女は不安定
違いますけど、とぼくは答えた。何故なら違うからだ。
びっくり仰天の質問に、さっきまでのいらついた気持ちが急速冷凍された。ぼくはどうも、マドーシさんのことを全く知らずに低い評価を下してしまっていたのかもしれない。
「……本当?」
「や……本当です」
「……歯切れ悪くない?」
「いや……あまりに本当過ぎてびっくりしてるんです。なんかもっと答えづらいことかなあと思ってたから。逆にもしかしたらぼくは魔王なんじゃないかと今自分自身を疑ってる最中です」
「その調子なら、本当、なんだよね……」
マドーシさんは心の中の全ての不安を吐き出すような大きなため息をついた。
「もう一回言ってよ……違うって」
「だからちゃいますて。こんな柔和な魔王がどこの世界にいますか」
「だよね……そうだよね。こんな情けない奴が魔王な訳……」
肩と側頭部に重みが増した。
「……つかれた。寝るわ」
「ぼくだって眠いのに……」
「昼間おんぶしてやったでしょ。今度はわたしの……」
番、と言うのも億劫なくらい疲れてるらしい。
「……起きたら、話すから。あんたは、歌でもうたって、な……」
今度こそ落ちた。嵐のような女だ。結局自分の言いたいことだけ言って寝ちまった。
『でもそっちの方が良いのだろう? さっきまでの貴様の魔導師女に向ける感情から鑑みるに』
『かもね……お前が言ってたのって、このことだったのか』
マドーシさんがぼくに対して取っていたちぐはぐな態度。アクマはそれを苦悩と呼んでいた。
『ああ。全く、我輩も気づいた時には声を上げて笑いそうになった。人族一の魔法士が元勇者を魔王と勘違いし怯え、元勇者は自分の素性が知れたと怯えている。間抜けな喜劇のようではないか』
『なんでそう思ったんだろ……』
『心当たりはあるが、まあ魔導師女本人から聞くんだな。我輩の考えは推論に過ぎん』
等間隔の呼吸音が耳元に届く。すぐに寝る才能があるらしい。ぼくは何時間後に訪れるマドーシさんの目覚めのことを思い、小さく鼻歌を歌う。子供の頃寝る前によく聞いていた穏やかなメロディを。
***
数時間後、ぼくは街道の端の木陰に入りマドーシさんを下ろした。疲れたのだ……一応自分の外套を敷布団代わりに敷いてやったのだから文句を言われる筋合いはない。
眠い目を擦ってマドーシさんの覚醒を待つ。よほどいたずらしてやろうかと思ったけど寝てる時にするのはなんとなくやめた。
『なんとまあ、殊勝なことだな色男。今更純情ぶる気か』
「…………えい」
『随分と眠そうだな……』
今は何もかもどうでもいい。さっさと話を終わらせて寝たかった。いや、もう寝ちゃおうかな……別にこいつが寝てる間起きてるって約束してないし……
誘惑に負けそうなころ、向かいに横たえたマドーシさんの体が揺れた。
「…………どこここ」
「北の街に続く街道の端ですよ。野宿です」
「そ……」
むくりと上半身を上げて目をこする。瞬間、頭上に白い光が現れた。目が眩んでしまう。明順応を待ってしばしば目を開閉する。なんてことない草むらが場違いに明るく照らされていた。光は徐々に小さくなって、やがて篝火の代わりくらいの光量で二人を照らした。
「……よし。これで大丈夫」
マドーシさんはそれを気にせず何やらローブの下のお腹をまさぐっていた。何かしらの確認を終えたらのびをしてぼくに向き直る。
「ご苦労だったわ」
「どうも。もう大丈夫ですか?」
「うん。オドも回復したし、今ならあのツメエリが十人来ようが全員ぶっ殺してやるわ」
元気そうだ。ぼくも肩の荷が下りるというものだ。
「じゃ、聞かせてくださいよ。なんでぼくが魔王だなんて思ったのか」
「……そう思わない理由がないからよ」
マドーシさんは半目でぼくを睨む。
「ユーシャと初めて会った時、わたしは初めて自分よりオドの総量が多い人を見た。それも遥かに。正直ショックだった……魔法はわたしの生きる道だったから。でも、勇者っていうのはそういうもんなんだって納得はできた。なのに……なんてことない顔でセンシが連れてきた男が、その勇者の何千何万倍のオドを抱えてけろっとしてるのよ……? なんの冗談かと思ったわ」
「ああ……」
そうか、オドか。そういえば前にアクマから聞いたような……他人のオドの量を測る術があるって。アクマと契約して魔法関係のことは全く気にしてなかったけど、ぼくのオドって使われることがないだけで存在自体はしてるんだよな。
「勇者を超える存在なんて知らないけど、並び立つものは魔王しかいない……それでないなら、神か魔神かと思ったわ」
「神様って……」白々しい目でマドーシさんを見る。
「あんたにはこの気持ちは一生わからないでしょうね……この世全てのオドを凝縮したような鳴動する渦が人一人に収まってるのを見る恐怖は。どうして自分がまだ生きてるのか、それが不思議だと思うあの感じ」
身震いしてぼくとの邂逅を思い出すマドーシさん。正直その言葉にはぼくは懐疑的だ。
『魔導師女の言うことは何も言い過ぎではない。貴様の馬鹿げた出力は呪いのおかげで抑えつけられていたから実感はないだろうがな』
『へえ。呪われてなかったらどうなってたんかな』
『……人が、たくさん、死んでいたろうな』
アクマの言葉はシンプルであるが故に含蓄があった。実感が込められているような言い方だ。
「当然、わたしはあんたを警戒した。センシにも話したけど、取り合ってもらえなかった。あいつが魔王ならどうして俺たちは無事なんだ、どうして勇者様はご無事なんだって。それは確かにそう……だけど疑いが晴れるわけでもない。わたしはあんたの存在を南の街の司祭に報告することにした。丁度行く予定もあったしね」
「魔王かもしれないぼくとユーシャちゃんをよく一緒の馬車に乗せましたね」
「あんたがもし魔王なら人族の領土に安全圏は無いと思ったし……あんたと出会った時からずっと首に輪をかけておいたわ。少しでも魔法を行使しようとしたら一秒足らずで殺すためにね。最善策を取っておいたわ」
「……そすか」
「街道で魔族を見つけた時は間違いなく黒だと思ったわ。でも魔族を見ても何の反応も見せないし……本当にわからなくなった」
「そ……ぼくを南の街に連れてったのはユーシャちゃんから遠ざけるためですか」
「当たり前。機会があれば殺そうと思ったけど……確実に殺せる自信もなかった。だけど南の街の魔族と結託されてしまえば挟み撃ちの格好になる。でも野放しにしたら何をするかわからない。いっそ心の中を覗いてしまいたかったけど、もし失敗すれば確実にしっぺ返しを食らう。わたしの人格を殺し尽くされてしまう。八方塞がりだった」
なるほど。他人事だから軽く思えるけど、大変な思いを抱えてたんだなあ。
「しかも、こっちがそんなに悩んでんのにあんたはいつまでもふざけた態度でからかってくるし……! 何回首刎ねてやろうと思ったか……!」
「しゃあないじゃないですか。こっちだって訳分からず連れまわされてイラついてたんすよ」
投げられた砂をかわす。こっちだって勇者だってバレたかはらはらしてたからおあいこだ。
「まあいいや……あんたが魔族の仲間でも魔王でもないのは、とりあえず認めといたげる。今更隠す意味なんてないだろうし」
「わかりませんよ? もしかしたらセンシさんマドーシさんユーシャちゃん、一人ずつ殺すつもりかもしれませんよ」
「あんたが魔法を使えたなら腕振るだけで三人とも死んでるわ……流石に命まで張って助けられたんだから、もう野暮なこと言わないわ」
マドーシさんは抱えた膝に顔を隠した。義理とか感じる人なんだ、とぼくは密かに驚いた。
「でも流石にあんたのオドの量は考えられない……勇者より多いのよ? 勇者が存在する時代にそれを超える逸材がのほほんと旅してるなんて」
「んん……」
さて、まあそうなるわな。
なんて言おうかなあ。正直に話すのはめんどくせえ。だからと言って嘘を言うのもまためんどくせえ。
「つっても自分のオドなんて知りませんしねえ。魔法も魔術も詳しくないし」
本当だけを使って嘘をつこう。
「それなのよね……あんた、南の街出身なんでしょ? 司祭のお膝元であんたが放置されてるなんて……」
「いやあ、何なんですかねえ」
マドーシさんはぼくをじいと見つめるもその目は疑念と言うよりはただ不思議に思ってるって感じの雰囲気だった。ぼくの言葉はあまり疑っていないらしい。命かけて人助けしてみるもんだな。
「それにその……鳴動する渦」
「鳴動する渦?」
「あんたのオド、ずっと渦巻いてる。初めて会った時から今までずっと。そんなの見たことない……」
「量が多いからちょっと他人と勝手が違うんすかねえ」
「そうなのかな……何か、ずっと蠢いて……見えない渦の一巻きが何かに……?」
穴が空くほどぼくを見つめるマドーシさん。正直恥ずかしい。
「ねえ、あんたの周りで何か変なことが起きたことない?」
「抽象的ですね。特にないですよ」
「ううん……」
首を捻っている。魔導師というくらいだ、魔法とか魔術とかの不思議に特段興味があるのだろう。
周りに変なことか。生まれてからこの方、特にないな。あるいはあまりに順調に行きすぎていたこと自体が変なことなんだけど。勇者っていうのはそういうものだろう。
あえて言えば……あえて言えば、最近はそれまでの人生の揺り戻しを食らうようにすってんころりんって感じだ。今まで平和だったぼくの環境が急に不安定になって大変だ。まあそれはぼくが勇者をやめて根無し草になったからなんだろうけど。
……なんだろうけど。しかし、それにしても事件が起こりすぎているような。勇者とか魔族とか、ぼくに関係ありかつ不都合な事件ばっかり起きている。自業自得と、魔族側の事情もあるのだろうけど。
何となく自分が、不幸の渦に囚われていっているような……
マドーシさんの言う『鳴動する渦』。そのワードはぼくを取り巻く最近の事件の連続を連想させた。
「わたしの考えでは、あんたほどのオドが特別な動きを見せていると言うことは周囲に何か影響を及ぼしている可能性があると思う。渦の動きもそう示してるし」
「何か……って言われても。ぼく魔法とか使ってないですよ」
「存在してるだけで尋常ならざる現象を起こしているのかも……前例がないから明確には言えないけど」
「ふうん……」
「何にせよ気になるわ。中央まで行ったら他の魔法士と相談してあんたの指導を考えないと」
「え?」
寝耳に水だった。言葉通り。
「ぼくも中央まで行くんすか? てか指導?」
「あんたほどの逸材を逃すわけないでしょ。ユーシャと一緒に教えてあげるわ。あんたなら間違いなく世界最高の魔法士になれる……癪だけどね」
「嫌ですよ。旅を続けたいんですよぼくは」
「いつまでもそんなこと続けられるわけないでしょ? 手に職つけて親を安心させてやりなさいな」
う……正論で諭されてしまった。前世を思い出す。
「ま、旅をするのもいいけどさ。魔法を使えるようになったらもっと旅が楽になるわよ? ちょっとの間勉強してそれから楽に暮らせばいいじゃない」
「いや……ぼくが言いたいのはそうじゃなくて」
「いいからいいから。とりあえずあんた、今日は眠りなさい。文句はまた明日聞いたげるから」
そう言ってマドーシさんは敷布団にしていたぼくの外套を突っ返し、毛布のようにぼくをくるんだ。
「見張りはわたしがしとくわ。あんまり長い間は無理だけど、体休めときなさい」
そう言ってぼくの隣に腰掛けた。
抗議するべきなんだろうけどいかんせん本当に眠かった。明日できることは明日の自分に任せればいいや……ずっと昔から変わらないぼくの先送り気質が眠りに誘う。悩んでるうちにまぶたは重くなって、ぼくは意識を落とした。直前、聞き馴染みのあるメロディが聞こえた気がした。
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