第6話 両者進軍

地下一階の北東の鍵は、翌日にサラが本当にどうにかした。冒険者の中には、パーティの財産を預かりつつ酒場で待機する、いわゆる荷物番のような役回りの者がいて、サラはその一人──酒に酔って潰れかけの──に縋りついて渾身の嘘泣きを披露したのだ。

 いわく、兄が北東の部屋から先に行くと言って地下に降りたままもう三日帰って来ない。おそらく扉の先で死んだか身動きがとれなくなっているのだと思うが、白の騎士隊も今は巡回の数を減らしているし、何より遺体があのサムライに見つかって埋められたりしたら終わりだ、そうなる前に兄を探しに行きたい。あなたの持っている北東の部屋の鍵を貸して欲しい、と。

 普通に考えればパーティから預かっているものを勝手に渡したりはしないのだが、この時の荷物番は、サラの勢いに押されたのか、脳みそが夜通し飲んだ酒に浸っていて頭が回らなかったせいか、あっさりと鍵を渡してくれた。涙を拭き、酒場から自慢げな顔で出てくるサラを見て、ダウは思わず女神サリヤナに許しを乞うのだった。



 二人は一度別れた後、昼過ぎに迷宮の入り口で合流した。二人ともいつも通り簡素なローブにダウは木の棒(クォータースタッフ)、サラは巻物がパンパンに詰まった鞄を肩から提げている。


「どうしたんだよその巻物」

「術具屋で頭下げて書いてもらったのよ。これが隠密の巻物、これは探知の巻物、こっちが火球の巻物、あと回復の巻物が少し。術師二人で北東の部屋の前まで行かなきゃいけないんだから、このくらい準備してこないと」


 呪文は魔術師が空気中に漂う魔力を掻き集め、操作して効果を発現させる。もちろんそれ相応の集中力や精神力が要求されるため、何回も何回も連発できるものではない。

 しかし、事前にその呪文に必要な魔力と操作式を羊皮紙に詰め込んだ巻物の場合、使用者は巻物を広げるだけで何の苦労もなく呪文の効果を発揮できる。使用者が術師である必要もなく、戦士や斥候でも同じ効果を出すことができる。

 ただし、術具店や冒険者用の雑貨店に並ぶのは、下級の呪文の巻物だけである。中位以上の巻物は、相応の額を払って術具店の書士に書いてもらう必要がある。


「もちろんサムライにぶちかます呪文も書いてもらってるわ。一枚だけだから失敗しないようにしないとね」


 そういうとサラは、腰のベルトに挟んだ巻物を指さした。鞄の中の巻物とは、見た目にも紙の質が良さそうだ。これが彼女の言う対サムライ用の切り札なのだろうか。


「幾らしたんだよ、巻物代。僕らみたいな駆け出しじゃ、鞄の方の巻物だけでも揃えるのに一仕事だぞ」

「術具店で巻物代ぶんタダ働きする条件で書いてもらった。もし私が死んでも回収して生き返らせて働かせるって言ってたわ」


 そのまますたすたと迷宮の入り口に向かうサラに、ダウが後ろから追いかけながら続ける。


「なんでそこまでする? ディグとタロスの仇だからか?」

「それもあるけど、もっと別の理由」


 入り口でいつもの手続きを済ませる。松明を灯して地下への階段を降りながらサラが答えた。


「あなた達のパーティを抜けてから、私が一回別のパーティに入ってたのは知ってるでしょ? 捜索隊に参加するのにそこも抜けてきたわけだけど……こないだ酒場で顔を合わせたときに、そこのリーダーからめちゃくちゃ嫌な顔されてね」

「何故?」

「目が合うなりそんな態度だったから、わざわざそばまで行ってどういうつもりか問いただしてやったのよ。そしたら、お前の周りで二人も死んでるって聞いたから、お前の顔をみたら不幸が感染る、とか言われたのよ、馬鹿馬鹿しいと思わない⁉︎」


 冒険者の中には、迷信めいた噂をやたら気にするタイプのものがたまにいる。サラの入ったパーティのリーダーもおそらくそのタイプだったのだろう。


「自分でやったことでそう言われるんなら諦められるけど、サムライのせいでこうなってるのに不幸が感染るだのなんだの失礼にもほどがあるわよ!」

「それでわざわざ自分でサムライに一発かましに行きたいわけね……僕なら騎士隊に作戦伝えて丸投げしちゃうなあ」

「それが普通よね。まあ普通じゃない私についてきてるあなたもだいぶ正気じゃないと思うけど」


 たしかに駆け出しがたった二人で迷宮に入る時点でどうかしている。しかも中堅クラスのパーティを片手で壊滅させるサムライに挑みにいくなど。


「行くのが君じゃなけりゃ街に残ったんだけどね。もう迷宮に行ったきり仲間が帰ってこないのは嫌なんだよ」


 無口なドワーフは、捜索隊として迷宮に降り、変わり果てた姿で帰ってきた。あの時はサラは生き残れたが、今回も無事で帰ってくる保証はないのだ。


「それに、サムライが転移罠を踏むまでじっと隠れて待つより、囮を追いかけてさっさと罠を踏ませた方がいいんじゃないか。隠密の巻物だって限りがあるんだし」

「……確かにそうだけど、囮、やってくれるの?」

「君よりは足は速いさ。訓練校の評価上の話だけど」


 地下一階に到着。いつもより迷宮の闇が深い気がした。


「北東の扉までは、隠密の巻物で気配を消しながら進むわよ」

「ここからが運だな。扉に着くまでに魔物に襲われないように……」


 大きく深呼吸をしてから、サラが一枚目の隠密の巻物を広げた。







 少し時は遡って、サラが酒場で迫真の演技を披露する少し前。浜辺にある小さな漁師小屋の外で、ヒサメとイルマが魚を焼いていた。


「まだか?」

「反対の面がまだです。もうしばしお待ちを」


 ややあって、串に刺された魚が焼き上がる。それを頭からバリバリやりながら、ヒサメが口を開いた。


「イルマ、お前今日街の方に様子を見に行ってくれるか」

「私一人でですか」

「うむ、お前なら街の人間に見つかることもあるまいて。もしあの扉の鍵に関して何かわかったら、私に教えるのだ。いいな?」


 イルマは「承知」と一つ頷くと


「では、ヒサメ殿はこのままここで……

「お前が帰るまでじっとしておれと言うのか? 私は迷宮に行くぞ。だから一度中に私を送ってから街に行くのだ。良いなイルマ」

「……承知」


 ガックリと肩を落とす。ともかく大人しくするということができない主人であった。

 そもそも、人並みに大人しくできるものなら、言葉も通じぬ国に単身乗り込んだりはしない。



 イルマの”忍術”で二人で迷宮に入り、いつもの地下一階の外れの通路で準備を整える。


「帰りはここでまた合流だ。こんな外れまでそうそう人も来るまい。お前が先に来たらここで待っていてくれ」

「承知。では私はこのまま地上に戻ります。お気をつけて」


 言うなりイルマはヒサメに向かってクナイを投げた。投げ渡すとかいう感じではない、明らかに相手を殺傷せんがための投げ方。

 しかし、ヒサメの顔に突き刺さるはずのクナイは、ガチンと鈍い音を立てて地面に落ちた。ヒサメが何かした様子はなく、イルマの方を向いて立っているだけだ。


「お見事です。我らツクモの戦士の『鉄塊術』、きちんと使っておいででしたな。しかもこの硬度。生半可な刃なら逆に叩き折れるでしょう」


 鉄塊術とは、ツクモの里の戦士なら殆どのものが扱える防御術で、体内の気の流れを操り、皮膚の強度を上げる術である。特に軽装で動き回るシノビには必須とも言える術で、見た目以上の防御力を発揮することができる。とはいえ、普通は飛んできた刃物を正面から弾き返せるだけの硬度はなく、どうしても傷は負ってしまう。それを文字通り鉄の塊のような硬度にまで引き上げられるのは、ヒサメの才能ゆえであった。

 ヒサメは地面に落ちたクナイを拾い上げると、笑いながらイルマに放り投げて返した。


「この私を試したか、イルマ。突き刺さったらどうしてくれる」

「その時は、修行不足と判断して故郷に連れ帰るつもりでした。しかし、その心配もないようですな。それだけの硬さの鉄塊術なら、たとえこの迷宮が崩れても、押し潰されることはないでしょう」

「それでも掘り出してもらわねばいずれは飢えて死ぬがな!」


 笑いながら、ヒサメは迷宮の奥に歩き始めた。その姿が見えなくなるまで見送ってから、イルマも地上に戻る。



 道中、小鬼(ゴブリン)を五体、犬人(コボルト)を六体切り捨てて、ヒサメは迷宮の道を松明片手に我が物顔で闊歩する。

 迷宮にいる他の冒険者の数がめっきり減っていて、その分魔物が活発になってきている。それはいいのだが、もう小鬼や犬人は斬り飽きた。地下二階や三階に降りれば、鬼(オーガ)のようなもうちょっとマシな連中がいる。今日は鍵探しは一旦置いて、気晴らしに地下三階に行ってみようか。あの辺りはまだちゃんと歩き回っていなかったし、いい加減犬人相手では剣も鈍る。しかし、イルマに迷宮探索は一旦中止と宣言した手前、やはり先に白装束をどうにかしてしまうか……。

 下への階段に続く道の前で、どちらに行くか立ち止まって考える。いっそその辺の棒切れを拾ってきて、棒を倒して行き先を決めるか、などと迷っていたヒサメの視界の端に、白い何かが過ぎる。慌ててそちらを見ると、ずっと向こうの道の突き当たりに、松明で照らされた白い人影が見えた。


「白装束か?」


 息を潜め、ゆっくりとそちらに歩を進める。白い服を着た人影は、まだヒサメには気づかない。さらにゆっくりと歩むそのうちにふと気づいた。あの道の先、白い影のいる辺りは、ちょうど今ヒサメの頭を悩ませていた開かずの扉ではないか。やはりあの扉の先が、白装束の根城だと確信したヒサメは、知らず知らずのうちに牙を剥くような笑みを見せていた。


「イルマを上に行かせたのは間違いだったな。せっかくの白装束どもとの大一番、見せてやりたかったぞ」


 松明を床に投げ捨てると、ゆっくりと、ヒサメは腰の刀を引き抜いた。

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