最終話 魔刃

   ここはどこだ?

   暗くて苦しい、体が動かない

   気を抜けば押し潰されそうだ

   何かが身体に染み込んでくる……







 雲一つない真っ青な空に、くっきりと教会の白い壁が浮かぶ。空も草木も建物も人も、全ての彩度が一番高くなる季節。

 あの日から十年、今年も夏が来たなとダウは空を見上げた。







 サムライを迷宮に封じたダウ、サラ、カイルの三人の前に現れたのは、その日の朝サラが鍵を借りた荷物番とその仲間の戦士だった。仲間に無断で荷物番が鍵を貸したことがばれ、仲間と一緒にそれを取り返しに来たところ、ちょうどサラがサムライを封印する瞬間だったという。

 サラの口から鍵を借りた本当の理由を説明し、鍵は謝罪とともに荷物番に返却された。戦士はそれ以上とやかく言うこともなく、サムライが壁に埋められたことを知ると、大喜びでサラとダウを褒め称えた。


「よくやってくれたなあ! あのサムライのせいで仲間はみんな故郷に帰っちまうし、俺も真面目に引退考えてたとこなんだ。これでまた仲間を呼び戻して迷宮に行ける! ありがとうな!」


 彼らはサラとダウを地上まで護衛し、ついでにカイルも戦士が肩に担いで連れ帰ってくれた。そのまま教会に戻り、騎士隊の隊長にサムライのことを報告したあと、三人が教会の客室でぶっ倒れたように丸一日眠って(カイルはその前から寝ていたが)いる間に、戦士と荷物番が酒場でサムライの封印された時の話を声高に話しまくったおかげで、次の日にはサラとダウはちょっとした有名人になっていた。酒場に行くたびに詳しく話を聞かせろと囲まれるようになり、結局サラもダウもまだしばらく教会で過ごすことになった。


「貴方がたが無事戻ってきてくれて何よりです。我々騎士隊の仇を討ってくれたのですから、遠慮なくここに居てくださって構いませんよ」


 隊長や教会の人たちは、二人の滞在を喜んでくれた。ただし、隊長からは後で「今度からは、無茶をしないで先輩の冒険者や我々も頼ってくださいね」とチクリとやられたが。



 僧侶のルーシアは、事件の解決を見届けたかのように、二人が帰ってきてすぐ、最後まで目を覚ますことなく静かに息を引き取った。亡骸はタロスの墓の横にひっそりと埋葬され、誰かが彼女の枕元に置いた小さな花が、その墓前に供えられた。

 カイルは長期間サムライを探して迷宮を彷徨っていたことが災いし、迷宮病を発症していたため、山間の静かな村で療養することが決まった。それでも普通の生活に戻れるかは、五分五分だという。眩しい日光を避けて、彼は夜半に教会を出発した。虚ろな目で教会を出て行くカイルは、最後までサラやダウが近くにいたことすら気づかなかった。

 迷宮に埋めた死者がアンデッドに変わるように、迷宮に長い間篭り続けた生者は、迷宮の瘴気に蝕まれ、迷宮病と呼ばれる病にかかる。外の光が眩しいと感じるところから始まり、さらに進行するとさまざまな幻覚や思考力の低下などを招き、最後には人の姿をした魔物『魔人』となる。そうなるともはや人の住む地上に帰ることはかなわない。迷宮に囚われたまま、永い時を魔人として過ごすことになるのだ。







 あれから十年、ファランドールは再びかつての活気を取り戻し、冒険者が次々と迷宮に潜るようになった。五年前に迷宮の主が討伐されて、迷宮が休眠期に入って以降は少し静かになったものの、サムライが暴れていた十年前よりは明らかに冒険者の数は多い。

 そして、戦乱の落ち着いたツクモの島から続々と渡ってきた新たな”サムライ”たち。新たな地での腕試しに燃えた東の国の武芸者たちは、当初それはもう可哀想なくらいにファランドールの人間から警戒されることとなった。十年前のサムライ──白の騎士隊ばかりを狙った為、今では『白斬りサムライ』と呼ばれるようになった──の話を行く先々で聞かされ、会う人会う人から口酸っぱく「迷宮に死体を埋めるな」と言われ続けた。

 そしてウンザリしたツクモの人間と、ファランドール側の擦り合わせにより、ようやく白斬りサムライだけが異常な存在で、他のツクモの人間とは普通にコミュニケーションが取れることがわかった。

 そして今、サムライ、それにシノビといった東方の戦士たちは、ファランドールの冒険者と肩を並べて迷宮に入る。ファランドール生まれであっても、ツクモの戦士から技を習い、サムライやシノビを名乗る者までいる。

 

「時代は変わったよなー……」


 腰に刀をさした白の騎士隊が教会から迷宮に向かうのを見送りながら、ダウはボソリと呟いた。ルーシアの墓を見ながら、ふとあのサムライのことを思い返す。あいつは何故迷宮に死者を埋めたのだろう。迷宮のルールを知らないまま、自分達が教会でこうするのと同じように、死者を弔っていたのだろうか。そうだとしても、まだ生きている者まで殺して埋めたり、騎士隊だけを執拗に狙うようになった理由は皆目わからなかった。ツクモ出身の冒険者に聞いてみてもわからなかったのだから、もうお手上げだ。


「何オッサンみたいなこと言ってんのよ」


 いつの間にか、サラがすぐそばまで来ていた。サラは手に持っていた白い花をタロスとルーシアの墓に供えると、目を伏せてしばらくの間死者への祈りを捧げた。


「店はどうしたんだ?」

「今は迷宮が休眠期で暇だからね、ちょっと抜けてきた」


 サラは約束通り、冒険者を引退して術具店で働き始めた。巻物代の借金はすでに返済し終えているはずだが、仕事が性に合うのかまだ同じ店で働き続けている。ダウも冒険者を辞めて教会で働いているが、たまに術具店に買い出しに行くと、サラが僅かばかりだが値引きしてくれる。


「それはそうと、聞いた? 丘の下の漁師小屋で見つかった白骨死体の話」

「聞いたよ。検分が終わればこっちに運ばれてくるんじゃないかな」


 昨日、何年も使われていなかった浜辺の漁師小屋を片付けようと何人かの兵士が扉を開けたところ、中に白骨化した死体が一つ転がっていたという。身につけていたものはツクモのものと見られ、死体の様子から、刃物を腹に刺し、斬り開いて死んだのではないかといわれている。ツクモでいう、『セップク』に近いと。


「死んだのがだいたい八年から十年くらい前、ってことらしいけど、あのサムライと関係あるのかしら」

「今となってはなんともなあ……あのとき僕らが持ち帰ったの刀が紛失したのもそいつの仕業かもよ」


 迷宮から持ち帰られた白斬りサムライの刀は、数日の間教会に保管された後、この街の領主の館に献上された。年に一度、迷宮にまつわる品が公開される日があり、その刀もそこに並べられるはずだった。しかし領主の館に保管されて数日後、刀は館の保管庫から影も形もなくなってしまった。一時期衛兵総出で捜索がなされたが、ついに手がかりもないまま、紛失ということになった。


「まあ、ツクモの人たちに聞けば何かわかるんじゃ……って、あら?」


 二人の足元で地面が僅かに揺れる。ぐら、ぐら、ぐらと三度ほど揺れると、そのまま地震はおさまった。

 代わりに街が一気に騒がしくなる。この街で起こる地震には、大きな意味があった。しばらくして、街のあちこちで大声が上がる。


「迷宮が新しくなったぞ‼︎ 最深部に新たな主がついた!」

「見たこともない魔物がいるぞ! 急げ冒険者!」


 ファランドール地下迷宮は、不定期に新しい主を最深部に迎える。その時迷宮はほぼ全てリセットされ、地形も階数もまったく新しい形になるのだ。さっきの地震は迷宮の更新を知らせるものだった。迷宮とそこに潜る冒険者に支えられているファランドールにとって、迷宮の活動期はそのまま街の活動期にもなる。


「これは……お店もいそがしくなるわね」

「ああ、戻った方がいい。多分騎士隊も今から一斉に出動だ」

「わかった、また暇ができたら来るわね。何ヶ月先になるかわからないけど!」


 中庭を駆け足で出口に向かうサラのすぐそばで、騎士隊が出動態勢を整えていく。迷宮が更新されたということは、それまで中にいた冒険者も全く新しい場所に移動させられるということでもある。騎士隊はそんな冒険者たちの救助の為に、更新が起こるとすぐ迷宮へと突入していく。

 

(ひょっとして、あのサムライの死体も出てくるかもな….)


 騒々しい中庭に背を向け、墓の手入れを再開しながらダウは思う。迷宮の配置が全てリセットされるとき、それまで壁の外だった場所が部屋や通路になることがある。そこに過去に不幸にも壁に埋まった冒険者がいた場合、死体がその場所に吐き出される。

 まあ大体は土や石の重みで壁に埋まった瞬間ほとんどぺしゃんこに潰れてしまっているのだが。

 







   やっと、そとにでられた

   ここは どこだ?

   わたしは だれだ?


   わたしは なにかを やらなければいけなかったきがする……







「おい、誰かいるぞ」


 迷宮の地下八階で、騎士隊の一人が声をあげた。彼らの前方で、壁際にうずくまる人影が見えた。

    

「遭難者か? この階層に来たのは我々が最初かと思ったがな……おい、大丈夫か?」


 人影は虚ろな目で微動だにしない。服も長い黒髪も、土に塗れてドロドロだ。近くに寄って見れば、それが東の様式の服と防具だとわかる。


「ツクモの人か? おい、しっかりしろ。我々がわかるか?」


 隊のリーダーが、かがみ込んで遭難者の肩を軽く揺さぶる。虚ろな目がゆっくりとこちらを向き、後ろのランタンの灯りに眩しそうに目を細めた。


   まぶしい、まぶしい……


「ランタンを下げてくれ、光に拒否反応が出てる。迷宮病を発症してるな。急いで地上に連れて行こう……」


 ランタンの光が弱まり、遭難者の目に周りの光景がゆっくりと入ってきた。複数の人影、白いサーコート……


   しろ、しろ……そうだ……


 リーダーの首が地面に転がった。

 何が起こったのか呑み込めない他の隊員の前で、その人影はゆっくりとたちあがった。


   しろ、しろをきらねばならぬ。


 獣が牙を剥くようにニヤリと笑うと、人影はゆっくりとリーダーの血に染まった手刀を構えた。





 迷宮地下八階に向かった騎士隊が消息を断った。捜索に入った別の騎士隊が見たものは、首を斬り落とされた白いサーコートの死体と、その前に陣取り、血塗れの右手を構える『サムライ』の姿だった。


 後に『魔刃シロキリ』と呼ばれ恐れられる魔人が、新しい迷宮と共に生まれたのだ。

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悪夢のサムライ(旧) しめさばさん @Shime_SaBa

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