6 古城
スクバン2次予選を通過した〈West Camp〉は、9月の3次予選に向けて準備を始めていた。
2次予選は制限時間の5分ぎりぎりながら何とか歌い切り、どうにか乗り切った末、総合点が3位と同率であった。
同率の場合内容での比較となり、まず技術点、次に芸術点、さらに減点の点数で優劣を決め、それでも決まらない場合にはくじ引き…という規則がある。
最終的にはたまたま技術点がわずかに上回って、薄氷を履むが如き2位通過を果たしている。
それだけに。
次の3次予選では同じ失敗は許されない──そのような中で、2学期はもうすぐ始まる。
その前に、夏の終わりを告げる地蔵盆を目安に、里帰りをしたりする──関西ならではの時間の使い方のようなものであるが、
「桜花ちゃんは帰省せんの?」
宥は桜花に問うた。
「今年はスクバンもあるから…」
桜花の実家は、和歌山の市内でも和歌の浦に近い
京都から和歌山は意外に遠い。
京都駅から神戸線で梅田に出、環状線を天王寺まで回って、さらに阪和線に乗り換えて、和歌山駅からバスを使って帰ると、およそ半日かかる。
帰省で桜花が使う長距離バスでも、約2時間かかる。
そこで普段、桜花は平野神社のそばにある寮に住んでおり、歩いて通学していた。
鳳翔女学院のような関西の私立ではよくある話なのであるが、軽音楽部に関していえば、転入組のカンナを除けば桜花だけが府外からの入学で、比較的数は少ないほうであったといえる。
余談ながら。
桜花が鳳翔女学院を選んだのは、私学の割に学費が安かったことと、制服が可愛かったから──との由であった。
さて。
地蔵盆が近づいても帰省しない桜花を不思議がった宥は、ユズ先生に訊ねてみた。
「まぁそれぞれ事情もあるのだから」
それにそんなことをいうのであれば、ユズ先生はさらに飛行機で帰省することになるのであるから、面倒くさがり屋のユズ先生からすれば要らぬ話である。
それでも。
せめて里帰りだけはさせようと思ったのか、宥はメンバーとわずかながら出し合った金で交通費を工面し、
「これで一泊でいいから、和歌山に帰ってあげやって」
封筒を桜花に渡した。
桜花が開けてみると中には一万円札が入っており、学生の身分で1万円は少額ではない。
「そんな…別にいいって」
「メンバー内で唯一の寮ぐらしなんやし、気にせんでえぇって」
貴子は述べた。
「うちなんか実家やからね」
桜花に比べたら恵まれてるわ──江梨加は促した。
「ありがとう…みんな」
桜花は申し訳なさそうな顔をしながら、結局はおとなしく受け取って帰省することとなった。
雨の上がった和歌山城は美しかった。
城の見える町は空が引き締まって見える──という文章の一節があるが、決して高くないものの、緑の中に気高く建つ天守閣と多聞櫓を見た瞬間、桜花は久しぶりに帰ってきた心持ちになって、少しだけホッとした顔つきになった。
実家に帰る連絡だけは入れてあったが、迎えは期待していない。
──いつもお姉ちゃんのほうが大事やったから。
桜花には胸中いつもそんな思いが去来していたらしく、そのため本当は平凡な姉妹のような訳にゆかず、成績もよく才能のある姉の桃花は常に日の当たるところにいて、桜花は日陰の湿ったところを歩いているように──被害妄想といえばそれまでかも知れないが、そんなようなところはあったらしかった。
バスを降り、見慣れた小路を折れ、古びた構えの生家にたどり着いた。
「…ただいま」
やや間があって、祖母が迎えに出た。
両親とも仕事に出払っているので、祖母しかいないのも宜なるかなである。
「桜花ちゃん、学校はどう?」
「毎日たのしいよ、部活の仲間もいい子ばっかりやし」
桜花は明るく振る舞うことで、みずからにまとわりついた闇を振り払おうとしていたのかも知れない。
桜花は休みの帰省している間、ドラムの練習はスティックでのイメージトレーニングにとどめて、あとはひたすらランニングやストレッチなどの基礎練習に終始した。
家から少し走ると東照宮があって、道沿いにさらに走ると和歌の浦の浜辺が見えてくる。
潮風を浴びながら走るとき、桜花はそれまでの悩みなど小さなことと消し去って、群青の海を眺めたり、砂浜で空を仰ぎながら、自らをリセットしてから再び駆け出す。
目をやると、はるかに見える雑賀崎の稜線の上を、悠揚迫らず鳥が羽ばたいていく。
住んでいたときには余り良いことのなかった地元であったが、離れてみて分かることもあったようで、砂浜で寝転がっているうち、いつしか少しだけ微睡んでいたようであった。
「…さぁ、戻るか」
自らを奮い立たせるよう、やおら立ち上がると、桜花は家を目指して再び走り始めた。
京都へ桜花が戻ると、
「おかえり」
出迎えてくれたのは、カンナであった。
「みんな待ってるよ」
帰りのバスの中で話題になったのは、カンナが2輪の免許を取った話であった。
「バスだと混むし渋滞するし」
それで、2学期からはスクーター通学にするつもりで取得したらしかった。
「凄いね、バイタリティあるなぁ」
桜花はメンバーがそれぞれ、前を向いていることに刺激を受けたようで、
「私も何かチャレンジしてみようかな」
「スクバン終わったら、免許取ってみたら?」
カンナが何気なく言った言葉に、桜花はカンナが少し大人になったようにも映った。
この日は3次予選の組み合わせが決まる日でもあり、宥は少しソワソワしながら、結果のメールが来るのを待っている。
「最後の1枠がどこになるかよね」
貴子は気になっていた。
「まさか最後のグループに今出川がいるとは思わんかったしね」
今出川、というのは合同合宿をした今出川女子大学付属高校の〈八重桜〉のことで、あの新島実穂子が率いている。
「一応、1位通過ってだけは連絡来たんやけど、それからくじ引きに行ってまだメッセージ来てへんし」
「さすがに同じグループってのだけはキッツいで」
江梨加は合宿で今出川の実力がどれほどのものかを分かっており、仮に当たるとなると強敵になることだけは理解できただけに、対戦だけは避けたいところがあった。
メールが来た。
宥がメールを開くと、
「3次予選、グループC」
宥は目を疑って見直したが、やはり同じままである。
「嘘やん…うちら、今出川と当たるで」
「…えぇーっ!!」
メンバーは思わず一斉に声を上げた。
ちなみに3次予選は、
宇治北陵高校〈ユーフォニアム〉
舞鶴学園高校〈ネイビーズ〉
鳳翔女学院高等部〈West Camp〉
今出川女子大学付属高校〈八重桜〉
という組み合わせで、ここでは上位1校のみが最終予選に勝ち上がることができる。
「つまり…1位にならなきゃ意味がなくなるってことやんね」
貴子は思わず、棋士のような前のめりの姿になって、スマートフォンのメールを眺めた。
「でも、戦うしかない」
カンナがポツリと言った。
「…これは、恩返しをするしかない」
後輩が先輩に試合で勝つことを「恩返し」と呼ぶ。
「恩返し…かぁ」
「やるっきゃないよね」
江梨加は肚が据わったようで、そうなると開き直ったのか、
「ま、やるしかないわな」
みな、途端にキリリとした顔になると、音合わせの支度を始めたのであった。
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