと……訓練にも参加しないし、人族のことも上の空って感じじゃないですか。そんな人が側にいると士気にも関わりますし……」


 ちらちらとこちらの顔を窺う少女。その表情と態度は的確にぼくの心にダメージを与えるように計算し尽くされているようだ。

 ……ようだ、じゃないよな。こんなこともできたのか……


「今のお兄さんと一緒だとちょっと雰囲気悪くなりますし……」


「おい、もう良いだろ」


「はい?」


「はい、じゃねえよ。わかってんだろもう。いつまで続けんだよ」


 ぼくの言葉を聞いた少女の表情が固まった。そして口端がゆっくりと釣り上がり、目は艶やかに細くなり、見たことのない酷薄な笑みを浮かべた。


「流石に長くは持たないか。寝ぼけ頭の貴様ならもっと騙せると思ったが」


「バレバレなんだよ」


 ユーシャちゃんの顔をした少女はまるでアクマのように仰々しい口調でぼやいた。


「何それ。ユーシャちゃんに取り付いたの?」


「いや。今貴様の目の前には誰もいない。貴様が見ているのは、貴様が見ていると思い込んでいる幻覚だ」


「悪魔ってそんなこともできんのか……」


 そういえばマドーシさんの怪人奇譚の中に、怪人が自分の側に誰かがいるように振る舞う話があった。もしかしてこれがそれか。アクマを見ると、小さくうなずいた。


「……いよいよぼくもいかれた人間の仲間入りか」


「元より、だ」


 怪人変人精神異常者、何て呼ばれてももう何も言い返せないな。


「ていうかお前、ぼくに嘘ついたら駄目なんじゃないのかよ。さっきのは明らかに嘘だろ。お前、契約者以外の心の中読めないんだろ」


「別に決まりごとがあってそうしてるわけじゃない。今回のはただの我輩の気まぐれで、貴様、で……」


 台詞の途中でアクマは表情をまたしても固め、ぼくを見つめる。視線は徐々に怒りと苛立ちを交えていった。


「……貴様」


「やっぱり嘘ついたことないんだな、お前」


 寝ぼけているのはお互い様らしい。それともただ単にこいつがちょっと抜けてるだけか。アクマは自分が今までぼくに嘘をついたことがないことを認めた。これで今までの韜晦じみた迂遠な言い回しにも意味があることがはっきりした。


 それだけじゃない。アクマから伝わってきた感情。途中でやめた言葉の先には、『遊び』という言葉が続くはずだったらしい。


「貴様で、遊ぶ? やっぱりなんか企んでんか」


「……うるさい」


「例の怪現象となんか関係あんのか?」


 そう尋ねた時には既にアクマの姿はなくなっていた。まるでいたと認識している方がおかしいかのように。ううん……本当に自分の正気を疑うぜ。もしかして本当は悪魔なんていなくて、ぼくは統合失調症になってしまっただけなんじゃ? ありえなくはない気がしてきた。


 証明のしようなんてない。再び体を床に落ち着ける。

 意識が落ちる少し前、ユーシャちゃんの姿をしたアクマの姿が頭を横切った。気遣わしげに無能を慮る少女の態度。故郷から遠く離れた土地で懐かしの味に出会ったような、そんな気分だった。



***



 一夜明けてぼくたちは再び中央への旅を続ける。ユーシャちゃんとの間にはなんだか曖昧な軋轢が生まれていて、朝挨拶してもびくついて会釈されるだけだった。こういう複雑というか、曖昧模糊とした態度を取られるのは嫌いだ……どうしていいのかわからなくなるから。


「あんたの方からちょっと何か言っといてくれない?」


 隣で嘘寝をしてるユーシャちゃんを横目にマドーシさんが言う。

 今までこういう場面には何度も行き会ってきた。要するに場を取り持つためにとりあえず謝っとけということだろう。悪いとは別に思ってないけど意固地になるようなことでも性格でもない。


 でも昨日のユーシャちゃんとの会話を思い出すと。アクマはユーシャちゃんは欺瞞を嫌い誠実さを求める性格だと言っていた。昨日の口論からもその推測はある程度合っていると思う。だからこそ、今この間違いなく自分が悪いとは思っていないぼくの謝罪は尚更この子を苛立たせるかもしれない。


 ……なんだか人のことを思いやれる良き人間みたいな思考回路だ。これだけ長い間子供の側にいることは無かったから知らなかったけど、子供の側にいるとこんなに穏やかな人間になるのか。いつもの偏屈なひねくれものの自分がなりを潜めている。


 もしかしたら。こういう微かな思慮が積み重なっていくうちに、本当に穏やかな人になれるのかもしれない。釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたように、ぼくは今までまるでわからなかった自分以外の人が見せる多大な親切の正体を見つけた気がした。


「…………えい」


「どっち?」


 曖昧に、頷いたように首を振ったように頭を揺らす。ぼくにもまだ望みがあるのだろうか。センシさんやマドーシさん、ユーシャちゃんのような大勢から認められる人生が。正道を歩む人生が。


 昼過ぎに宿場町にたどり着いてけどぼくの頭は波のように渦巻いていた。ユーシャちゃんが今のように陰ったままでいるのを見るのは嫌だ。それは間違いない。少し前のあの子に戻るには、やっぱりぼくのこう……誠意だとか、献身だとか、そういう善人っぽいあれこれが必要になるのかもしれない。

 

 もしかしたら、これは退廃の沼に身を委ねていた今までの自分から抜け出す機会なのかも。心から相手を思いやって、ふざけたりせず誠実に他人の思いに寄り添って、わかり合って、お互いにとって何か大切なものを得る、みたいな。間違いなく現実にあり得るはずなのになんだかフィクションっぽくて少し滑稽な、あれ。それは多分とても素晴らしいことなんだろう。


 だけどなんだかまだ、二の足を踏んでいる部分があった。その理由は明確にはわからない。


「…………なあんか本気になれないんだよな」


 モラトリアムな部分を考察するのは苦手だ。それよりも先に、この出来事のきっかけとなった悪魔の怪現象の謎を早く知りたい。知れば少しはこのうなりも静まるだろう。


「まだ勇者様に謝ってないのか。いい加減自分の非を認めろよ」


「……負けそうになってズルしたくせに」


「…………それを言われると何も言えん」


 向かいの席のセンシさんが少し中身の減ったジョッキを下ろして頭を下げる。この人もきっとあんまり悪い人じゃない。今みたいな軽口を繰り返していくうちに、少しは気を許せる時が来るかもしれない。


「…………今日あたりちょっと話します」


「おう、そうしとけ。今みたいなのが続いたら勇者様も訓練に身が入らんだろう」


 つい無責任な約束をしてしまった。一体ぼくはその時あの子になんと言うのだろう。そしてぼくは一体どういう人間になるんだろう。出たとこ勝負の答案を未来の自分に丸投げして気を紛らわすためにぼくもお茶をあおる。


 

 次にぼくの視界が捉えたのは空中から見る逆さまの店内だった。


「…………あ」


 店の奥の机と椅子にぶつかる。白んだ視界、声も出ない。とにかく動かないで、頭と体がほぐれるのを待った。


 数秒後、落ち着きを取り戻したぼくはゆっくりと立ち上がってさっきまでぼくが

座っていた五メートルほど先の席の方を見た。


「……ふうん。意外と頑丈ですね」


 どこに隠し持っていたのか銀の片手半剣を持った鬼気迫る表情のセンシさんの前に、背の高い中年の男が立っていた。この辺りではなかなか見ない礼服らしいちゃんとした服を着ている。今の季節では暑そうだ。


「……あの時はまだ小手調べだったからな。あれが俺の限界だと思うなよ」


「あなたの限界なんかに興味はないです。我々程度、どれだけ芸を凝らしても所詮は有限でしかない」


 男は帯刀しているセンシさんをまるで相手にせず、その目をぼくに向けた。憎々しげに爛々と光る眼光が見た目に似合わず動物的だった。




 

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