出会い②
ミサリィと会うことになったそもそものキッカケは、一週間前に彼女から送られてきた一件のDMだった。
[いつもお世話になっております。近況ノートにあった『引退のお知らせ』について、箱庭創先生と直接お会いして事情をお伺いしたいです。お返事をお待ちしております。]
ミサリィとは何度もリプライやDMの交換をしてきた間柄だったが、それらのメッセージはいつもカラフルな絵文字で彩られていた。
だから、馬鹿みたいに丁寧で事務的な文体の文字列には、何か差し迫るような想いを感じた。それを無視することも一瞬頭によぎったが、僕にはどうしてもその選択が出来なかった。
その存在に救われていたのは、むしろ僕の方だったからだ。
ミサリィは〈読み専〉の〈スコッパー〉として僕の作品を見つけ、自身のTwisterやレビューブログで紹介してくれた恩人だ。
とにかく無名作家のWEB小説は読まれない。彼女のような固定読者が何人も付いてくれるとランキング上位に表示されて、またさらに固定読者が増えていく。
そうした好循環によって、無名のWEB小説家は掲載サイトの上位ランカーになっていくはずなのだが、あいにく僕についた固定読者はミサリィ一人だけだった。最初にして唯一の読者が彼女だ。
そして今まで、たくさんの賞賛コメントをくれながら、一度だって否定的なコメントを送ってきたことのないミサリィが、居酒屋の対面席で僕のことを睨みつけていた。
その皺の寄せられた眉間からは、目の前の人間を何が何でも説得してみせるという強烈な覚悟を感じた。
「私、先生の作品が大好きです。このままあの名作の数々が未完で終わってしまうのだと思うと、なんてもったいないことだろうと思って」
「うーんと、素直に嬉しいよ。今まで書いてて辛いことがあっても、ミサリィさんの応援コメントがあったから書き続けられたんだと思う。こちらこそありがとう」
「これからも応援し続けます!」
「いや、でも……もう決めたことだから」
「引退の理由は何ですか?」
「なんて言うか、大した理由は無いんだけど……僕も今年で三十になるしさ。ここらへんが諦め時かなって。コンペだって何度も挑戦してきたけど、最終選考まで残ったことないし」
「三十代でデビューする作家さんもたくさんいるじゃないですか」
「でも僕は、商業作家としてやっていくのは無理だと思う。市場の売れ線を考えて、無難な作品を大量生産するような書き方は、僕には出来ない」
「箱庭先生が書くような、重厚な世界観のハイファンタジーが今の主流ジャンルではないというのは、たしかにその通りかもしれません。でも、たとえ少数でもハイファンタジーの読者はいますし、先生の作品ほどの完成度があれば、いずれは書籍化や映像化も視野に入ってくると思います」
「それ、本気で言ってんの?」という言葉が喉の先まで出かかったが、彼女の口調もロジックも、その鋭利な視線も本気そのものだった。
結構、頑固なところがあるんだな。話題を変えるか。
「ミサリィさんは、初期の作品から読んでくれてたよね」
「はい。第一作の『最終幻影戦争』から読んでます」
「あれかぁ、だいぶ恥ずかしいな」
当然、このような一人よがりな作品はウケが悪く、いくつか送った出版社のコンペで全落ちした上、無料の電子書籍化をしてみても未だにダウンロード数は二桁のままだった。
「あの作品も傑作だと思いますが、敷居は高いですよね。プロットも三パートに分かれていて複雑ですし、精神分析の素養や、引用しているJRPGの知識も必要ですし」
「そこまで読み込んでくれたのはミサリィさんだけだよ。的確なコメントをくれたのは嬉しかったなぁ」
感動的なやりとりの最中に「何食べる?」と聞くのも野暮だったから、テーブルの上に設置されていたタブレット端末で適当に注文しておくことにした。好き嫌いは知らないが、つまみを頼んでおけば適当に食べるだろう。
「私もあの作品の本当の素晴らしさを知ったのは、大学生になってからでした。その次に好きなのが、二作目の『エンドレス・サモン』です。残念ながら現在は休載されてますけど」
「あぁ、前にツイートしてくれてたね」
「『エンドレス・サモン』は、完成さえすれば、WEB小説コンテストでも大賞を穫れる作品だと思います。だから一緒に――」
「んー、でもあの作品も結局PV稼げなかったし、お気に入り数だって百もいってないんじゃないかなぁ」
「先生はSNSを使わなすぎです。もっとエピソードの更新告知や読者さんへのコメント返しをしていかないと!」
「だからそういうの面倒なんだよね……良い作品を書いてたら、そんな小細工しないでも読んでくれるでしょ?」
「WEB小説なんて砂場の砂粒くらいあるんですよ? 見える位置まで掘り起こして目立たせてあげないと、読者なんてつきません」
「もう、そんな言うんだったら、君が書いたら?」
向こう側にある梅酒のソーダ割りは、一口呑んだあとから全く減っていなかった。
「書けません。先生の作品は、先生にしか書けませんよ……」
注文していた枝豆と軟骨の唐揚げが運ばれてきたが、食べる気が全く起きなかった。
「ありがとう。そこまで言ってもらえて本当に嬉しいよ。たとえお世辞だとしてもね」
ミサリィから送られた賞賛や期待の言葉は、砂漠のように乾いていた僕の心に染み渡っていった。商業デビューは出来なかったけど、これまで小説を書き続けてきて本当に良かったと、心から思えた瞬間だった。
「お世辞なんかじゃ――」
「でも、引退宣言は撤回しない。もう小説を書く気が起きないんだ。再就職もしないといけないしさ……」
「もちろん、先生にタダで書いていただこうとは思っておりません。作品制作にあたり、事前報酬をご用意して参りました」
ミサリィがハンドバッグから銀行の通帳らしきものを取り出して、テーブルの上に置いた。嫌な予感がする。そして嫌な予感というものは、往々にして当たるものだ。
「私のために、小説を書いていただけませんか?」
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